Inside Jokes 第4章 その2 

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)


第4章 ユーモア理論についての短い歴史(承前) 


ハーレーたちのユーモア理論学説史の概要はさらに続く


D リリース説


これはハーバート・スペンサーフロイトの考えで,「精神エナジーが神経にたまり,そこから開放されるときに笑う」という理論.


ハーレーたちによるとこれは最近では人気がないそうだ.奇妙なエナジーがタンクにたまるという考えがあまりに古風だし,そもそもなぜ貯める必要があるのか不明だ.開放したいならさっさと出せばいい.またこれでは説明できないジョークもたくさんある.


しかしハーレーたちは,この説もユーモアの一面を確かに説明しているという.精神は確かに緊張したあと開放されると笑いたくなる.これは枝雀師匠の笑い理論「緊張と緩和」と同じかもしれない.
またハーレーたちは緊張からの緩和が主体にとっての利益になるという説明が可能なこと,何故ユーモアに性的なものが多いのかも説明できるところも魅力だと指摘している.


E 不調和とそこからの解決説


これは最近人気のある説で,「不調和や不条理から解決されると笑いたくなる」というものだ.


参照ジョー

  • オライリーは強盗の罪で訴追されていた.陪審員が戻ってきて評決がなされた.「被告を無罪とする」,オライリーは躍り上がって喜んだ.「やったぜ」「これってあの金は返さなくていいってことなんだよね」

ハーレーたちはこのジョークについて,無罪と被告が金を持っているという矛盾がまず心に現れて,それが実は本当は有罪だったと解決されておかしいのだという説明を引用している.しかしこれは納得感がないところだ.これはそんなところでこんなことを口走る被告のお馬鹿さ加減がおかしい(優越説的な)状況ではないだろうか.(これは刑事で無罪になっても民事では負ける可能性があるという知識があるともっとおかしい)


ハーレーたちはこの説は究極因の説明にはなっていないとまず指摘する.何故不調和からの解決が笑いを誘うのかはまったくわからないままだ.また理論家の間ではこの詳細について論争があるそうだ.ここではカントやショーペンハウエルと含む多くの理論家の説を解説してくれている.なかなかいずれも細かい.


それでもこの理論は非常に広い範囲のジョークが説明できて強力なので,自分たちの理論の基礎にもなっているとしている.不調和説は優越説が説明できるジョークより広い範囲をカバーしているし,くすぐり説も取り込める.さらに(ほかの説では説明の難しい)ナンセンスな笑いも説明できるのだ.


ハーレーたちはこの説を自分たちの理論の基礎とするので,この説にかかる最近の議論の進捗を丁寧に追っている.


1.最初の批判.おかしくない不調和は山のようにある.
ピンカーは乗り物酔いを反例にあげた.乗り物酔いは吐き気をもたらす.
ハーレーはたちは,確かに不調和の一部が何故吐き気ではなく笑いをもたらすのかは真剣に検討されるべきだといい,しかし乗り物酔いも状況によっては笑いを引き起こすと指摘している.
遊園地のアトラクションで,室内の橋を渡っているときに,突然周りに景色が回り出すと観客は落ちそうになる.しかしこのときの普通の反応は爆笑だ.
文脈の吟味が重要だということだろう.


2.これに対しサルは不調和だけでなく解決も必要だとした.しかし解決がおかしくない例もたくさんある.
難病の治療法がついに見つかったとしても別におかしくはない.
ハーレーたちは,これも文脈依存だと指摘している.この難病の治療法が,以前からわかっていたはずのものだったら,最初に発見したときには笑いを生むだろう.


3.ワイヤーとコリンズはさらに不調和と解決に加えて,不置換と減価も必要だとした.
ここでいう不置換とは,不調和になっている2つの解釈は両方とも可能なもので,前の解釈が否定されて新しい解釈になるわけではないという意味で,減価とはオチで見いだされる新しい解釈の方が価値が小さいことを意味している.


参照ジョー

  • 「先生はご在宅かね」ある医院の扉を患者がゼイゼイ言いながらたたく.「いません」と医師の若い妻が出てきてこうささやく.「さあ,はいって」

これは医師と患者という関係と医師の妻と愛人という関係が不調和で,不置換だというわけだ.
しかしなお説明し尽くせたわけではない.この改良バージョンでも何故話す順番を間違えるとおかしくならないかを説明できない.


また解決なしのジョークも山のようにある.
だじゃれやナンセンスギャグには基本的に解決はない.

  • OK, so what's the speed of the dark?
  • ディナーの席で,男は,突然マヨネーズを掌につけたかと思うとそれを自分の髪の毛になでつけ始めた.となりの客が驚いてその男を見つめるとその男は落ち着き払って一言「いや,申し訳ない.ほうれん草なのかなと思って」


4.ミンスキーはフレームシフト説を唱えた.
これはよくあるフレームに何か不適切なアサインメントが見つかり,フレームがシフトすることがユーモアだというものだ.


ハーレーたちはやはりフレームシフトだけで全ての笑いは説明できないし,全てのフレームシフトがおかしいわけでもない,さらにそして究極因の説明にはなっていないとコメントしている.


F 驚き説

参照ジョー

  • 無神論者の探検家がアマゾンの奥地で残忍な部族に囲まれた.状況を察知した探検家は思わずこうつぶやいた.「おお,神よ.どうやら俺もおしまいみたいだな」すると天の一角から光が差して声が響き渡った.「いや,お前はまだおしまいではない.足元の石を拾って真正面にいる酋長の頭を殴るのだ」探検家が言われた通りに石を拾って酋長を殴りつけると,酋長は倒れて死んだ.驚いた顔の何百人もの部族民に囲まれて,探検家が酋長の死体に足をかけて深く息をしていると,またも声が響き渡った.「OK,これがおしまいという状況じゃ」


理論家の一部は,驚きはユーモアにとって十分条件ではないにしても必要条件だと主張している.
リリース説の論者は緊張は突然驚きを持って緩和される必要があると主張する.不調和説論者も,優越説論者も驚きの要素を指摘している.

だから「驚き説」という単独の理論があるわけではないということのようだ.ハーレーたちも基本的には驚きの要素を認めているのだろう.ただ,驚きは予想していなかったことが起こったわけではなく,起こらないと予想していたことが起こったときに現れるものだとコメントするにとどめている.


G ベルグソンのメカニカル説


参照ジョー

  • メフィストフェレスが弁護士のところに現れて取引を持ちかける.弁護士としての輝かしいキャリア,最高裁判事への道,ハリウッド伝記映画を約束する代わりに妻と3人の子どもの魂を渡せというのだ.弁護士は考え込んだ.考えて考えて汗が顎からしたたり落ちた.そしてついに顔を上げてメフィストフェレスにこう言った.「これってどこかに罠があるんだよね」


ベルグソンは,個人や精神や社会が硬直化すると弊害が生じる.だからこれを緩めて開放するのは有益だと論じた.つまりユーモアは硬直性の問題解決のためにあるというわけだ.
これはコメディの登場人物の行動パターンや思考様式が硬直的であることが多いことをうまく説明できている.


ハーレーたちはこれは究極因的な説明になっていることを評価しているが,やはり全ては説明できないし,硬直性からの解法が全ておかしいわけでもないとコメントしている.


以上がこれまでの理論の概観ということになる.