「風の中のマリア」

風の中のマリア (講談社文庫)

風の中のマリア (講談社文庫)


本書は百田尚樹によるオオスズメバチのワーカーが主人公という異色の小説.あくまで小説であり,ハチにヒトに似た感情世界があるという設定で書かれている.ここは小説である以上やむを得ないというかむしろ当然の工夫だろう.
物語は夏の終わりに孵化したオオスズメバチのワーカー,マリアの目から見たコロニーの次世代への継承を巡るドラマを描くもので,ワーカーとして子を産めないことへの葛藤とそれを乗り越えて闘うマリアの姿が軸になり,様々な謎解きが仕込まれ,ラストには繁殖虫を孵化させられるか全滅かという一大勝負,キイロスズメバチのコロニーへの壮絶な略奪戦も用意されている.
しかしこの小説が私のような読者にとって面白いのは,かなり丁寧にスズメバチにかかるリサーチの結果を取り入れているところだ.そして実際に描かれるストーリーは,食糧集め,セイヨウミツバチ・ニホンミツバチとの三つどもえの関係*1,ワーカーによる女王殺しなど非常にリアルだ.また何と包括適応度的な行動説明がなされ,(物知りな虫がマリアに教えてくれるという設定を使っているところはご愛敬)さらに,その究極的な理由に基づいて行動するのではなく,それに沿うような感情が感じられるという構成を取っていて,安直な誤解に染まっていないところも好感が持てる.
なお,包括適応度的な記述に特にコメントすると,本書では真社会性の説明について全面的に3/4仮説によっており,そこはやや微妙だ.また性比を巡る女王とワーカーのコンフリクトが取り上げられていないのもちょっと残念だ.しかし女王殺しとワーカー産卵は見事に描かれている.


小説のプロットの善し悪しを評価する能力は私にはあまりないが,少なくとも読んでいて十分面白かったし,ところどころオオスズメバチの興味深い生態がきちんとしたリサーチに基づいて描かれていて楽しい.社会性昆虫に興味のある方には十分お勧めできる本だ.

*1:オオスズメバチは防御行動が進化していないセイヨウミツバチの巣を簡単に略奪できる.ニホンミツバチ蜂球を作って略奪に来たオオスズメバチ熱死させるという対抗手段を持つ,しかしニホンミツバチはセイヨウミツバチによる盗蜜には対抗手段がない