
Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)
- 作者: Matthew M. Hurley,Daniel C. Dennett,Reginald B. Adams Jr.
- 出版社/メーカー: The MIT Press
- 発売日: 2011/03/04
- メディア: ハードカバー
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第10章 反論に対して(承前)
D 他のモデルについてのコメント
参照ジョーク
- 0は8に向かってなんと言うべきか「いいベルトだね」
ハーレーたちは自分たちの仮説を踏まえて,そのほかのユーモア説,特に不調和と解決説とその拡張版についてコメントしている.学者同士の議論というわけでなかなか細かいが大筋は以下のような感じだ.
<不調和と解決説>
これは私たちの仮説に近い.それは不調和も解決もコミットされた信念が誤りだったことに気づくのに役立つからだ.(また不調和は誤った信念を作る原因にもなる)
しかしユーモアの喜びには誤りがわかったときに生じるのであって解決によって生まれるのではない.
例:手品師の鮮やかな手並みは特におかしいわけではない.
<ワイナーとコリンズによる「不調和と解決」説の改良バージョン>
セットアップとオチの不調和に対して(1)オチなしでは最初の信念も正しい,そして(2)最初の信念よりオチの方が重大性がない.を付け加えている.
(2)の重大性に関してワイナーがあげる例:重さを比べる実験と称して手のひらに同じような重りを乗せることを続けていて,突然全然重さの違う重りを乗せる
ワイナーはこれは実験が実は当初おもったほどシリアスではないと気づくからと説明している.しかし認知にかかるもっと真剣な実験だと考えていてもやはり笑いは生じるだろう.これは単にこのぐらいの重さだとおもっていたらぜんぜん違うからおかしいのだ
(1)がなぜ必要なのかというのは,私たちの仮説から初めてうまく説明できる.おかしさは第一の解釈の誤りだけが問題になるからだ.
<ミンスキー説>
フレームシフトと認知センサーから説明している
(1)フレームシフト
確かに真と思っていた信念が間違いだったというのは私たちの仮説と共通する.しかし全てのフレームシフトがおかしいわけではない.
(2)認知センサー
ミンスキーは誤りに至ったロジックに注意を払って,同じような誤りに陥らないようなセンサーを考えた.
ここは私たちの仮説と微妙だが重要な違いがある.私たちは単に誤りに気づくことがポイントだと考える.それはロジックは(統計的に正しい)合理的なヒューリスティックスに従っていることが多いからだ.これらは確率的には間違う.しかし放棄すべきではない.だからこそ誤り検知システムが有用なのだ.
<ユング説>
誤信念+共感+同情的有益性で説明しようというもので,誤信念に焦点を当てた不調和説の1つと言える.
共感とは志向姿勢や心の理論の問題.同情的有益性とは,好きな人にプラス,嫌いな人にマイナスという意味で感情の干渉なしという私たちの仮説に近い.しかしユングはまず誤信念に制限を加えていないし(これは広すぎる,どのように信念が形成されたかは重要),また一人称ユーモアを無視している.
E グレーム・リッチーの5つの疑問
リッチーも不調和説から出発し,不調和説に5つの疑問をぶつけたそうだ.ハーレーたちは1節をさいてその問いと自分たちの答えを示している.自分たちの立場を示すのに有益だということだろう.
(1)1つの解釈を別の解釈より正当だとするものは何か
解釈は聞き手の背景知識とジョークの設定から生まれる.文脈からありうる一つの解釈に導くのだ.これは無意識にジョークとわかっていても生じる.
そしてオチにおいて新しい情報を得て全てに矛盾しない新しい解釈が生じる.
(2)どのようにして,あるテキストは別の解釈を生むようにリアセスメントを仕向けるのか.
ジョークのおかしさは常にリアセスを必要としない.
メンタルスペースにあるモデルがおかしいと気づけばいい.
オチのあと一貫性がないままでもおかしいのだ.
(3)2つの解釈が異なって,それがおかしいとはどういうことか,どのように異なるとおかしいのか
これも同じ.おかしさは誤りに気づくところにある.
(4)その解釈をよりおかしくする要因は何か
誤りに気づくからおかしいのだ.
どちらかの解釈が本質的におかしいわけではない.だからどんな文章でもオチになりうる.
(5)要因のどの様な組み合わせがおかしいのか
これも4と同じで何らかの本質的な組み合わせがあるわけではない.
以上がハーレーたちの他説からぶつけられた反例候補への説明と,「不調和と解決」説と自分たちの説の違いの説明ということになる.本章の最初は検証を行っていくような雰囲気で始まるが,結局それは今後の進展にまかせるということで読んでいてやや肩すかしの感は否めない.しかしその後の反例を通じて得られるより細かなユーモアの条件はなかなか興味深いし説得的だろう.次章ではジョークの周辺現象を扱う.