Inside Jokes 第12章 その1 

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)


第12章 でもどうして笑うのか?


ハーレーたちはユーモアが何故あるのかを説明した.しかしまだ謎が残っている.ハーレーたちの説明が正しいとしても,ユーモアは報酬として楽しければそれで良いはずだ.何故私達はそれを聞くと笑うのか.笑いとは何なのだろう.


A コミュニケーションとして


参照ジョー

  • 教授はクラスに週末の宿題を課した.そしてそれは月曜日が提出期限であり,本人の病気か近親者のお葬式以外の理由で遅れることは認められないと申し渡した.1人の学生が手を挙げた.「性的活動で疲れ果てたっていう理由じゃだめですか?」教室はどっと沸いた.教授は教室の笑いが静まるのを辛抱強く待ってからこう言った「君はもう片方の手を使うべきだね」


ハーレーたちは,「適応主義が嫌いならこれを副産物と主張したくなるだろう」と皮肉っぽくコメントしたあとで,しかし大声で笑うことのコストを考えるとそれが副産物だとは考えにくいだろうと指摘している.

ハーレーたちは次にロバート・フランクによる感情のコミットメント説を引き合いに出し,笑いも無意識の感情の発露として何らかのコミットメント問題の解決に役立っているのかもしれないとコメントしている.


このように考えると,笑いは意図的ではなく自分が間違っていたことを暴露していることになる.ではこれはどのような意味で有利さをもたらすのだろうか?


ハーレーたちはこの問題を一旦置いて,「遊び」の進化的な説明を始める.
これは補食や闘争の練習と考えることができる.そして練習するためにはこれが「本気ではなく,遊びである」シグナルがあった方がうまくいく.これが遊びの途中でなされると「本気じゃないから大丈夫だよ」という安心コールになる.これが笑いの起源かもしれない.すると笑い自体にある喜びや伝染性を説明できるだろう.
周りの第三者にも「これは本気じゃないよ」という信号になる.
例:追いかけごっこではつかまるときに笑う→それまでの相手の考えを読みながら逃げていたが,その方法論が間違いだったと気づき,これ以上心配しなくても良いという安心がある.


これは緊張からの解決という状況であり,ユーモアの状況に近い.そして遊びが洗練してくると,本気じゃないシグナルの重要度は減り,緊張から安心への転換,そして楽しい感じがより残る.


このハーレーたちの説明は,最初の段階では起源的に近い状況のシグナルが融合したのだ(本気じゃないシグナルとユーモアの楽しさ)ということになるだろう.


B ユーモアと笑いの共起


では次に何が生じたのか?
この最初の融合により生じた「プロトユーモア」は不随意の笑いとなる.ここからどのように笑い手の有利さが生じていったのか?


「性淘汰説」

ハーレーたちは笑うことが性淘汰にかかったと主張している.
笑うためにはユーモアを理解していなければならない.そのためには認知能力や背景知識が必要.そして笑い自体は不随意で,さらに自分のメンタルスペースの誤りを暴露している(ハンディキャップ)なので,これを伝える正直な信号になる.そして一旦,シグナルという機能を持つと,これはフェイクしにくいと言ってもある種の操作は生じ,それを見破ろうとするアームレースが生じる.


つまり自分の認知能力に関するハンディキャップにシグナルになって性淘汰にかかったという仮説になる.
しかしこのハーレーたちの仮説はやや乱暴なように思う.ハンディキャップシグナルになるには,より認知能力が高い方がより大きなコストに耐えられる構造になっていなければならない.すると認知能力の高いものは,自分の誤謬を認めて笑うことによりその能力をディスプレーでき,そして誤謬があったことを認めても耐えられるということになる.もしそうなら第三者の誤謬を笑うことはコストがないので正直さのないディスプレーとなっていることになる.そうであれば男性が笑ったときに女性は自分の誤謬を笑っているのか第三者の誤謬を笑っているのかを敏感に区別するようになるはずだ.(双方向に性淘汰が働いたとすると男女は逆になっても同じ)しかし実際にはそのようには思えない.ここにはなお説明すべきことが残っているように思われる.



ともあれハーレーたちは,「できるだけ早く理解して誰よりも先に笑おうとする.」「周りが笑っていればとりあえず笑ってわかっているように見せる」などの現象は性淘汰説でうまく説明できると指摘している.
またこれらはすぐに(ボールドウィン的に)組み込まれて本能的になっただろうとも指摘している.このあたりは確かにそのようにも思えるところだ..


「グループの絆,交渉相手との友好性の表示」

ハーレーたちはこのほかにも機能があっただろうともコメントしている.笑うことによりグループの絆が高まったり,交渉相手と友好的になれるという効果だ.
これを究極因の1つとして主張するには,何故笑いがそのような効果を持つのかを説明できなければならない.ハーレーたちは,「笑いを与えるジョークは喜びの元であり,ドラッグをもたらすものとしてありがたられた」「そして一種の社会的キャピタルの交換作業ともなったのだろう」と説明している.


しかしこの説明ではユーモアを飛ばすことが絆の形成につながることは説明できても「笑い」の説明にはあまりなっていないように思われる.(さらにいえばグループの絆というのはいかにもナイーブグループ淘汰的な論理構造で,笑い手の笑うコストが回収できるのか,ただ乗りの問題が生じないのかも問われなければならないだろう.)いずれにせよ「笑い」の説明は難しいという印象だ.