「The Better Angels of Our Nature」 第2章 平和化プロセス その3  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


前国家社会にも暴力があふれていることは明らかだ.では国家社会と量的に比較するとどうなるのだろうか.


<暴力の量的比較>

ピンカーはまず方法論から始めている.
苦しみの絶対量を見るべきだとして絶対数で比較すべきだという考え方もあるが,ここでは「率」で比較したいとピンカーは断っている.人口規模が異なるのだから,個別の人生がどれだけ悲惨なのかを見るには「率」による相対比較が当たり前だという気がするところだが,モラル的な議論ではなかなか異論(苦しみの絶対量が問題という議論があるようだ)が出やすいところなのだろう.


データはどこから取るか.


これらのデータからピンカーは2つの指標を作っている.1つは「暴力死/全体の死」(%),もうひとつは「人口10万人あたりの年間殺人率」(人/年)ピンカーのあげている数字の一部は以下のようなものだ.本の中では膨大な参照元を挙げて細かなデータを示し,グラフ化している.

「暴力死/全体の死」
先史時代 15
狩猟採集 14
狩猟園芸社会 24
アステカ 5
17世紀欧州 2
20世紀の世界 0.7
「戦争による殺人率」
部族社会 524
17世紀フランス 70
第二次大戦時ドイツ 144
第二次大戦時日本 27
第二次大戦時ロシア 135
20世紀のアメリ 3.7
2005年のアメリ 0.0


これ以外に数多くのデータを示しているが,いずれにせよ定量的には国家になって暴力的に殺される人は1/5から1/10に減少したのだとピンカーはまとめている.

国家になると殺人率は劇的に減少するのだ.それはパックスロマーナからイスラム,モンゴル,スペイン(ラテンアメリカの征服),オスマン,中国,ブリテン,オーストラリア(ニューギニアにおいて),カナダ(太平洋岸),南アフリカまであまねく見られる.具体的には統一政府統治の元で,襲撃,決闘,復讐,内部のテリトリー争いなどが激減するのだ.統治自体が暴力的であることもあるが,それでも蔓延していた部族間抗争を減らすのだ.

ピンカーは例外も1つ示している.それは植民地からの独立時だ.そのときにはそれまで機能していた植民地統治が崩壊し,武器や軍隊を持って内戦が始まってしまうことがあるのだ.


要するにホッブスは基本的に正しかったのだ.ヒトは,利益,安全,威嚇のために争う.そして前国家社会では非常に大きな不安の中で生活している.(もちろんホッブスが正しくないところもあった.彼らは血縁者や同盟者とは協力的だった.常に暴力的であるわけでもない.)国家ができて暴力は減少したのだ.


しかし文明や国家は良いことばかりではない.
農業により重労働が増えたり,感染症負荷があがったことも事実だ.そしてそれを問題にして「何故部族社会は国家に移行したのか」という疑問が生まれ,よく議論されている.そのような議論において,通常挙げられる説明は「マルサスの罠」にはまってそれしかなかったというものだ.ピンカーは,しかし彼等は暴力減少(というこれまでの議論で見過ごされている大きなメリット)を求めて望んで移行したのかもしれないとコメントしている.


さて国家には戦争とは別の種類の暴力が発生する,暴君による圧政,格差,奴隷制などだ.これらについては次の第3章「文明化プロセス」以降で扱われる.