「眠れなくなる進化論の話」

眠れなくなる進化論の話 ?ダーウィン、ドーキンズから現代進化学まで全部みせます? (知りたい!サイエンス)

眠れなくなる進化論の話 ?ダーウィン、ドーキンズから現代進化学まで全部みせます? (知りたい!サイエンス)


本書は技術評論社による「知りたい!サイエンス」シリーズの一冊.基本的に何でもこなすサイエンスライターの手によるエイヤッと書き上げられたお手軽な本だが,本書は三中信宏,河田雅圭,長野敬という専門家が執筆に参加しており,その部分は見逃せないつくりになっている.というわけでここでは専門家寄稿部分とそうでないところを分けて評していこう.


まず寄稿部分
三中信宏による第4章は,現代的総合説の鳥瞰図を示そうというもの.本稿を読むまでの私の「現代的総合」についての理解は,ダーウィン自然淘汰学説とメンデルの遺伝学が矛盾するのではなく,むしろ両者によって進化が理解できるものであることを数理的に整理した1930年代のフィッシャー,ホールデン,ライトによる集団遺伝学の成立が中核であるという認識であったが,本稿によるとこの外側にエルンスト・マイア,ジュリアン・ハクスレーを中心とする発生学,形態学,系統学などを含む「自然誌学」の総合があり,合わせて「現代的総合」あるいは「ネオダーウィニズム」を理解すべきだということになる.後者の総合は,集団遺伝学的な小進化がいかに古生物学的な大進化に結びつき,種概念,分類,系統をどう構成すべきかというところに重点が置かれる.4ページにわたる時代を追った学説学派の系譜と相互影響の鳥瞰図が載せられており大変参考になる.


河田雅圭による第6章は,ドーキンスの「利己的遺伝子」の解説.利己的遺伝子の考え方が独立した進化理論ではなく,進化理論の「見方」であるということが強調されており,初学者の理解には重要なところだ.ただこの「見方」がハミルトンの考えを突き詰めたところにあること(まさにハミルトンの包括適応度理論の1つの「見方」であること)にはきちんと触れてなくちょっと残念に思う*1
なお河田は,「利己的遺伝子」は利己的遺伝要素の理解には役立っても,それ以外の形質の進化については今や一般的ではないしナイーブで哲学的な意味しかないと,やや否定的に評している.ここは私の感覚とはやや異なる.一般的に研究者が言及しないのは,実際のリサーチでは洗練された包括適応度理論を使う方が実務的であるからであるということであり,そしてハミルトンの包括適応度理論の本質を理解するには,「利己的遺伝子」は今でも非常に優れた「見方」であると思う.


長野敬による第7章は,マーギュリスの細胞共生説について.長野らしく19世紀の「原形質」「細胞質」の考察から始め,学説の源流にまでさかのぼってくれている.私的にはあまり聞いたことのないメレシュコフスキー,コゾ=ポリャンスキーなどの学説(クロポトキンの影響か,ロシアでは共生的な学説が結構唱えられたが,あまり英米には紹介されなかったという前史があるそうだ)が紹介されて,さながらグールドのエッセイのようだ.その後マーギュリスの共生説がその特異な言動とともに紹介され,ミトコンドリア葉緑体についてほぼ認められたが,鞭毛その他についてはなお提案にとまっている現状が説明されている.


残りの部分はハインツ・ホライス,矢沢潔,矢沢オフィスによる分担執筆によるものになっている.この手のお手軽本にしてはきちんと原典に当たって書かれているようで,個別の記述に特にトンデモや致命的な誤りが含まれているようなことはなく,比較的良心的な作りになっている.しかし進化理論について深い理解がなく,ジャーナリスティックな話題の大きさに引きずられた面が大きく,あまり質の高いものにはなっていない*2
特にトンデモに近い筋悪な学説ときちんとした学説の区別がはっきりなされていないのは大変気になるところだ.具体的にはグールドの考え方や今西進化論やカウフマンについて好意的すぎるように思われる.またグールドとドーキンスについて扱いが大きすぎる.まずグールドについては信用しすぎだ*3ドーキンスについては,本書のこの部分ではハミルトン,トリヴァースの業績をドーキンスのもののように紹介しており進化学説史についての理解が浅すぎるだろう.(巻頭の「進化論マップ」にハミルトンもトリヴァースも掲載されていないのには特にがっかりさせられる)


全体として理解が浅い部分も散見され統一感が欠けた書物ではあるが,お手軽本にしては比較的きちんとしているし専門家寄稿の3章はそれぞれ充実している.そのあたりを踏まえて読むべき本ということになろう.

*1:利己的遺伝子という見方と(行為)個体の包括適応度という見方が対立する旨の記述しかなく,誤解を生じさせかねないだろう

*2:そのほかエピジェネティックスの紹介で,ほとんどエピジェネティックスについて触れずに遺伝と環境の相互作用の話ばかりしているのも疑問なしとしないし,「ネオダーウィニズム」という用語の定義自体章によってばらばらだったりする.

*3:彼は結局超一流のエッセイストで,一流の古生物学者ではあっても,(古生物の進化パターン以外の)進化理論屋としては二流以下だったということだろう.だからパターンの主張としての断続平衡説以外の彼の主張は,理解が浅く良く言って曖昧で,あまり重く取り上げるのは疑問だ