「The Better Angels of Our Nature」 第4章 人道主義革命 その2  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


17世紀18世紀の西ヨーロッパで生じた理性の時代と啓蒙主義から生まれた「人道主義革命」.ピンカーは個別の残虐行為ごとに歴史を振り返る.


<迷信による殺人 その1:生け贄,魔女狩り血の中傷*1


「生け贄」


歴史はまったく馬鹿げた理由による殺人にあふれている.ピンカーは最も痛ましいものの1つとしてまず「生け贄」を取り上げる.


生け贄の概念は旧約聖書から見られる.神によるイザクの要求,またイスラエル人は,自分たちの神は子供の生け贄を要求しないと自慢しているが,そのアイデアが身近にあったことを示す記述は聖書の中に散見される.またキリスト教自体キリスト自身が生け贄だというアイデアに基づいているとピンカーはコメントしている.
そしてもちろんそれはアブラハムの宗教だけのものではない.生け贄はほとんど全ての文明に見られる.

この中でも特にすごいのはアステカ文明だ.アステカでは一日120人,80年間で100万人以上も生け贄にされた.生け贄を得るための戦争も行われた.彼等は火あぶりにされ,心臓を動くまま取り出されたのだ.*3


彼等は一体何を考えていたのだろうか?
ピンカーは制度的な暴力には敵集団の皆殺しなど背後の理屈(他部族への威嚇,直接報復の可能性をなくす)がわかるものもあるが,生け贄については現在では理解が困難だと指摘している.


ピンカーはここでジェイムズ・ペインの説明を引用している.これによると,要するに古代の人にとっては他人の命が安かったからだということになる.ほんの少しでも自分たちにメリットがあれば他人の命を犠牲にするのは簡単だったのだ.そして疫病,飢饉,戦争にあふれ,危険や悲劇に満ちた古代の日常の中で,もし神がいるなら,神は血に飢えて残虐だと推測するのは無理もない.そして他人の生け贄で自分たちのリスクが少しでも減るなら,それへの抵抗はなかったのだ.


この説明が正しいとすると,生け贄の慣行は,他人の命の価値が上昇すること,あるいはリスクの減少期待についてのよりましな推測により廃れるということになる.


この習慣がいつ頃どのようにしてなくなっていったのかを見ると,イスラエルではBC600頃,ギリシア,ローマ,中国,日本でもその数百年後であり,それは成熟し,文字を持つ国家は人を犠牲にするよりもましな解決策を思いつくように見えるとピンカーは書いている.(ピンカーは人道主義革命は理性の時代,啓蒙主義に先導された17〜18世紀の出来事が中心とおいているので,これは精神としては同じだが,早い時期の出来事ということになるのだろう)


ありそうなのは以下のような説明だ.

  • 読み書きのできるエリート,歴史,近隣社会の情報から,残虐な神という仮説が怪しいということがわかってくる.
  • より豊かで予測可能な暮らしは他人の命の価値を高める.


しかしピンカーはさらに,明確に生け贄の禁止と関連する科学的,経済的な進歩は見つけられないとし,その移行の決断にはモラルの色彩があると指摘している.決断をした民族は自分たちが進歩したと感じ,まだ生け贄を行う近隣社会に対して嫌悪の情を隠さないのだ.
ここでピンカーは日本書紀の「垂仁天皇が,弟の死に際し殉死として生き埋めにされた人たちが何日もうめき声を上げたことに苦悩し,后の死に際しては殉死を禁止し,埴輪を置かせた」という記述を紹介している.(なお日本においては大化の改新時に人馬の殉死禁止令があり,さらに江戸時代に武家諸法度でも武家における殉死の禁止が定められている.だからある程度殉死の慣行は続いたのだろう.もっとも江戸初期のそれは迷信によるというより,伝統的な慣行だから(そして自分がそれに従わなければ主家への忠誠が疑われ子孫に累が及ぶ)という理由ではなかったかと思われる)


魔女狩り


次は魔女狩りだ.ピンカーによると,世の中の災害を説明する最初の仮説は「血に飢えた神」でそれがもう少し精緻化すると「魔術」「魔女」になるという.
実際に前国家社会では呪詛による復讐はユニバーサルらしい.「死」には目には見えなくても必ず「誰かの意図による原因」があるのだという素朴信念と対になっているのだ.


これほど多くの社会が,これほど馬鹿げた理由で,人々を殺人者として断罪してきたというのは驚くべきことだが,ヒトの認知と社会における利益のコンフリクト(動機)を考えるとある程度理解できるとピンカーはコメントしている.


脳は誰かの意図による原因を探索するものとして進化した.そしてわからないことは想像で補う.だから多くの人がそのようなことがありうると考える.さらに社会にはそのような信念を利用して誰かを断罪する動機があるということになる.
ピンカーがあげる動機の一覧は以下のようなものだ.

  • 気に入らない義理の親族の排除
  • ライバルの排除
  • 自分の方が神聖という名声
  • 不運を誰かのせいにすることによって取り戻そう
  • 誰かが陰謀を企むことへの威嚇:ここでは映画「ゴッドファーザー」のドン・コルレオーネの名台詞が引かれている.「私は迷信深い人間だ.もし息子が雷に打たれたとしても,彼が死んだら私はこの中の誰かを非難するだろう」


さらに「道徳的な非難は,そのような非難に同調しない人にも向けられる.これは集団的な狂気につながりやすい」とピンカーは指摘している.前半部分は日本人にはなじみの深いところだろう.要するに周囲が魔女狩りに夢中になっているときに冷静な人は逆に狩られてしまうリスクを取ることになるのだ.


ここで魔女狩りの実際についてピンカーは詳しく紹介している.魔女は箒に乗って空を飛び,様々な災いをなすとされ,ドイツとフランスだけで200年間で6〜10万人が犠牲になったと推計されている.多くは魔女であるという自白を得るために拷問し,その後焼き殺された.ユダヤ人に対する血の中傷では何千人ものユダヤ人が虐殺されている.


この魔女のロジックはあまりにも馬鹿げているが,懐疑を口にすることはリスクでもあり,その慣行は続いた.しかし理性の時代に入りついに懐疑的な声が表に出てくるようになった.ピンカーは2つの例を紹介している.

  • あるミラノの判事.自分のヤギを殺して召使に罪をきせて拷問をやってみた.彼はすぐに罪を自白し,再拷問を恐れて自分の告白を翻そうとはしなかった.判事は自分の法廷での拷問を廃止した.
  • ドイツのブルンズウィック公:自分の領地での異端審問の拷問に疑問を持ち,2人のイエズス会士に調べさせた.彼らは魔女の自白によっているから適切と報告した.公はその会士を連れて拷問部屋に行き,今告白した「魔女」にこの2人も魔法使いかと聞いた.再拷問を恐れた女は「もちろんそうです,私は彼等がヤギやオオカミに変身するのを見ました.彼等は別の魔女たちと性交し,生まれた子どもたちはカエルの頭とクモの足を持っていました」とスラスラと告発した.公は振り返り,仰天しているイエズス会士にこう言った.「さて,私はあなたたちも自白するまで拷問にかけるべきですかね」


魔女狩りは17世紀になって下火になった.英国最後の魔女の処刑は1716,ヨーロッパの最後は1749だそうだ.


ピンカーは魔女狩りを下火にした力には2つあると指摘している.

  1. 知性:ものごとは人の意図を原因とせず,ただ生じることがあるのだ.その意味では「隣人を愛せ」「人は平等だ」に勝るとも劣らないモットーは「クソみたいなことも起こることがある」だ.
  2. 人生と幸福についての価値観の変化:私たちは,多数のためのたった一人の犠牲であるにもかかわらず,先ほどの判事の実験を聞いて引いてしまう.それは他人に同情するようになったからだ.他人も同じ人間であるということによって同情するのだ.もちろん不幸を人のせいにする私たちの心情は残っている,しかしそれを暴力に結びつけることは抑制されるようになったのだ.この価値観の変化は他の多くの野蛮な慣習を廃止することにつながった.


日本では魔女狩りのような迷信による大量殺人はあったのだろうか?
少し調べてみたが,あまり出てこない.日本では「誰かの意図によらなくても不運というものはあるのだ」と言う観念はかなり昔からあったのかもしれない.
なお魔法を使うことを犯罪とする法制度は一部のイスラム諸国にはまだ残っているようだ.最近ではサウジアラビアで魔術を使ったという理由で女性が死刑に処されたというニュースが記憶に新しい.http://www.cnn.co.jp/world/30004923.html

*1:ユダヤ人が過ぎ越しのパンに子供の血を混ぜるという中傷,それを理由に迫害がなされた

*2:アガメムノンは戦争に都合のいい風を吹かせるために娘を差し出した.

*3:「インディジョーンズ:魔宮の伝説」の1シーンはこれからヒントを得たのだろうとピンカーは指摘している