「The Better Angels of Our Nature」 第4章 人道主義革命 その6  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


ピンカーは人道主義革命は理性と啓蒙主義によってなされたのであり,17〜18世紀の出来事が中心としている.しかし同じ精神で始まり,18世紀には完成しなかったが,その後にその精神が拡張されたものがあると指摘し,合わせてこの第4章で説明している.それは専制国家による圧政と国家間戦争の減少だ.


専制国家と国家的暴力>


マックス・ウェーバー的にいえば,国家は暴力の独占装置であり,犯罪や侵略の抑止のために使われるべきものだ.しかし現実にはそれは様々に濫用される.
歴史上最初に現れる大きな国家はみな専制国家だった.そして専制君主は豪勢に暮らしハレムを持ち,人民の生殺与奪の権力を持ち,実際にそれを行使した.拷問,拘束,処刑,建設プロジェクト何でもありだ.(19世紀までにこのようにして殺された人の数の推計は133百万人から625百万人だそうだ)ピンカーは様々な専制君主の逸話を紹介している.
また君主側も安泰ではない.結局全ての権力を持っている君主のいる国家では平和裏に政権交代はできず,原則的には暗殺しかない.ピンカーは,サウルもダビデもソロモンも,ローマ皇帝は合わせて34人が,そして600年から1800年までのヨーロッパ君主の8人に1人が暗殺されたと書いている.


そしてやはり17〜18世紀にかけてヨーロッパではこのような専制政治をやめるようになってきた.ピンカーは17世紀前半の清教徒革命では結局チャールズ1世は殺されたが,後半の名誉革命ではジェームズ2世は追放ですみ,18世紀のボストンでは「専制政治」とは「お茶に税金をかけること」になっていたと書いている.


それは人々が専制政治を,自然なものあるいは神から与えられたものとしてただ受け入れるのではなく,もっといい制度デザインを考え始めたからだ.だからこれも理性の時代の産物ということになる.


「権力の分立」
良い制度デザインの探求はホッブススピノザ,ロック,ルソー,そしてアメリカ建国の父たちの思想に結実した.
合理的な人々は自分たちがより幸せになるために力を誰かに付託することに賛成するだろう.しかし付託された人も人間でインセンティブがある.彼らは濫用の誘惑にかられるだろう.それは権力を分立させることにより抑えられるというわけだ.

  • ロックは立法と法の執行の分離を唱えた.そして市民に最後はリコールする権利を留保させることを主張した.
  • アメリカ建国の父たちは以下のように考えた.

  (1)3権分立+連邦制+選挙
  (2)ミッションの宣言「市民の同意を持って,市民の生命と自由を守り,幸福を追求する」
  (3)ノンゼロサムの協力推進 商業交易の自由


「民主制」
権力分立と並び民主制も少しずつ進んだ.
ピンカーは18世紀の民主制はバージョン1.0であり,英国のは弱すぎ,フランスのは過激過ぎ,米国のは欠点だらけだったと指摘している.しかしポイントは改善可能性にあったのだ.

  • 言論の自由と信教の自由:これにより異端審問を気にせず議論できる
  • 平等の宣言:これは自動的な暴力減少方向への推進剤となった.


そして民主制は世界に広がっていった.
日本においては,江戸中期以降の幕府は西洋に比べるとあまり専制的ではなかったように思われる.このあたりには儒教の影響もあるのだろうか.そのような背景のためか,あるいは鎖国による思想流入が少なかったためか江戸時代には民主制への動きは鈍く,結局19世紀の明治維新自由民権運動,大日本国憲法で初めて民主制が取り入れられるという経緯になる.しかしこれはかなり制限付きだった.バージョン0.7ぐらいの感じだろうか.そして第二次大戦後に初めてきちんとした民主制と権力の分立が取り入れられたということになる.



<国家間の大規模な戦争>


古代においては征服戦争は当然のこととされた.帝国は興亡し,多くの集団が抹殺され,奴隷にされ,そしてそれがいけないことだとは誰も考えなかった.XXXXX the Great というのは多くの地域を征服した王につけられる尊称だ.ピンカーはヒトラーがもう少し運が良ければ後の歴史家はアドルフ大王と呼んだかもしれないとコメントしている.


もちろん個人的にこのような大殺戮に疑問を呈した思想家たちはいた(ピンカーは何人か紹介している)が,世界の大勢はごく最近までまったく変わらなかった.
中世の国際法は以下のような世界が前提だ.

  • 特別の平和条約がなければ国家間は戦争状態がデフォルト
  • 特別の条約がなければ外国人を好きに扱ってよい
  • 海は誰にも属さないので,そこでは好きに振舞ってよい


なぜ戦争についてモラル的な反対論が受け入れられなかったのか?ピンカーは理由を2つあげている.

  1. 隣の男の問題:自分だけ平和主義でも隣から侵略される.カルタゴカタリ派,ドイツとロシアの間にあった国々はその悲惨な例だ.
  2. 平和主義は内部的にも危険:平和主義者と臆病者の区別は難しい.さらに実は裏切り者(敵国との内通者)かもしれない.


つまり「平和主義」を本気で推進するには,価値観の推進とともにこの問題を同時に解決しなければならない.ピンカーの指摘は,これは「理性の時代」と「啓蒙主義」によって初めて可能になったということだ.


まず平和主義価値観の推進だ.
最初は戦争のむなしさ,偽善を強調する風刺から始まる.(上記2つの問題があるので,単に平和を説いてもそれは青臭い議論になる.だから風刺という手法で搦め手から宣伝するのが良い手法だとピンカーは書いている)


18世紀には戦争は避けた方が得だという理論的な基礎が生まれる.それは交易の利益だ.「そもそも金を出せば買えるものをなぜ血を流して奪う必要があるのか」というわけだ.


最後に2つの問題を解決するための考察が生まれる.ピンカーはここではカントの1795年の著作「永遠平和のために:Zum Ewigen Frieden」を引用している.それによるとカントは6つの実践3つの原則を提唱している.


6つの実践

  1. 平和条約に戦争のオプションをいれない
  2. 国家は別の国家を併合しない
  3. 常備軍隊を解散する
  4. 借金して戦争しない
  5. 他国の内政に干渉しない
  6. 戦争中も将来に禍根を残すようなことをしない:暗殺,毒殺,条約違反


上記を実践するためには原則が必要になるというのがカントの洞察だ.カントは3つ挙げている.


「民主制」

  • 民主国家は互いに戦争しにくいだろう.
  • なぜならまず法の支配に基づくので,デザインが非暴力的,暴力は市民の安全を守るためにのみ行使する.そして国家間でも同じように振舞う傾向があるだろう
  • そして戦争の利益はリーダーに帰属し,コストは市民にかかる.市民が決めるのであればよりコストを気にして慎重になるだろう


「国家間の法」

  • 自由な国家同士の連邦による国家間の法の支配.つまり国家間のリバイアサンを置く


しかしカントは軍を持つ世界政府までは考えていなかった.民主制国家は名誉を重んじるためより倫理的だろう(それで十分)と考えたのだ.今日これはナイーブに見える.結局カントは内なる道徳律を主張した人であったし,民主制の広がりに期待していたのだ.隣の国も同じような原則で動くと信じるなら,隣の国による先制攻撃を恐れる必要はなく,同じ解決に向かうだろうと期待できるだろうと.
ピンカーは,カントを擁護して,しかしこれは全くの絵空事ではないともコメントしている.「今日スウェーデンノルウェイは互いの先制攻撃を恐れてはいないのだ」


「ユニバーサルな心」

  • 世界市民,あるいは誰でもどこにでも住める世界.そのような世界では交易,コミュニケーションは国境を超えて広がる.そうすれば世界が一つのコミュニティになれる.


これらの仕組みによる平和は残念ながらこの後150年間実現しなかった.しかし20世紀後半に生じたことの種子であったと評価できるとピンカーは指摘している.


また18世紀から実現したこともあったとも指摘している.

  • 1700年ごろから,政治的リーダーは平和への愛,強いられた戦争ということを言い出し始めた.カエサルは「来た,見た,勝った」と言ったが,彼らは「来た,見た,そうしたら相手が先に攻撃して来たのでやむなく応戦して,そして勝った」と言うようになったのだ.
  • 18世紀にはそれまで攻撃的な軍事国家だった国(オランダ,スウェーデン,スペイン,デンマークポルトガル)が,軍事的失敗を機に征服ゲームから降りて商業国家を目指すような動きも現れる.
  • その結果強国同士の戦争は短くなり,頻度も下がり,数カ国に限られるようになった.(もっとも軍事技術の進歩により,一旦生じると被害は大きくなった)


ピンカーは,第二次世界大戦大戦争がなくなったことについては(「長い平和」として別途取り扱うことになる)このカントの種子が花開いたとみることもできるとコメントしている.


この国家間戦争をめぐる大きな歴史のうねりとそれをめぐる思考は,日本ではかなり異なった時期に生じているのだろう.それは19世紀までは本当の意味での他国との征服戦争を経験したことがないこと(元寇と秀吉の朝鮮侵攻はわずかな例外だが結局征服にはいたっていない),徳川幕府が一旦内戦を終了させ天下泰平を実現させたことなどによるものだと思われる.