「The Better Angels of Our Nature」 第4章 人道主義革命 その8  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


人道主義革命のコンテンツ「ヒューマニズム」は啓蒙主義と理性から直接導かれる.ではそれはどのように世界に広がったのだろうか.それは直線的に普及したわけではない.ピンカーはその大きな転換点であったフランス革命を取り上げている.


<文明と啓蒙>


ピンカーはフランス革命を総括する.
啓蒙主義フランス革命でその基礎となった.しかしフランス革命は一時的な民主化の後,混乱と恐怖政治をもたらし,内ゲバ,そしてナポレオンの台頭と大征服戦争を産んだ.
当時ヨーロッパでは多くの人々がこれを見て啓蒙主義を非難した.知識を持つことによる災い,プロメテウスの火パンドラの箱だと.


しかし啓蒙主義が恐怖政治や征服戦争を産んだという主張は怪しい.フランス革命の主導者に筋金入りの啓蒙主義者はいなかったし.おなじ精神でスタートしたアメリカの独立革命は安定した民主制を生んだのだ.


ピンカーはしかしインテリ世俗的保守主義の1つの主張だけはよく考えるべきだといっている.
それは「争いや災いを避けるための制度は必要だ.人の知性や理性には限りがあるので,合理的に説明できなくても過去にうまくやってきた制度は維持した方がいいことがある」というものだ.


だから奴隷制魔女狩りも残すべきだという主張に結びつくのは馬鹿げているが,啓蒙主義がうまくいくためには何らかの前提条件があるのかもしれず,それは文明化プロセスを経た暗黙のルール(例えば政治的暗殺は避ける)ではないかとピンカーはコメントしている.そう考えると,迷信が残り,豪族と部族のいる途上国にリベラルな民主制を根付かせるのがあんなに困難なことも理解できる.


さらにピンカーはフランス革命アメリカの独立革命の差は,英国の文明化プロセスを経た自制と協力(共感と交易)があったかなかったかの差ではないかと指摘する.建国の祖父たちは人の限界を知り,権力の濫用を恐れたが,フランス革命の指導者たちは人の限界を超えられると夢想的で自制が欠けていたというわけだ.


ピンカーは「啓蒙主義の暗黒面」の主張についての議論を次のようにまとめている.

人間の限界をどこまで認めるかが右派と左派を分ける大きな分水嶺であり,それはアメリカ独立革命フランス革命の差だ.ヒトには確かに本性があるのでそれを無理矢理変えようとすべきではない.とはいえヒトの心は再帰的でオープンエンドな組み合わせシステムであり,自分の限界をも理解して前進できる.だから人間が完全に合理的でないとしても,啓蒙的人道主義や理性は否定されるべきではないのだ.傷を認めつつ理性はより良い道を作ることができるのだ.


<血と土>


ピンカーは次に啓蒙主義に対する反動の2つ目として大陸,特にドイツにおけるロマン主義,観念主義をあげている.これはフランス革命の結果を問題にしたのではなく,啓蒙主義の基礎たる理性に対する懐疑に源を発している.


ピンカーによると,この思想はルソーに始まり,多くの神学者,詩人,思想家が加わったということになる.彼等の考え方の骨格は板のようなものだ.

  1. 啓蒙主義は個人の意識から出発したところが間違いだ.文化や環境から離れた個人というのはフィクション.人は感情と自然に取り囲まれている.
  2. ユニバーサルな人の本性などいうものはない.人は文化に埋め込まれ神話やシンボルに意味を見出す.真実は天から来た前提にあるのではなく,歴史や場所に依存する物語や原型にあるのだ.合理的に思考により伝統を批判するのはポイントを見逃している.人がいる信念システムを理解しなければ,意味や価値はない.
  3. 人生の目的は,客観的な真実や徳ではなく,創造性と,超個人的な有機体(国家,教会,文化,クラス,歴史)にかかるものになる.


なかなか経験主義の伝統のある英米の知的スタイルを取るピンカーから見たロマン主義のまとめは辛辣だ.ピンカーはそうはコメントしていないが,途中までは進化生物学的な論考を頭から否定する現代の一部の社会科学者と重なるところがある.(人生の目的以降のところは,さすがに19世紀の風味だが,またちょっとドイツ風でもあるのかもしれない)しかし現代の社会科学者の進化生物学への拒否反応の源にはナチズムへの意識があるとしたら,そのためにドイツ観念論に近い立場になっているということになる.これほど皮肉なことはないだろう.


さてピンカーは,このロマン主義・観念主義は,暴力を頭から否定せず,それを肯定的に評価することがあると指摘している.
彼等はこう主張するそうだ.

  • 闘争と流れる血は国の秩序に働きかける,それを人生の活性や人類の運命を損なうことなしに減らせない.個人が調和を望んでも,自然は何が種にとっていいかを知っているのだ.

その結果,血まみれの闘争とその栄光が19世紀のテーマになった.なおピンカーはここで,これが社会ダーウィニズムと結びついてしまったのだと指摘し,しかしダーウィンの名をここに使うのはアンフェアだと強調している.「種の起源」はこのロマン主義,観念主義の隆盛より後に出版されたし,ダーウィン個人はリベラルなヒューマニストだったのだ.(ピンカーは特に指摘していないが,ダーウィンの知的スタイルは大陸的な観念主義ではなくまさに英国の経験主義だということだろう)


ピンカーは,「ロマン主義は片方で音楽,美術,文学を花開かせた.しかし片方で政治的なイデオロギーになり啓蒙主義による暴力の減少傾向を逆転させた」のだと指摘している.その影響を受けたイデオロギーは4つ挙げられている.

  1. ロマンティックナショナリズム:血と土:民族とその生まれた土は不可分な統一体でありその栄光は個人の幸せより優先されるべきだ.
  2. ロマンティックミリタリズム:戦争は高貴なもの,エキサイティングであり,美しく神聖なものだ
  3. マルクス社会主義:階級間の闘争こそが歴史を前進させる
  4. 国家社会主義:民族間の闘争が社会主義を前進させる


このようなまとめを見て日本を考えると,明治維新の後の日本は英米の経験主義よりはドイツロマン主義の影響を強く受けたのだろう.法律は大陸法を継受し,憲法プロシアを参考にした.軍制もドイツを手本にし,旧制高校生の知的なスノビズムはドイツ哲学にあったように思われる.そして上記の上2つのイデオロギーは日本でも猛威をふるったということになるのだろう.


以上で人道主義革命の第4章は終了だ.次章は第二次世界大戦を最後として60年以上世界を巻き込む先進国同士の大戦争が生じていないことを取り上げる.