「The Better Angels of Our Nature」 第5章 長い平和 その9  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


ピンカーは,長い平和の原因の考察に進む.なぜ第三次世界大戦は生じなかったのか?



<長い平和は核の平和か?>


多くの人はそれは核による相互抑止のためだと思っている.ピンカーは,「もしそうなら現在の平和は愚か者の天国ということになってしまう」と書いている.たった1回の間違いや変質者によって世界が破壊されるということになるからだ.そしてよく調べるとそうでないことがわかると続けている.


ピンカーは論拠を4つ挙げている.

  1. それまでの大量破壊兵器は戦争の歯止めにはならなかった.ダイナマイト,潜水艦,大砲,無煙火薬,マシンガン,そして毒ガスまで戦争を止めることはなかった.どんな毒ガス兵器も1939年の戦争を抑止できなかったのだ
  2. 非核国同士も戦争に踏みきらなくなっている.例えば1995年にはカナダとスペインの間で漁獲物をめぐる争いが生じ,1997年にはハンガリースロバキアの間でドナウ川のダムをめぐる争いが勃発したが,どちらも戦争に訴えようとはしなかった.またドイツもイタリアも戦争をしようとはしないが両国とも核保有国に脅されたわけではない.
  3. 保有国同士が戦争しないことは,核抑止を使わずとも説明できる.彼等は通常戦争でも十分に避けたいのだ.核を使わなくても大量殺戮は簡単なのだ.通常戦争の大量の被害は避ける理由がなくて核戦争による報復のみ避けたいというのは不可解な説明だ.
  4. 非核国も保有国との戦争を避けようとはしない.北朝鮮北ベトナム,イラン,イラクアメリカと,アフガン,チェチェンはロシアと,エジプトは英仏と,エジプト,シリアはイスラエルと.またソ連が東欧で衛星国への支配を広げたのはアメリカが核独占している時代だった.


ピンカーのあげる理由はなかなか説得的だが,それだけではないようにも感じられる.核は普通の大量殺戮兵器とは異なる側面を持っている.核が大陸間弾道弾と潜水艦と組み合わされると通常戦力や(先制攻撃を含む)戦術で効果的に防衛することは事実上不可能だと考えられているという部分が非常に大きな要素ではないのだろうか.(だからこそレーガンスターウォーズ構想はその実現可能性の低さにもかかわらずソ連に衝撃を与えたのだろう)


ピンカーは次に何故核が決め手になっていないのか(何故非核保有国が核保有国に戦争を仕掛けるということが生じうるのか)について「核のタブー」を理由として挙げている.
ピンカーは「核のタブー」を「一旦戦術核でも使ってしまうと世界を永遠に変えてしまうのではないかという心理」だと表現している.それは宗教的・道徳的な色彩を帯びるようになり,世界中の非難を浴びることにも関係している.実際にこのタブーにより中性子爆弾は開発が中止され,原爆を土木工事に使うこともあり得ない選択肢になっている.


具体的には第二次世界大戦後10年ぐらいはまだ使用のオプションはあったようだ*1.しかし放射能の影響が長期間継続することがわかってきて空気が変わってきたのだとピンカーは指摘している.
アメリカもソ連も核開発は継続しながらも,片方で軍縮を協議するようになり,そして実際に使用されない期間が20年30年と積み重なるにつれ,タブーは一層強固になった.


一部では新興核開発国により核が拡散しこのタブーは弱まるという議論がある.これは北朝鮮やイランの最近の動きを見ると大変心配になってしかるべきところだろう.
ピンカーはこれについてまずこう指摘している.


ここでピンカーは核開発国数(開発中は1,放棄すると0)推移グラフを載せている.これによると1945年から2005年まで多くの国が開発に着手して放棄していることがわかる.瞬間的に開発中だった国は8カ国まで増えたことがあるが現在は2になっている.


そして核のタブーの頑健性については毒ガス兵器の歴史が参考になるとして毒ガス兵器のタブー化の歴史を説明し始める.

  • WWI前にハーグ条約で,投擲兵器による毒ガス散布が禁止された.
  • WWIでドイツは使用したが,この条約を気にしていた.「これは英仏が先に使用したことへの報復だ」「投擲したのではない.蓋を開けて風に任せたのだ」
  • WWI戦後,毒ガス兵器への嫌悪は世界中に広がり,1925年のジュネーブ条約で,毒ガス兵器の使用禁止に133国がサインした.(報復のための保有は認められた)
  • 1930年代にイタリアがアビシニアで,日本が中国で使用したが,非文明の周辺地域で生じたこととして,タブーは残った.
  • WWIIにおいては両陣営とも使おうとしなかった.(連合国の事故による使用はあったが,司令官の説明をドイツは信じて報復を行わなかった)
  • WWII以降の使用例は1967年のエジプトのイエメンでの使用,1980年から1988年のイラクによる自国民のクルド人へ,イランへの使用ぐらいだ.そしてフセインの使用は,湾岸戦争アメリカに正統性を与え,フセインの裁判でも追求された.
  • 1993年にすべての毒ガス兵器の使用,保有が放棄された.(これは化学兵器禁止条約のことを指しているようだ.現在188カ国が署名批准しており,未締結国はアンゴラ,エジプト,ソマリア北朝鮮,シリア,署名したが未批准刻がイスラエルミャンマー


何故,毒ガス兵器はタブーになったのだろうか.他の兵器と何が違ったのだろうか.
弾丸でも爆弾でも死傷すれば悲惨だ.戦場での有効性はそれほど高くないとされているが,穴にこもるような敵には有効だろう.開発されたばかりの時に扱いにくいのは全ての兵器で同じだし,銃だって最初は卑怯だといわれたが残った.


ピンカーは正確にはわからないとしながらも次のように推測している.
(1)ヒトの心にある毒物への忌避感
力のぶつかり合いはよくても毒はNGなのだ.この心理は「毒は魔法使いや女が使うもので,戦場ではフェアではない」という感覚に表れる.
(2)歴史的偶然
第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも大々的に使われることがなかった.第一次世界大戦でも市民には使われていない.


そして毒ガス兵器の歴史を踏まえると,核のタブーとの類似性が見えてくるとピンカーは指摘している.
双方とも大量破壊兵器であり,緩慢な死を与え,特に無差別攻撃的なところが似ている.そしてそこにモラルが絡めばタブーになる.ピンカーはモラルと結びついたタブーは特に頑健になると書いている.


このあたりのピンカーの説明は何となく完全には落ちにくいところがある.引き続きナパーム弾などの焼夷弾クラスター爆弾と何が違うのかはわからない.歴史的な使われ方というなら,何故地雷がNGになるのかがよくわからない.(あるいは現在ナパーム弾やクラスター爆弾もタブー化しつつあるということかもしれないが)世論がモラルとして捉えるようになるきっかけも歴史的な偶然に関わるということなのかもしれない.


ピンカーはここで化学兵器と同じように核についても廃棄に同意できるかを議論している.
まずキッシンジャーたちベテラン政治家グループが「グローバルゼロ」という核廃絶運動を起こしていることを取り上げている.これはナイーブな平和主義者の運動でないところが重要だという認識だ.功利的にいえばタブーにより使えない核を冷戦終了後も大量に保有するのは馬鹿げているのだ.
ピンカーは使用のタブーを保有のタブーに進められれば可能性はあるのではないかと論じている.超大国が持つのをやめればゴロツキ国家が持つといったときにそれは挑戦者ではなく犯罪者に見えるだろうというわけだ.ピンカーは軍縮は常に相手をだました方が有利になるし,廃棄しても再開発が可能なのでなかなか難しい点があることは認め,もしできたらそれは素晴らしい暴力の低下の実例になるだろうというコメントに止めている.


確かにここは難しいところだ.
(仮にアメリカの保守派が折れたとして)5大国とインド・パキスタンは同時に廃絶なら核廃絶をのみそうな気もする.しかし北朝鮮,イラン,イスラエルはそうも行かないだろう.そもそも現在の北朝鮮が国際世論のタブーを気にするのだろうかという疑問もある.そうはいっても誰も予想できない形で冷戦は終了したのだから,希望がないわけでもないのだろう.そうなれば素晴らしいだろうというピンカーのコメントには賛成だ.

*1:マッカーサー朝鮮戦争中のプランが想起される

*2:私は本書を読むまで認識していなかったが.南アフリカは1980年代にイスラエルの協力により核爆弾を保有していたが,放棄したとされているようだ