「淡水生態学のフロンティア」

淡水生態学のフロンティア ((シリーズ 現代の生態学 9)

淡水生態学のフロンティア ((シリーズ 現代の生態学 9)



本書は共立出版から刊行されている「現代の生態学」シリーズの一冊.このシリーズは全11冊で構想されており,それぞれの分野における生態学の教科書を出していこうというものだ.本書では,冒頭で淡水にかかる生態学には良い教科書が既にあるので,最先端の研究を紹介するという編集方針であると書かれている.編者は「日本生態学会」で編集委員として吉田丈人,鏡味麻衣子,加藤元海が名を連ねている.


冒頭では北半球のミジンコ類の系統地理が取り上げられ,氷河期の与えた影響の大きさ,氷河期を免れた日本列島の淡水生態系の多様性が示されている.その後様々な個別研究が次々に紹介されていてなかなか楽しい本になっている.個体群動態における異なる水系の同調性,補食防御としての表現可塑性,プランクトン類における素速い小進化,ヴィクトリア湖のシクリッドの種分化,魚類の種内多様性,外来生物の進化的反応,九州の河川における様々なコイ科の魚類の生活史記述,安定同位体や生態化学量論を用いた食物網構造の把握,河川の炭素循環,安定同位体手法の詳しい解説,微生物の遺伝子水平移動,より詳細な段階を考慮した微生物食物網の概念,植物プランクトンの消失過程,底生動物の生態,湖沼のレジームシフト,古陸水学による近過去の湖沼生態系変動の解析,沈水植物の再生などが取り上げられている.
私が読んでいて面白かったのは以下のようなところだ.

  • ミジンコの捕食者に対応した表現型スイッチのタイミングの変化が,小進化なのか表現可塑性なのかという問題については湖底に堆積した休眠卵によって調べることが可能であり,実際に小進化しているようだ
  • ヴィクトリア湖のシクリッドは環境に適応した視覚系を進化させるが,それはメスの選り好みに影響を与え,オスの婚姻色の分化を通じて種分化のメカニズムの1つになっているようだ
  • 北半球高緯度の淡水魚では食性に応じた形態に関する種内多型が多い.これは氷河期が終わり融氷により生息域が急速に拡大し,なお種分化にはいたっていない状態だと考えられる
  • このような種内多様性は実験系における操作が容易であり,捕食者の種多様性が生態系全体に与える効果を知るためのよい道具になる
  • 日本におけるブルーギル集団は北米のごく限られた地域のわずか十数個体のみを祖先とするもので遺伝的な多様性は低いが,既に様々な形態的な多様性が見られる
  • 北海道の河川において,最終的に捕食性魚類にわたるエネルギーの60%が,寄生虫であるハリガネムシの操作によるカマドウマの河川落下によるものであることが明らかになった.
  • 水中には溶存態DNAが溶け込んでおり,これによる細菌の遺伝子の水平移動が生じうる.
  • 植物プランクトンの補食によらない溶解死亡,ツボカビが植物プランクトンに付着し栄養素を吸い出して遊走子としてばらまく過程は物質循環に大きな影響を持つようだ.
  • 湖沼の富栄養化,アオコなどによる濁った水への突然の変化(レジームシフト)は沈水植物と植物プランクトンのどちらが優先するかにより生じ,正のフィードバックがあるために系は経路効果を持ちヒステリシスになる.一般的に巻き貝は沈水植物を有利に,ザリガニは不利にする効果があるようだ.


本書では最後に「人間社会と淡水生態系」という1章が置かれており,生態系の保全と地元住民との関係について触れている.人文科学系との連携研究として難しく書かれているが,結局「地元の理解が重要だ」というところをぐるぐる回っているような内容になっている.現場の苦労が目に浮かぶような締めくくりだ.
本書は最先端研究事例の紹介としてなかなか手頃な一冊になっている.研究者たちがどのようなことに興味を持っていてどんな研究がこれから進んでいくのかが実感できる書物だ.



関連書籍



共立出版の「現代の生態学」シリーズ(参考http://www.kyoritsu-pub.co.jp/series/111/


本書の他この2巻が既刊


森林生態学 (シリーズ 現代の生態学 8)

森林生態学 (シリーズ 現代の生態学 8)

微生物の生態学 (シリーズ 現代の生態学 11)

微生物の生態学 (シリーズ 現代の生態学 11)



この行動生態学を扱う近刊は来月発売予定で楽しみだ.


行動生態学 (シリーズ 現代の生態学 5)

行動生態学 (シリーズ 現代の生態学 5)