「The Better Angels of Our Nature」 第5章 長い平和 その12  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


ピンカーは長い平和は民主制と相関し,その背景には政治的経済的自由があると結論づけた.ではカントの唱えた連邦制はどうか.


<長い平和はカントの平和か>


カントはまず民主制国家は戦争しにくいとした.

  • 民主制は国内で法の支配を持つ.これが国際関係にも倫理的に適用されやすくなる.
  • 民主制国家同士では,国内政治プロセスが同じなので相互理解がより可能. 個人の使命感や宗教により動かない.
  • リーダーに説明責任があるので,あまりアホな戦争をしかけない.

そしてそれでも生じる国際関係の問題の解決には国家間の法の支配を説いた.

  • 自由な国家同士の連邦による国家間の法の支配.つまり国家間のリバイアサンを置く

実際に第二次世界大戦後に人々はどう考えてきたのだろうか.
ピンカーは,大戦直後は主権国家が複数あれば戦争は不可避だとして世界政府の願望(そして国連がそうなって欲しいという願望)があったが,現在人々はそれを真剣には考えていないとしている.理由については3点挙げている.

  • 機能する政府には信頼と価値の共有が必要
  • 比較するものがなくなるので牽制が効かなくなる,反対派は亡命できない.
  • 現在の国連はそうなるとは思えないものだ.安保理には拒否権,総会は専制リーダーの溜まり場


カントは世界政府ではなく自由国家の連邦制を考えた.


歴史的にこれに近い試みとしてピンカーはECSC,EEC,EUを挙げている.これは意識的に戦争抑止を考え,ヒト・モノ・カネの国境をなくそうとしたものだ.これは(戦争抑止としては)効果を上げている.ピンカーは「国家をクラブの中にいれると協力が生まれやすくなるのだ.争いが生じても他のメンバーの仲裁が期待できる.実際これにより(最後まで渋っていた)ポルトガルは植民地を放棄し,旧ソ連衛星国諸地域は民主制に転換した.」とコメントしている.


そして(意識的に戦争抑止を掲げていないものも含め)国際機関のメンバーシップが戦争を抑止するかどうかを統計的に調べると,これも効くことがわかる.つまり国際機関のメンバーになるのは戦争抑止に効くのだ.



<長い平和 究極の外因>


統計的な分析を全てまとめると,民主制,交易,国際機関のメンバーは全て戦争を減らすということになる.これらが全て上位10%に入ると戦争のオッズは83%低下する.


ピンカーはここでこれらの3要因にさらに外因があるだろうかと問いかけている.
そして最初の候補として「争いの結果を強いものの横暴によるのではなく,皆で決めようとする態度」ではないかとし,もしそうならこれはカントのいう「定言命法」が国際関係に生まれたと言えるのかもしれないとしている.
(ここでは政治学者は「ヒトは利己的で経済合理的に振る舞う」というモデルから抜け出せずに「リアリズム」からこれに反対するが,もしそうなら国際関係では全ての国家がサイコパスのように振る舞うことになるが,実際にはそうではないのだとコメントしている.)


すると「国際的モラル→民主制・交易・国際機関メンバーシップ→長い平和」という因果になる.さらにこのモラル的な態度の外因はあるだろうか?ピンカーはそれは「出版,識字率の向上,旅行などのコスモポリタン的な状況→人道主義革命」と同じ状況ではないかと主張する.
つまり,世界は情報化,テレビ,コンピュータ.ジェット機の世界に入って,私達はグローバルヴィレッジの住人になり,他の国の人々に関心を持つようになったというわけだ.ピンカーはその傍証としてソ連崩壊の際の状況をあげている.


確かに私達はここ40年を見てもはるかに外国の人々に関心を持つようになっている.日本人も東京オリンピック大阪万博を通じて世界の人々と触れあう機会が増え,実際に世界各地を旅行するようになり,さらに外国映画やドラマを日常的に見るようになって外国人の苦境に関心を寄せる度合いは大きく増えているのではないかと思われる.これはインターネットの時代になってさらに加速しているだろう.


最後にピンカーはもうひとつの外因候補を挙げている.それは「過去に学ぶ態度」だ.

  • ヨーロッパはそれまで,宗教戦争ナポレオン戦争,二つの世界大戦に恐怖し,再発を止めようと試みてきた,確かに最初の二つの試みは,背後から別の要因による戦争が生じて崩された
  • しかしだからといって常に戦争が戻ってくると決まったわけではない,戦争のサイクルではなくポワソン過程なのだ.
  • そして私たちはついに学んだのかもしれない.


ピンカーは長い長い本章の議論の最後に60年代の反戦ソングの典型的な歌詞を引いている.「一体何時になったら人類は過ちを学ぶのだ」と.そして「歴史上の多くの戦争のあとで,とりわけ最後の二つのむごい戦争のあとで,私たちはついに学びつつあるのかもしれない」と述べて本章を終えている.


長い平和は,民主制の進展,国際貿易の増大,そして各種の国際機関の創設によって実現した.このピンカーの議論はルセットとオニールによる統計分析に基づいている.そして最後の外因は「情報化の進展によるモラルの輪の拡大」と「歴史に学ぶ態度」だと主張している.ここの論拠は薄い.しかしそうなのかもしれないと思わせるものだ.
確かに国際関係において各国はサイコパス的であるより,よりヒューメインに振る舞うようになっているようだ.(北朝鮮のような態度は今や少数派になっている)もっともそれはさらに民主制であるから政権担当者が世論を気にするようになって,純粋のマキアヴェリズムを採りにくくなっているという側面もあるだろう.そして先ほども述べたように情報化の進展により主権者である一般大衆がより他国の人々に関心を持つようになっているという要素はあるだろう.ピンカーはベトナム戦争の時の子供の写真の威力を引いているが,それは確かに大きな要因になっているのかもしれない.


以上で「長い平和」の議論は終了だ.ピンカーは次章ではここ20年の内戦やテロの問題を取り上げる.