「化石の分子生物学」

化石の分子生物学――生命進化の謎を解く (講談社現代新書)

化石の分子生物学――生命進化の謎を解く (講談社現代新書)


本書は古生物学者で古代DNAの研究者である更科功による一般向けの本である.


冒頭は最近話題となったネアンデルタール人と現生人類との交雑にかかる話だ.ネアンデルタール人とは何か,ゲノムとは何かという解説を交えながら,古代の核ゲノムの解析からネアンデルタール人と現生人類の間に全面的ではないが一部交雑があったという結論を導いたリサーチが紹介されている.本書の工夫の1つは「何故そういう解釈ができるのか」を丁寧に説明しているところだ.特に「何故コンタミネーションではなかったと言えるのか」のところは詳細だ.(ネアンデルタールDNAの場合には女性骨からのY染色体の配列検出数を統計的に検討した結果が紹介されている)このあたりは現場でコンタミがいかに問題になっているかがよくわかるものになっている.
なおネアンデルタール人と現生人類の交雑で面白いのは,ヨーロッパ人だけでなくアジア人ともほぼ同じ数の共有塩基を持っている(アフリカ人とは持っていない)というところだ.本書では現生人類が出アフリカをした直後に西アジアでのみ交雑があったためだろう(その後の欧州での共存,隣接時には交雑がなかった)と推測している.


第2章ではミトコンドリアハプロタイプのリサーチ.例としてはルイ17世の物語が挙げられている.ここでは初期のダイデオキシ法を使った電気泳動による解読法が解説され,結局革命後に現れた自称ルイ17世は偽物だったという結論が紹介されている.


この2章がつかみというわけで,第3章からは古代DNA研究の歴史や方法が解説されていく.どのようにすれば剥製からDNAを読むことができるのか,初期の研究にはどんなもの(クアッガ,エジプトのミイラ)があるかが紹介される.続いてより古い化石からDNAが取り出せないかが問題になる.PCR法を使えば,一気に古い試料からも解読が可能になる.事例としては縄文人骨の分析が挙げられている.この結果によると北海道の縄文人は北東アジアとの関係が深く,現在のアイヌの人達とは遠いそうだ.また本州以南の縄文人のDNAも広く東アジアと関連し,特に東南アジアの影響が強いわけではないそうだ.


第5章では「ジュラシック・パークの夢」と題してさらに古い時代の化石からのDNAの問題を取り扱っている.マイケル・クライトンの「ジュラシック・パーク」のアイデアが古生物学に与えた夢を語り,系統分析の初歩の解説を交えてから,その試みを紹介している.初期の結果は興奮をもって受け止められたが,現在では,その多くの結果には再現性がなく,コンタミネーションが疑われているという現状が冷静に語られている.やはりある程度以上古いものは難しいようだ.


第6章以降は分子時計を使った分析になる.まずは進化とは何か,古生物の進化のパターン,自然淘汰,分子進化の中立説,分子時計などが簡単に解説されている.第7章では,この分子時計を使ったカンブリア爆発の解釈が取り上げられる.分子時計から見ると前口動物と後口動物の分岐はカンブリア爆発より古いという結果が得られる.本書ではカンブリア紀になって(何故だかはわからないが)補食という行動が生じ,そこで補食と補食防御のアームレースが進んだということではないかと推測している.これはパーカーの光スイッチ説のさらに粗いバージョンという印象だ.なお,このような補食防御に関する遺伝子の研究ということで,ここでは著者自身の研究が語られている.著者は軟体動物において貝殻形成にかかる遺伝子を分析し,別の用途の遺伝子が,重複の結果,貝殻形成に効率的に特化するというような進化は簡単に生じることがわかったと解説している.


最後に著者は「ティラノサウルス」のDNAの解析という夢の難しさと一筋の希望を語って本書を終えている.


本書は5章までは古代DNA研究の面白さ,その限界をうまく紹介し,大変面白い読み物になっている.これまで古代DNAについての紹介が書かれた本はあまりないようで,その意味でも貴重な本だろう.第6章からはいろいろなことを詰め込んだ結果,中心になるストーリーがなく,やや散漫になっているが,自分の研究なども入れ込んで,軽いエッセイのような仕上がりになっている.
それにしても(ある意味当然なのだろうが)何千万年も前の化石の分子分析はなかなか難しいことがよくわかる.そのあたりの誠実な描写も本書のいいところだろう.


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パーカーによるカンブリア爆発にかかる光スイッチ説の解説.
私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060324