日本進化学会2012 参加日誌 その1 


2012年の日本進化学会は,東京八王子の首都大学東京の南大沢キャンパスで8月21日から24日までの4日間開かれた.毎年の進化学会はいつもこの時期に開かれて暑かった記憶と混然となるのだが,やはり今年の八王子も暑かった.南大沢はいわゆる多摩ニュータウンの中心地の1つで,1970年代に想定された未来都市的な景観が広がるちょっと面白い場所だ.南大沢キャンパスは京王線の駅からアウトレットモールを抜けて徒歩5分という場所にある.
なおいつもの通り発表者のみ示し敬称は略させていただく.


大会初日 8月21日


午前の部は,小笠原の生物多様性シンポジウムも面白そうだったが,より行動生態的な進化的トレードオフのシンポジウムに参加.


シンポジウム「進化的トレードオフ」
 

「遺伝的トレードオフ:いくつかの人為選択実験の結果から」 宮竹貴久


最初はトレードオフについての一般的な解説.
まず個体にとってトレードオフの2形質であっても,実際に実現している形質を集団の中で見るとしばしば正に相関すること,トレードオフの2形質のバランスがどう解決するかはパレートフロントの形に依存すること,(生活史の中で)時間とともに変わっていくこともあることなどが解説される.
測定については,表現型の相関を観測する方法,遺伝相関を観測する方法,操作実験を行う方法(淘汰圧を実験的にかけて遺伝相関の変化を見るなど)などがあると説明.
具体例としては繁殖と寿命のトレードオフが取り上げられる.トレードオフがあるなら,年を取ってからの繁殖が有利にするように淘汰圧をかけると寿命が伸びることが予想され,実際にショウジョウバエなどで確認されている(これは「老化の進化論」の著者マイケル・ローズによるものだ).
発表者自身のリサーチとしては,ウリミバエで繁殖と寿命がトレードオフになっている例,コクヌストモドキで死んだふりをする補食防衛と繁殖がトレードオフになっている(これは至近メカニズムとしてドーパミンが絡んでいてちょっと面白い)例,アズキゾウムシで飛翔と死んだふり防衛がトレードオフになっている例が紹介された.


トレードオフがあるのは当たり前という気もするが,なかなか実験的に確かめるのは大変だ.



「流水環境への適応に伴う生活史形質間トレードオフ」 一柳英隆


普段はダムが生態系に与える影響を調べている研究者からの発表.
ここではナベフタムシが河川の流水環境でどのようなトレードオフに晒されているかが解説された.私は全く知らなかったが,ナベフタムシというのはカメムシの仲間で平たい身体をして河川の流れの速いところに生息しているのだそうだ.
河川の様々な流域で,38の個体群の様々な形質を計測して,環境要因との相関を調べる.なかなか複雑だが,大まかにいうと河川勾配(流速の速さ)が遊泳速度と相関し,遊泳速度と一日あたりの産卵量が負の相関になってトレードオフになっているようだ.そして至近的には横幅の広さが効いていると考えられる.
また卵殻の構造についても頑丈さと孵化する幼虫のサイズにトレードオフがみられるそうだ.



「生活史形質と性選択形質の間のトレードオフとその遺伝的しくみ」 岡田賢祐


冒頭でエムレンによる甲虫の性淘汰形質(ツノや大顎など)が発生段階の原基におけるリソース競合を起こしているというリサーチ*1が紹介される.
そして同じく甲虫であるオオツノコクヌストモドキにおける性淘汰形質のトレードオフについての遺伝的基盤のリサーチが説明された.この甲虫では大顎が性淘汰形質なので,これが大きくなる方向,小さくなる方向に淘汰圧を実験的にかけて他の形質との相関を見る.すると複眼の面積,触覚の長さなどと負の相関が認められる.また頭の大きさ,前胸部,前脚とは正の相関が現れる.前者は発達時のリソースをめぐるトレードオフ,後者は顎を支持するための形質的な適応とみるとこができる.また生活史全体での影響を見ると,卵や幼虫時には影響がないが,さなぎ時のオスの生存率と負の相関が現れる.これも武器を作るためのコストとしてトレードオフになっているようだ.


この2つの発表もいかにもありそうなトレードオフだが,実証の大変さが印象的だった.


「性選択形質間のトレードオフとその進化パターン」 林文男


昆虫の広翅目のヘビトンボについてのリサーチ.
冒頭で9属のヘビトンボを全部紹介する.大きな顎や頬が突出するような顕著な性淘汰形質が見られるものとそうでないものがあること,また栄養価の高い精包を使って婚姻贈呈するものとそうでないものがあることが解説される.
そしてこれらの2形質は関連していて,両方を持つものはない.また系統的に見ると武器が3回独立に進化(あるいは1回進化して2回消失),婚姻贈呈は独立に2回進化しているようだというもの.


なかなか面白い発表だったが(私はヘビトンボについてもよく知らなかったので興味深かった),2つの性淘汰形質間はトレードオフというのとはちょっと異なる印象だ.メイトガードが完全であれば,追加で婚姻贈呈してもメリットは何もないだろう.どちらかといえば生態的あるいは経路依存的に性淘汰形質が決まっているという話ではないかと思う.(なお発表の中では栄養価の高い精包を作ることと可能交尾日数にトレードオフがあることも示されていて,こちらは通常のトレードオフだ)


「社会性の進化とトレードオフ」 土畑重人


社会性昆虫のメスのカースト決定についての発表
まずあるメス幼虫が女王になるのかワーカーになるのかについては,その母である女王,父(女王が交尾した相手オス),幼虫個体,姉妹ワーカー間で利害が異なっていて古典的なコンフリクトの状況ということになる.
ここでこの問題を父母間のコンフリクトと姉妹間のコンフリクトに分けて考察する.父母間のコンフリクトは幼虫の発生時のゲノミックインプリンティングとして扱い,幼虫個体と姉妹ワーカーは発育段階での姉妹ワーカーからの操作にかかるコンフリクトとする.


<ゲノミックインプリンティング>
女王が複数オスと交尾するとすれば,父由来遺伝子は幼虫発生の女王比を母由来遺伝子より高くしたいはずだ.このインプリンティングの結果は通常アームレースとなってどちらが勝つとは決まらないが,ここでは結果的な女王になる遺伝子発現量が父由来発現量pと母由来発現量mの合計で決まる (Q=p+m) というモデル化をする.そしてp, mともに正の値しかとれないとするとESSはpは父親の望む発現量になり,m=0となる.つまりゲノミックインプリンティングは父由来遺伝子のみ発現する形で決まる.
実際にゲノミックインプリンティングがありそうだというメチル化の状況証拠も見つかっている.


<発育段階の操作>
これも通常はコンフリクトがアームレースとなってどちらが勝つかは一義的には決まらない(物理的制約などで決まる)が,ここでは幼虫の発現 (L) に対してワーカーが操作 (W) 可能である(ポリシング可能)としてモデルを組む.(Q=L-W) このようにモデル化するとESSはLが最大値をとり,Wは結果的にワーカーが望むように女王比が決まるように定まる.つまりワーカーの全面勝利になる.

このように考えると,現実のシステムが,幼虫は分化全能性を持ち,それをワーカーが世話を変えることにより女王になるかワーカーになるかが決まるという形になっていることが理解できる.極端な例としては分化が成虫段階で決まるトゲオオハリアリでは,翅芽痕が姉妹ワーカーにかみ切られるかどうかで女王になるかどうかが決まる.

またこのモデルを回すと女王の交尾回数が多いほど女王比が下がるという結果になる.(説明はなかったがこれは女王比がワーカーのポリンシングの全面勝利で決まる場合には,姉妹ワーカーと幼虫との平均血縁度が低いほど,(コンフリクトは激しくなるが結局姉妹ワーカーが勝つので)より姉妹ワーカーから見た低い最適女王比が実現するためだと思われる)これはコロニー内血縁度が低いほど,コロニーの全生産量から見た最適女王比に近づく(つまりより「協力的」)ということを意味しており,面白い結果だ.実際に分類群をプロットするとそのような傾向がある.


大変面白い発表だった.もっともこのESS分析では,実際にどちらが勝つかというのはこの Q=p+m,Q=L-W という式の形,p, m, L, Wの最大値最小値で決まってしまうので(基本的に範囲が広い方が勝つようにできる.ゲノミックインプリンティングで父が勝つのはmが負になれないということが大きく効いているように思われる),このあたりはモデルの妥当性についてより検討が必要なようにも思われる.ただ幼虫の分化全能性はこのモデルの仮定が結構いい線を突いていることを示しているのかもしれない.
(なおこの発表が何故トレードオフに関するものかについて冒頭で説明があったがやや苦しく,トレードオフの話というよりはコンフリクトについての話だったように思う)



以上で午前の部は終了だ.


関連書籍


老化の進化論―― 小さなメトセラが寿命観を変える

老化の進化論―― 小さなメトセラが寿命観を変える

前回私が書評したばかりの本だ.http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120827


In the Light of Evolution: Essays from the Laboratory and Field

In the Light of Evolution: Essays from the Laboratory and Field


エムレンの昆虫の器官のトレードオフの研究が丁寧に説明されている.(カラー図版も美しい)私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120313




  

*1:このリサーチではさらに甲虫のおかれた生態にとって重要な器官とそうでない器官を比べて,より重要でない器官とリソース競合を起こす形質が性淘汰形質として進化しやすいことを突きとめている.「In the Light of Evolution」にも紹介されている.