
The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Viking
- 発売日: 2011/10/04
- メディア: ハードカバー
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現代の悲観主義者の上げる「内戦,ジェノサイド,テロ」のうち内戦とジェノサイドは議論した.そして本章の最大の焦点はテロについてだ.
III テロ
<テロの特徴>
ピンカーはまず暴力の一形態としてみたときの「テロリズム」の特徴を整理している.
- テロの特徴は恐れと実害がアンバランスなことで,そもそもそれを狙うのがテロなのだ.
- 1968年以降世界中のテロの被害者は年平均400人であり,これは戦争や内戦に比べて二桁以上小さい.
そしてピンカーは「9.11以降米国社会はテロに取り憑かれた」とコメントしている.
ここは米国社会の変容振りがいろいろ書かれていて興味深い.ピンカーによれば米国は「ものの言い方」から「文明のあり方」まで変わり,巨大な官僚組織と馬鹿げた実務が残されたということになる.
- 確かに9.11の死者は3000人でそれまでの米国内のテロに比べて突出して多いが,それでもあまりに死者が小さいので,それを避けようと何かをすることによって逆に死者が増える可能性が高くなる.(例としてはイラク侵攻は別にしても,飛行機を避けて車で移動することにより年間1500人が死ぬと推計されていることがあげられている.)
<テロの認知心理学>
ピンカーはつづいてテロの認知心理学を整理する.
- リスク認識は「理解,把握可能性」「恐ろしさ」によって左右される.
- 新しく,探知できず,無差別で,時間がかかるものははリスクを過大にみる,またワーストケースを考える.
- これは捕食,毒,敵,天候のリスクに対する適応だと考えられる.より警戒し,わからないものには過大に対処する.
- これらのリスク認識の誤りは政策を歪めることが知られている.:添加物への過剰な規制など
- また目立つ事件が大きな影響を与えることも知られている.スリーマイル事故は実害はほとんどなかったが,その後のエネルギー政策に大きな影響を与え,温暖化を加速させた.
ピンカーはこうまとめている
9.11も同じ.リスクは過剰に受け取られ,国土防衛省はそれをさらに煽り立てる.
ビン・ラディンは50万ドルを使って,米国に5000億ドルを出費させることに成功したのだ.
つまりテロは死者の数ではなく,社会へのインパクトという点で重要になる.
このあたりは原発事故以降何かが変わってしまった日本社会にとっても示唆が多いところだろう.
<テロリズムの軌跡>
ピンカーはまず(核テロは別途議論するとして)ここでは伝統的なテロを扱うとし,その軌跡を追う.
テロは昔からある.ローマ帝国に対するユダヤの抵抗,11世紀のシーア派のアサシン,17世紀のインドのサグなど.20世紀初頭にはヨーロッパで頻発し,60〜70年代には1つのピークを形成した.(ハイジャック,SLAとパティ・ハースト,アイルランド分離独立,イタリアの赤い旅団,日本の赤軍,ケベック独立)
彼等はどうなったのか.ピンカーは「皆失敗して死に絶えたのだ」と答え,いくつかのリサーチを紹介している.
「アブラハムのリサーチ」
- 2001年に米国により海外テロ組織とされた28グループの42の作戦のその後の経緯を調査
- 一時的にも成功したのは3つ,現在でもそうなっているのは2つ(へズボラによる平和維持軍とイスラエルの撤退)
- 成功したのは一部領土目標のみで攻撃対象は軍
「クローニンのリサーチ」
- 1968年以降457のテロの分析
- テロはほとんど目標を達成することはない
- 指数関数的に消えて行き,平均存続期間は5〜9年
- 国家を得た例はゼロ,94%は失敗
- テロの終了:リーダーの逮捕・死亡,全滅,ゲリラや政治運動に変わる
- 多くは内部分裂で滅びる.最初の目標に失敗し過激化し,支持者に見放され,さらに市民に手を出して,殲滅に世論の支持が集まるという経過が典型的
要するにテロのダイナミズムは「グループは失敗して消えて行き,新たに別のテログループが生じる」というものであることがわかる.では全体の増加現象の傾向はどうだろうか.境界事例や政治的バイアスからデータの解釈は難しくなるが,とりあえず入手できる死亡率のデータから見ると以下のことがわかるとピンカーはまとめている.
- 米国:80年代に一旦鎮静,オクラホマ,コロンバイン,9.11が三つの特異点で,これを除けば低下傾向の方が大きそう
- ヨーロッパ:明確な低下傾向.マドリード事件をいれてもこの趨勢は覆らない
- 全世界:ブッシュ政権のグラフはテロの時代を示しているが,これにはアフガンとイラクの戦争のデータが含まれている,これを除けば70年代に上昇し,90年代からは下がっている.これは内戦の傾向と同じ.冷戦の代理戦争的なテロが治まったのだ.
この紹介されているテロのダイナミズムは説得的だ.日本におけるいろいろな事象にも思い当たることが多いだろう.
ピンカーはアメリカ人にとって最も関心のあるところの解説に入る.では9.11以降の「イスラムによる自殺攻撃」はどう評価されるべきなのか
<イスラムの自殺テロ>
まずイスラムの自殺テロ自体は増えている.
- 1980年代 年間5件
- 1990 年代 年間 16件
- 2001年〜5年 年間180件
これは市民を殺す上で悪魔的に効率的だ.安上がりで防衛が難しい.
ピンカーはまず何故このような攻撃が可能になるのかを扱っている.
あるいは「若い男性にどうやって死ぬ気にさせるか」
- 現代の軍では危険を引き受けるための報酬として,名誉を与え,小部隊で訓練することにより血縁淘汰的な擬似兄弟愛(男同士の絆,戦友愛)を植え付けることが行われている.
- しかしこれらはとっさの行動においてよく現れるもので,事前の計画的なものは難しい.例:WWIIの連合軍のドイツへの夜間爆撃,くじ引きで選んだ一定割合の飛行機を片道自殺攻撃させる方が,全員で帰ってくるべく攻撃するより効率的だとわかっていたが,できなかった
- 死後の世界での報酬は効くだろう.そして9.11の自殺攻撃者には効いていただろう.しかしこれだけでは難しいと思われる.例:最初に自殺攻撃テロを組織したインドの「タミールの虎」はヒンズー的な輪廻のイデオロギーを用いていない
なおピンカーはここで日本軍のカミカゼ攻撃について,死後魂が合祀されることが効いていたと書いている.ここはやや疑問だ.合祀はそれほど重要ではなく,おそらくもう少し世俗的な日本的な文化環境の中での名誉や恥の感情や家族への配慮が効いていたのだろうと思われる.
ピンカーは続いてスコット・アトランによる自殺攻撃失敗者へのインタビューに基づくリサーチを紹介している.
- テロリストは教育のあるミドルクラスのものが多く,精神異常者は少ない.
- 制度的に血縁利他を利用している:タミールの虎:命令に従わなければ家族を殺す.パレスチナ:成功すれば家族の面倒をみる.彼らは婚資がなく,結婚できないが,自分が成功すれば兄弟は結婚できるようになる.
- さらに大きな動機として「社会的なグループへの所属,そこに人生の意味を見出す」ということがある.
- 宗教の要素があればそれはさらに強くなる.コミットメントは神聖になり,精神的に満たされる.
- これに復讐心が加わる(イスラムに対する歴史的な侮蔑行為でも理由になる)
- ジハードは平等主義,兄弟的で誰でも参加できる.動機の基本はコーランや教義ではないようだ.つまりアル・カイーダは中央集権的なテロ組織というより分散的な社会ネットワークに近いものになっているのだ.
ピンカーは,「分散型ネットワークなどという頭のない怪物と戦って勝てるのだろうか」と問いかけ,しかし事実としてはイスラムのテロも失敗しつつあると主張している.
「イスラエル」
- 市民へのテロは,それまであった同情や妥協への機運を吹き飛ばしつつある.
- パレスチナは政治的にも経済的にも追い込まれつつある.これは2000年のキャンプデービッドの提案の拒否あたりからの傾向
- 自殺テロは,そのグループに属する人がすべて危険に見えるため排斥を呼びやすく,いい方法ではないのだ.
- ウエストバンクのパレスチナは非暴力の抵抗運動に変わりつつある.
「アル・カイーダ」
- 彼らのターゲットとされている目標は2004の10から2008には3に減っている
- これは(ビン・ラディン自身の殺害も含む)拠点が潰されつつあるという事態の進展もあるが,イスラム世界からの支持が減っていることが大きい.
- イスラムの人々は国際関係では暴力より節度が重要であることを学びつつあるのだ.そしてカリフの復活と不信心者の抹殺という目標が何を意味するのかを知りつつある.
- また追い詰められたアル・カイーダがお定まりの過激化,市民への無差別攻撃を行うようになってイスラムの人々も怒りを見せている.
バリのクラブ,ヨルダンの結婚式などイスラムの市民が殺されている
ピンカーは2007年あたりが転換点になって自殺テロも減少傾向に入った可能性があるとし,結局イスラムの自殺テロも他のテロと同じ軌跡をたどりつつあるとまとめている.
「テロは戦術であるから犯罪と同じで完全になくすことはできない.しかしそれは結局失敗するのだ.」
ピンカーこの後「なお残る悲観論者たちの議論」(文明の衝突,核テロ,イランの核,気候変動)を取り上げる.