The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Viking
- 発売日: 2011/10/04
- メディア: ハードカバー
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権利革命の3番目の項目は子供の権利だ.
III 子供の権利と子殺し,児童虐待の減少
子供の虐待についてピンカーは「多くの神話の主人公は捨て子だ」というところから始めている.要するにヒトの歴史上,捨て子,嬰児殺しは普通のことだった,その痕跡として,歴史には「神への生け贄,売却,過酷な労働,体罰」の記述があふれているのだ.
ピンカーは捨て子や嬰児殺しについて進化的な説明をまず行う.
<生活史戦略>
- 子を遺棄することは,条件によっては適応的になりうる.生物学ではこれは「生活史戦略」として扱われる.
- 自然淘汰は「母は無限の愛を子に注ぐ」ようには働かない.生涯の繁殖成功を最大化させるように働くのだ.
- そして生物学的には親による今の子どもへの投資と次の子どもへの投資の間に常にトレードオフが生じる.それは子の世話に投資する生物には特に重要になる.そして自然淘汰はサンクコストの誤謬には陥らないのだ.だからロスカットして次の機会にかける方が有利であれば,そういう傾向が進化する.これは「選別理論」と呼ばれる.
- ヒトの進化史においては,最近まで幼児死亡率は高かった.何人も産んでようやく平均2,3人が大人になる.だから母は常に望みが低い子は諦めてロスカットするようにハードチョイスを迫られた.そして望みに関するサインとは以下のようなものだ.:病気,奇形,上の子にまだ手がかかる,飢饉,戦争,父不在.
- デイリーとウィルソンの60の社会についての子殺しのリサーチによると,その大半で子殺しがある.文化人類学者のリサーチによると子殺しの動機の報告112のうち87%は選別理論にフィットした.:父がいない,病気,奇形,双子,すぐ上の子が小さい,経済状況が悪い
<至近的メカニズム>
嬰児殺しにはこのような進化的な背景があるので,他の暴力とは異なる心理カテゴリーに入っていることが多い.
- 母はそれが不可避であると認識し,深く悲しんでいる.
- 残酷な心が生む現象ではなく,厳しい人生の所産
適応としての心理メカニズム
- 母子の絆は一定の障害を乗り越えて始めて生まれる.
- 生まれたばかりの子はそれほど可愛いと思わない.
- 産後鬱,あるいはベイビーブルーという状況が現れて,冷静に「この状況にどう対処するか」を考えるフェイズがある.
- その後子供を可愛く感じ,絆が生まれる
<進化的な説明と整合的な観察>
産後鬱が適応であることと整合的な事実として以下の要因が産後鬱と関連している.
- 社会的支援がない(シングルなど)
- お産が重かった
- 子供が病弱
- 本人の失業
- 夫の失業
そして多くの社会では伝統的社会では子供が生まれたあと,生存の見通しがある程度つくまで,人々は子供と距離をおく.(見通しがつき母子の絆ができあがると)その後祝福の儀式と共に,名前をつけ,タッチする.
以上はかなり説得的な適応的説明だが,それでは説明できない問題があるとピンカーは説明している.それは子殺しが女児に傾いていることだ.
<女児殺し>
- 途上国,特にインドと中国では子供の性比が男の子に傾いている(1億人が失われているという言い方もある)
- これは多くのアジア諸国で,親の間に息子への選好があるためだ.
- 現在では超音波診断後に中絶という方法が多いが,過去から女児殺しという方法が広く行われていた.:水に沈める.毒を与える.すぐに殺さずとも,あまり世話をしない.
- これはアジアだけではない.ヤノマモ,古代ギリシア,古代ローマ,中世ヨーロッパ,ルネサンスヨーロッパでも捨て子は女児が多いことが記録されている.
生物学的には性比が1:1からずれると多い方が不利になるためにこれは説明できない.
これを説明しようとして「厳しい環境におかれた社会が集団の増殖を抑えるため:ZPG理論」といういかにも筋悪なグループ淘汰的説明があるそうだ.しかしこれでは説明できない.
- 女児ごろしと環境の厳しさに関係がない.
- (進化的な説明だとするなら)そもそもナイーブグループ淘汰的誤謬
では進化心理学的に説明できるだろうか.ピンカーによるとトリヴァース=ウィラード理論に基づいた仮説はいくつか立てられたようだが,いずれも上手くデータを説明できないとして棄てられた.*1
フェミニズムはどうか.彼女たちは「社会の性差別が殺しに及んだ」と主張する.しかし女児を殺す家族や社会も女性がいない方がいいと思っているわけではない.自分は息子を育て,別の人に娘を育てて欲しいだけだ.だからこの主張もなり立たない.
ではこれは何なのか.
ピンカーは文化的に生じた共有地の悲劇的状況ではないかと書いている.
- 伝統的な社会でとなりの部族と争っているようなところは父系的であることが多い.そして争いは戦士としての息子の価値を高める.これは女性をさらうための戦いが増えて悪化し続ける.
- 中国やインドでは軍事的理由ではなく経済的理由で息子を選好する.
- インドでは娘の結婚には金がかかる.中国では息子のみ扶養の義務がある.(一人っ子政策はこれを悪化させる)つまり息子は資産で娘は負債になっているのだ.
<嬰児殺しの減少>
女児殺しという興味深い現象でちょっと脇道に入ったが,本題の暴力の減少ということに関していえば,西洋では嬰児殺しはまれになっている.
- アメリカでは430万人のお産で,嬰児殺しは221人だ.これは数千分の1になっているということだ.
- この221人の1/4は産んだ当日母により殺されている.若く,社会的サポートのない母親たちだ.
- 残りは継父による虐待,母との心中などだ.
では何故減ったのか.ピンカーは以下のように整理している.
(1)犯罪化
(2)タブー化
- 犯罪化から一歩進んで,およそ人の命は奪ってはいけないというタブーになった.
もっともタブー化は完全ではない.「嬰児殺し」と「もう少し大きな子供を殺すこと」は何か違うと多くの人が感じているし,そのような立法論はあり得る.実務としてはアメリカでも,検事は嬰児殺しについて滅多に訴追しないし,陪審も稀にしか有罪にしないし,有罪になっても収監されることは少なく,期間も短いそうだ.
日本においてはどうだろうか.ちょっと調べてみたが,ここ20年だけ見ても母親による嬰児殺は大きく減少しているようだ.日本刑法上は特に殺人と嬰児殺を区別してはいない(韓国では区別があるようだ)が,実務的には「嬰児殺かどうか」は執行猶予がつくかどうかの大きな要因になるとされている,
ピンカーはタブー化の過程を解説する.
- 19世紀の植民者の記録などをみると,一人で荒野をさまようインディアンの少女を置き去りにしたり,安楽死させることは十分とりうるオプションだったことがわかる.(今日の骨折した馬と同じ)
- タブーはナチのホロコーストを経て強化された.:ナチは最初は精神異常者,障害のある子,ホモ,スラブ,ジプシー,ユダヤという順番に段階を進めた.このようなことを避けるには,人の命というところで明確に線を引くのが有効だと考えられ,タブーは強化されたのだ.
そしてこれはタブーであるから,現実とは合わないことがある.中絶,植物人間などの議論はおなじみだ.タブーは婉曲語法と偽善で武装されているが,実務には影響を与えないことも多い.結局キリスト教がいかに禁止しても,現実は厳しく,育てられない子はいずれ死ぬのだ.だから禁止されていても嬰児殺しの慣習は続いた.
要するにタブー化だけではこの減少は説明が難しいのだ.
犯罪化についても,厳しく取り締まりされたこともあったがそれには対抗策があった
- 寝ていて不注意で窒息させてしまった.鎮静剤としての阿片やアルコールの量を間違えた,デスキャンプ的な施設.
では上記2要因以外には何があるのだろうか.ピンカーは3つあげている.
(3)経済的繁栄,
(4)避妊,中絶の技術の進歩
(5)そして何より子供の価値の変化:子供は親のものではなく,社会の宝だという認識が広がった.そして社会は資金を出し,出産介護,孤児院,養子縁組制度を整えた.
このような嬰児殺の減少については「結局それは中絶に取って代わっただけで暴力の減少と呼べるのか」という反論がある.
確かに膨大な数の胎児が中絶されている.
- 西洋の女性の中絶経験 10ー25%,東欧,ロシア 50%
- 年間中絶件数:アメリカ 100万,ヨーロッパ 500万,その他の世界 1100万(なお日本については20〜30万というところらしい)
ピンカーはここではあえて中絶の是非について議論はしないといいつつ(リベラルであれば是ということだろうが),中絶の認識の変化が「暴力減少」についてヒントを与えてくれるとコメントしている.
それは保守派によくある「中絶の容認は人の命を軽視し,嬰児殺し,優生主義,ジェノサイドにつながる」という言説は間違いだということだ.中絶の自由化と子殺しの増加や(障害児の)安楽死件数や安楽死の合法化傾向に相関は見つからないのだ.むしろ自由になっている多くの地域では中絶件数自体も減り,その他の暴力も減少する傾向にある.
さらに保守派の議論には「片方で暴力が減っていても,中絶が増えているのならそれは偽善だ」というものもあるそうだ.
ピンカーは,これにはもっといい説明があるとコメントしている.
- それは現代はモラルの基礎を,宗教や慣習から,哲学や科学に移しつつあるというものだ.(ちょうど死の定義を心臓停止から脳死に変えたように)
- 命の価値は「意識,そして痛みや苦しみを感じる脳の活動」で決めようという流れがあるのだ.これによるとそのような脳の回路形成は妊娠26週以降だ.ほとんどの中絶はこれより前であり,人々は胎児を意識あるものとは感じていないのだろう.
- そして同時に,命あるものを破壊する嫌悪は強くなっている.それが中絶への態度にも現れている.世界中で中絶の件数は下がっているのだ.特にロシア東欧で激しい(ロシア東欧では共産時代から中絶は容易だった,しかし避妊具は経済統制からなかなか手に入らなかった)
- 低下の原因の多くは実務的なものかもしれない.しかしモラル的に中絶は嫌だという感覚も大きく効いているのだろう
中絶に関する言説はアメリカではセンシティブなところだから,ピンカーも結構踏み込んで議論をしている.宗教的な保守派が読めば怒髪天を突くようなところかもしれない.