「The Better Angels of Our Nature」 第8章 内なる悪魔 その4  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


ヒトの脳のソフトウェアにある暴力傾向について,次の類型はドミナンスだ.同種同性の個体間の地位争いに基づくものということになる.


IV. ドミナンス


ピンカーは,まず「優位をめぐる争いはシンボリックなことが多い.」と説明し,様々な英語の言い回しを紹介している.中には「砂に線を引く」とか「肩にチップを乗せる」とかの言い回しもあって面白い.なかなか思い浮かばないが日本語にも面白いものはあるのだろうか.


そしてこのドミナンス暴力はしばしばひどい喧嘩を生じさせる

  • 王朝,主権国家ナショナリズムの戦争は曖昧な「国家の優越」を巡って争われた.(WWI ですらその面がある)
  • つまらない口論からの殺人もこの類型


<名声がかかった暴力>


このドミナンスには進化生物学的な説明がある.ピンカーは次のように要約している.

このようなドミナンスは直接的には何も利益はかかっていないようにみえる.そしてそうではないことを最初に進化的に示したのはデイリーとウィルソンだ.彼等はこのようなシンボリックなことに「名声」がかかっていると喝破した.それはその個体の能力の情報にかかるのだ.
このためドミナンスの暴力は捕食の暴力と異なった側面を持つ.

  • 双方が同格で自信過剰だと稀にエスカレートするが,ほとんどの場合にはディスプレーで決着する
  • コンテストは情報交換:そして「名声」は共通知識にも続いた社会的構築.だから公開の情報がポイント,侮辱は盗みとおなじみみなされる.また見物人がいるとよりエスカレートする
  • 順位のグループがクローズだとゼロサムになるので争いは激しくなる逆に個人が多くのグループに属していると争いは和らぐ.
  • 情報がポイントで,どちらが上かわかれば争いは終わる.そしてグループ内で長期的な協力による利益があるなら「仲直り」が生じる.(だからチンパンジーは隣の群れのオスとは決して仲直りしない)


ピンカーはここで様々な各論を行っている.


《性差》
地位への争いは男女ともにあるが男性の方がそれをシリアスに受け取る.
そして男性の方が暴力的だ.
例:喧嘩遊び,いじめ,喧嘩,武器携行,暴力的遊戯,殺しのファンタジー,殺人,レイプ,戦争を始める,戦争の中での戦闘


この性差はユニバーサルで生得的だ.ピンカーはここで実効性比に基づく進化生物学的な説明を行い,さらにテストステロンや脳神経的な「オス間攻撃システム」などの至近的なメカニズムも解説している.



《生活史的な議論》
生活史的な議論からは,将来が短くなるとよりリスク許容度が上がって暴力的になりそうだが,実際には若いときの方が暴力的傾向が高い.ピンカーは以下のような説明を行っている.これはヒト特異的であることを上手く説明しているように思われる.

  • 中年になり体力が下がり,すでにある程度地位や権力を持っていると,子や孫育てへの投資の方が有利になる.
  • 地位というのは名声の問題であり,それを築いていく過程にある若い時の方が競争に勝つことの重要度が高い.


《自己評価をめぐる怪しい議論》
ピンカーは舌鋒鋭く,「ここ25年で最も異常な幻想は『自己評価の低さが暴力につながる』という考え方だ.これは自己評価を高めることを主眼においた教育界の動きを作り出してきた.」とコメントしている.

  • しかしこれは完全に間違いだ.ドミナンス的な暴力はむしろ不相応に自信がある方が激化する.実際のリサーチではサイコパス,ストリートのならず者,DVの夫,連続レイプ犯,ヘイトクライムの首謀者は皆ナルシシストで,現実に向かい合うと,自分の失敗などを他人のせいにして憎悪するという傾向があることが知られているのだ.


自己評価が不相応に低いのはその個人にとってあまりいい結果を生まないだろうから,低い人に高めるような指導を行うのはいいことなのだろうが,自信過剰にすることは少なくとも暴力減少という観点からは弊害もあるということなのだろう.


ナルシシストが権力を持つことの危険性》
このようなナルシシストが権力を持つと大きな悲劇につながりやすい.
過去の暴君をDSM診断した場合ナルシシスト症候群に該当する項目が多い.

  • 自分の偉大さを威張る,自慢する
  • 自己への崇拝を要求する
  • 他人への共感の欠如

これらはヒトラースターリン毛沢東,さらにサダム・フセインアミン,金正日に当てはまる

  • 銅像,肖像,追蹤的な集会,
  • 批判は重罪,容赦のない罰
  • 成功への過信

このことから民主制の暴力減少の観点からの利点には,「共感のない指導者の排除が可能なこと」「リーダー1人が全権力を握りにくいところ」があると考えられる.


<部族主義:地位への要求が自分の属するグループと絡む場合の暴力>


ピンカーは社会心理として本来個人にかかる地位のIDが自分の属するグループの地位のIDになると危険だと指摘する.

これは自分が属するグループがより高い地位を得るための競争心理を作る.社会心理学ではこれは社会的ドミナンス理論と呼ばれる.平たくいうと部族主義だ.これらは具体的には「愛国主義」,「人種差別」,「カルマ,国家運命主義」,「厳罰主義」,「現在の不平等に対する保守主義」などの形をとる.(これと反対なのは,人道主義社会主義フェミニズム,普遍的人権主義,進歩主義,平等主義などだ)


これは人権を認めるかどうかではなく,イングループかアウトグループかが問題で,それは些細な事からも生ずることが知られている.クツバン,コスミデス,トゥービイはEEAでは他人種の人と向かい合うことはごく稀だっただろうと説明している.心理的には人種ではなく,「同盟」が重要だっただろう.そして実際に偏見を作る強力なものの一つは「なまり」だ.人々は自分と違うアクセントでしゃべる人を信用しない傾向にあるのだ.


ここからピンカーは関連するいくつかの事象を説明している.


ナショナリズム
ナショナリズムは,心理と歴史の相互作用として理解できる.
具体的には以下の三つが溶け合ったものだ.

  • 部族主義にある心理的な衝動
  • 言語,住居地,祖先を共有すると言う「グループ」という認知概念
  • 政治的な政府という実体

アインシュタインはこれについて「はしか」と言ったが,単に頭痛だけで治るとは限らない.特にナルシシズムと合体すると厄介なことになる.


ルサンチマン
ルサンチマンとは「国家や文明が歴史的に偉大である権利を持つが,邪悪な敵により阻害されているという信念を持つこと」だ.
歴史家,グリーンフィールドとチロは「20世紀前半の悲劇は,ドイツとロシアがルサンチマンを持ったからだ」と論じた.そして現在,ロシアとイスラムがそれを持っているように見える.


片方ではこのようなのろいから上手く逃れているように見える国もある.


《個別の成り行きを決めるもの》
するとあるグループの野心が隣のグループの運命を決めることになる.片方で世界には多くの言語があって隣接しており,潜在的な紛争可能性は非常に多いが,実際に紛争になるのはそのごく一部にすぎない.では何がその運命を決めるのだろうか?

  1. 加害した問題児をどう扱うか,彼が所属するグループがきちんと罰すれば,それは単なる個別の犯罪になる
  2. イデオロギー:固有の土地,統一,歴史上の被害回復,現行政府は邪悪などがあると悪化しやすい


多くの平和的国家は部族主義から逃れる様々な工夫をしている.

  • 特定民族の魂のためだとは言わない
  • 複雑な仕組みを作り,シンボルはスポーツチームなどに限定
  • 血や土地は持ち出さない.シンボルは衣装

このような仕組みは,個人が多層的に多くのグループに属しているようなアイデンティティによくフィットする.


このあたりのピンカーの説明にはなかなか考えさせられることが多い.本来ドミナンスは個体間の争いに過ぎないはずなのだが,ヒトにおいては何故かグループ間でもその感情が生じるのだ.これが包括適応度的あるいは(新しい)グループ淘汰的に説明できるものか,あるいは社会性の副産物かについてピンカーは語ってくれていない(コスミデスたちの新奇環境の引用からみると後者だと考えているようだが).少なくとも現代的なナショナリズムイデオロギーは副産物的に捉えた方がいいのだろう.いずれにせよ厄介な問題だ.



<性差が持つ示唆>


このようなドミナンスにかかる心理には性差がある.
まず差別するのは男性に多いが,実は差別されるのも男性が多い.女性は,自信過剰傾向が小さく,個人的暴力やグループ間暴力傾向も小さい.では女性が権力を握るとより世界は平和になるのか,過去の暴力減少傾向はそれで説明できるのだろうか


ピンカーはこの設問に答えはイエスだがいずれも制限付きだと答えている.女性はより非暴力的だが,暴力的にもなれるし,過去女性の戦争指導者が存在したのも事実だ.これは以下のように理解できる.

  • EEAでは女性は誘拐,子殺しを恐れた,だから自分のグループの男性には勝って欲しかっただろうし,それを手伝っただろう.
  • それぞれの能力に合わせた分業はあっただろう
  • 一旦指導者になれば責任感から戦争を指導したとしても不思議ではない.

しかし長期的平均的には女性はより平和的だ.
女性団体は動物の権利や反戦により取り組むし,アンケートでもより平和的(ただしある特定の社会の男女の意見は性差を持ちながら強い相関がある)

  • 権力にある女性の割合,好戦性に影響を与える.
  • 女性の権利運動と平和運動は一緒に進む
  • 長い平和,新しい平和,女性の権利は一緒に進んだ.

これだけでは因果はわからない.しかし生物学的,及び歴史的に考えれば,権力内の女性の比率が平和に影響を与えたということは十分にありうるだろう.


<「適応としてのドミナンス感情」からの脱却について>


ヒトのドミナンスにかかる心理・感情はEEAの無政府状況にかかる適応だと考えられる.だから文明化プロセスが進んだ現代社会や条約が守られる国際関係では新奇環境に対する不適応となっている.とはいえ,それをある程度抑えるのは不可能ではないとピンカーは主張している.そして実際に20世紀中葉以降,ドミナンス,男らしさ,名誉,栄光などの価値の脱構築が進んでいるのだ.


ピンカーは要因として以下をあげている.

  1. 全般的なカジュアル化(非フォーマル化)
  2. 女性の社会進出
  3. コスモポリタニズム:他の極端な文化をみるとドミナンスにこだわることのバカさ加減に気がつく
  4. 生物学の進展:ドミナンスが動物的な要求だと理解されるようになった(ジャーゴンの浸透:40〜60年代 テストステロン,つつき順位,ドミナンス階層,90年代アルファオス)

そして実際に「栄光ある」「名誉ある」という単語の使用頻度は減りつつあるのだ.


ピンカーはこの適応的感情は現代環境において不適応だと指摘している.それは正しいだろう.しかしEEA環境において.その感情が適応的であったとしてもそれはその当人を必ずしも幸福にしたわけではないし,ましてやよい社会を作ったわけでもないだろう.だからここはむしろ遺伝子視点での適応と個人の幸福がずれていると評価すべき問題のように思われる.いずれにせよそれは問題を理解し意識することによってある程度克服可能なのだ.