「The Better Angels of Our Nature」 第9章 より善き天使 その4  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


ピンカーによるより善き天使.進化に寄り道したあと3人目のモラルが登場する.


IV. モラルとタブー


冒頭でピンカーはモラルのネットの効果は暴力減少や平和化にとってはマイナスだっただろうと書いている.

世界はモラルに溢れている.そしてモラルが元になっている暴力の総量は,利用や征服の暴力よりはるかに大きいだろう.モラルはどんな地獄も作り出せる.動機は過剰評価されているのだ.


しかしモラルは時にプラスの効果をもたらす.人道主義革命,権利革命はそれによっているのだ.モラルはイデオロギーをもたらすとともにそれを止める役割も果たせる.


《モラルの謎》
ピンカーはモラルが暴力抑制の役割を果たすことができることについて理解するためにはいくつかの謎を解かなければならないと指摘する.

  1. 何故時代や地域が異なると,モラルセンスは現代から理解できないような目的を持つのか?
  2. 何故モラルセンスは平均して苦しみを与えるような信念につながるのか?
  3. モラルセンスはどのようにコンパートメントされるのか(何故リベラルな信念を持つものが奴隷制を反対しないでいられるのか)
  4. 何故モラルはタブーに結びつくのか?
  5. そして何が変わったのか?


ピンカーは続けて,この謎については以下のように説明している.


(1)まずモラルについて,哲学的な問題と,ヒトの心理的なモラルセンスに分けて考えよう.
つまり(あなたが極端な道徳相対主義でない限りは)人はモラルについて間違うことがあるのだ.そしてここではモラルについての心のプロセスを考えよう


(2)モラルセンスは行動について考えるモードだ.これは単なる好みとは異なる.それらは以下の特徴を持つ

  1. モラル的な行動忌避は,一般的に妥当すると感じる.それは単にアスパラガスが嫌いというわけではない,殺人の忌避にはすべての人が従うべき問題になるのだ.
  2. モラルの信念は望ましいゴールを作る.そしてそれは破ってしまった時も変わらない.人はモラル違反をした時に様々な言い訳をするが,「いや実は殺人は良いことだ」とは言わないのだ.
  3. モラル違反は罰されなけれならない.単に罰してもいいのではない.これがモラルの作る大いなる害の元だ.


(3)モラルの信念は個別の規範とタブーの形を取る.理由があり演繹できる原理原則の形を取らない.

  • だから人々は「合意済みで一回限りで避妊しているインセスト」などについて悪だとすぐに判断するが,理由は説明できないということが生じる.(ジョナサン・ハイトのモラルダムファウンディング)
  • これは暴力忌避に働く.私たちは,嬰児の安楽死などについてそもそも行動の選択肢だと考えないのはタブーによるのだ.

このような規範とタブーは文化により異なるが,完全に任意のものではない.シュウィーダー,ハイト,フィスケはそれぞれ異なる枠を使っているが,規範とタブーがいくつかの次元,テーマに沿ったものであることを示している.

  • シュウィーダー:自律,共同体,神
  • ハイト:フェア,害の忌避,イングループへの忠誠,権威への服従,清純
  • フィスケ:共同体の中の配分,権威のランク,公平,マーケットプライシング


これらは以下の点で一致する.

  1. どの社会も道徳を黄金律や定言命法から決めていはない.
  2. モラルは「関係性モデル」における規範違反という形で捉えられている.つまり社会規範には文法があり,それは社会の違いのパターンを示し,違反に対してどう反応するかを予測可能にするのだ.


さらにピンカーは「関係性モデル」から得られる洞察について詳しく説明する.

  1. この関係モデル内での違反は「悪」になる
  2. 関係モデルを取り違えた場合には「悪」ではなく「無理解」になり,相手側には困惑から怒りまでの広い反応がありうる.反応の差異は「取り違いが意図的か」「何と何を取り違えたのか」「神聖性に関連するか」などに依存する.
  3. 「聖なるもの」への違反は怒りを呼ぶ.
  4. このようなタブーの心理は全く不合理というわけではない.それは「貴重な関係」を維持するためには有効であり得る.自分はそれを貴重に感じている(金に換えるようなことは思いもしない)ということをアピールできるのだ.
  5. 関係モデルのフレームを変えることにより聖なるものをそうでないものにスイッチできる.(例:生命保険,「夫の死を金に換える」フレームと「家族への責任」フレーム)またこれによりタブーをタブーでなくするのがある種の政治の要諦とも言える.
  6. 社会全体におけるモラルの変化もこの「関係性モデル」のフレーム変化として理解することができる.例:夫婦関係:伝統的にはこれは「権威」フレームだった,最近の西洋では「公平」フレームや「ビジネスパートナー」フレームに変わりつつある.
  7. 違反者が別の文化に属するものとわかれば怒りが和らぐことがあるのはこれで説明できる.ただし「聖なるもの」が絡むと怒りの和らぎもストップする.
  8. 政治イデオロギーの違いも関係性モデルである程度説明できる.:ファシズム封建制),神権政治(共有と権威)共産主義(平等と権威),リバタリアン(マーケットプライシング),アメリカのリベラル(害の忌避と公平),アメリカの保守(伝統,安定,神,性役割,軍)
  9. だから多くの政治イッシューもこのモラルの関係性の側面を持つのだ.(税,ゲイの結婚,医療保険,中絶,軍の規模,進化教育,メディアと冒涜,政教分離
  10. かつて正義や義務と考えられていたことが現在では滑稽に見える(決闘など)のもこれで説明できる.それはフレームの転換においてユーモアが生じるからなのだ.

では関係性モデルはどのように暴力を抑制し,あるいは暴力にライセンスを与えるのだろうか.ピンカーの議論は次のように進む.

  • 関係モデルの外側:これは捕食の暴力の対象になる.征服,レイプ,嬰児殺人,暗殺,戦略空爆,植民地の収奪など
  • 共同体のシェア:このモデルにおいてはイングループに同情による抑制を,アウトグループには動物的な非人間化を起こす.そのような対象者は理性,自制,個性,モラル,文化のない動物であり,神聖さ,清純さを欠いているものと扱われ,嫌悪感を生む.これが,部族,人種,民族,宗教にかかるジェノサイドイデオロギーの心理だ
  • 権威:これはパターナリズムとして下位者の保護義務を生じさせる.奴隷のオーナー,植民地政府,善良な君主の暴力抑制を生む.これを通じて平和化プロセスが進みうる.逆に,反逆者,異端,冒涜などへの厳罰にも通じる.これがグループ間になると帝国主義的な征服と支配を生む.
  • 平等・公平:相手の存在や厚生への利害を生む(相手がいた方が自分も利益を得られる)また視点転換により共感を生むこともある.交易の平和効果がこれに当たる.逆にTFTの報復が生じる.目には目を
  • マーケットプライス:基本的に暴力に対しては中立.しかし利益追求が暴力に結びつくことはある.奴隷市場,誘拐,脅しによる交易強制.また戦争時には効率的な殺戮を志向する.片方で功利的なモラルを生む(最大多数の最大幸福)効率的な警察,軍も作る.


ピンカーをこれらを歴史に当てはめる.

  • 少なくともここ300年の中で西欧においては関係性モデルの重みが変わってきたのだ.それは共同体(イングループ,神聖)→権威→平等公平→マーケットプライスという方向感を持つ.
  • おそらく現代アメリカの保守もリベラルもこのような分析は認めないだろう.しかし例えば保守の言い分はこの数十年で確かに変化しているのだ.実際に彼等はもはや,人種分離も女性の社会進出の反対も同性愛者の投獄も主張していないのだ.
  • この方向感が暴力を減らす理由は何か:モラルセンスはより小さい関係性に基づく方が違反が少なくなるのだ.どの関係性モデルも殺人のモラル違反を否定はしない.しかし大きなモデルでは個人への直接的な加害以外のモラル違反が多くなる.同性愛,性的放埓,冒涜,異端,無作法などがモラル違反の対象になり罰を要求する.
  • マーケットプライスの関係性は未だに多くの人を苛立たせている.しかしこれもこれまでの暴力減少のトレンドの延長線上にある.この関係性に基づけば,売春,ドラッグ保持,ギャンブルは合法化すべきことになる.それが望ましいことかどうかというという議論はある.しかし暴力に関していえば,これこそがポイントなのだ.モラルの領域を減らすことが暴力を減らすのだ.そしてそれが古典的なリベラルのアジェンダだった「部族や権威からの個人の開放,他人を害しない限り行動の自由」.さらにこの関係性からは「罰」は「報復」よりも「抑止」という方向性が生まれる.


最後の指摘はなかなか面白い.売春やドラッグやギャンブルはモラルの領域から外した方が世界の暴力は減るのだろう.もっともだからといって即合法化という議論にはならないように思う.それを純粋に功利的な政策として行政法の分野で規制することは別の議論として成り立つだろう.



ピンカーはここで,このような心理学から得られる実務的な紛争解決への示唆としてアトランのリサーチを紹介している.

  • 平和交渉は通常マーケットプライスの関係性(互いに譲歩して,停戦による利益を得る)に基づいて行われているが,神聖を通じてのみ可能なことがある.
  • イスラエルパレスチナの過激派を含む数百人のリサーチ(互いにその土地が神聖だと考えている)
  • このような土地が「神聖」と考えている人々はたとえ「相手が土地の99%を譲る」「米国やEUが巨額の援助を100年間続ける」という実利的には有利な解決策も強く拒否する.
  • しかし「相手が自分たちの「神聖」の主張を譲歩する声明を出す」とはるかに態度は軟化した


このリサーチの意義は大きい.それまで誰もこのような解決方法があるとは考えなかった.合理的なプレーヤーとして交渉するより,モラル的なプレーヤーとしてシンボルを操作してリフレームするなどにより交渉する方が効くことがあるのだ


ではこのような関係性モデルの方向性は何故生まれたのだろうか.ピンカーは要因仮説を2つあげている.


(1)地理的,社会的流動性の増大

  • 人々は小さな家族,村,部族に限定されず,別のサークルを探せるようになる.そしてより広いモラルを知るようになり人権的になれる.
  • オープンな社会:成功に関して生まれより能力や努力が効くようになると,共同体や権威は単なる歴史だったり,不公平の遺産だと感じるようになる.
  • 多様な人と取引し,協力する.清純の感覚は薄れる.(ホモの知人がいるとより寛容に)
  • この傍証:アメリカのブルー(リベラル)とレッド(保守)の分布図.カウンティレベルでみると海岸と水路沿いにブルーが広がっている.


(2)客観的な歴史のスタディが進んだ

  • そもそも共同体の価値,権威の価値は,共同体や権威が永遠に続く,神に由来すると考えるところに負っている.:血統による継承のある権威が基礎になる.神話が好きで,歴史,社会科学自然科学が嫌い.ナショナリズムは伝統と栄光を強調する.
  • いずれも歴史が新しいこと,過去に過ちを犯していることは都合が悪い.
  • この傍証:今日のリベラルと保守との争いの大きな部分は,学校なカリキュラムや博物館の展示にかかるもの


ピンカーのこのモラルによる暴力の誘導と抑制の分析にはかなり力が入っている.おそらく本書の中で最も強く主張したい部分の1つなのだろう.私としてはハウザーたちによる「モラル文法はEEA環境における進化の産物でユニバーサル.具体的モラル判断は非常に文脈依存的でトリッキーな内容になる」という知見が組み込まれていないのがちょっと不満だが,ここでの分析は,「ユニバーサルなモラル文法は,おなじような関係性モデルという環境において,同じようなフレームを発現させる」というところに焦点を当てたものだということなのだろう.


それにしても自分のモラル的価値観を絶対的に感じている人達には,このような相対主義的な分析は到底受け入れられないだろう.(マーケットプライス関係性に対するほとんど理屈抜きの嫌悪感は日本でもよく見かける)結局モラルが絡んだ紛争はこれからも解決困難であり続けるのだろう.(それを逆手にとって対処しようというアトランのリサーチは興味深い)私としては特定のエネルギー発生装置や日本海東シナ海の小さな岩に「神聖性」がつかないように祈るばかりだ.