「The Better Angels of Our Nature」 第10章 天使の翼の上 その1  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


ここまで9章を費やして,ピンカーは歴史の上に現れる6つの暴力低下傾向を示し,それに関連するヒトの本性を5人の悪魔と4人の天使として描いてきた.では今後どうなるのか,私達はどうすればいいのか.ピンカーはまず「私は楽観しているわけではない」とコメントする.物事は複雑で,様々な条件により異なる軌跡を描きうるのだ.ピンカーは楽観とは知的傲慢であり,簡単に将来予測や単純な政策議論をすべきでないという立場を取っている.
そして,最終章はどのような力が,6つのプロセスを通じて5人の悪魔を4人の天使が抑えてきたのかを考察しようというものだ.


<重要だが非一貫>


ピンカーはまずよく関連するかのように議論されるが,暴力低下傾向と単純に相関しない力を見ていく.それは「武器」「リソース」「富」「宗教」だ.


(1)武器と武装解除

  • 暴力に注目する人は武器とその解除に注目してしまう.軍事史に関心がある人は皆,ロングボウ,鐙,銃,戦車に夢中だ.また逆に非暴力を進めようとする人も武器に注目する.反核,銃規制.さらに恐るべき武器が抑止能力を持つ場合もある
  • 武器のテクノロジーは歴史を通じて上昇してきた.片方で抑止力が上がったし,片方でマシンガンの蔓延が途上国の状況を悪くしているのも間違いない.
  • しかし歴史をみると武器と暴力は同期していない
  • 弓矢の時代の殺人率の方が30年戦争のパイクと重騎士の時より大きいし,後者も第一次世界大戦の時より大きいのだ.16世紀の軍事革命は軍隊の革命だった.またジェノサイドは刃物で十分効率的にできる
  • 長い平和や新しい平和は軍縮が先立ったわけではない.平和になってから軍費が下がり平和の配当となるのだ.
  • 核は結局使われなくなった.それはその後の世界の成り行きには無関係に見える.開発コストから見て必ず使うだろうという予想は外れた.

ピンカーは以下のようにまとめている

要するに技術で説明できないのは当たり前だ.
ヒトの行動は刺激反応ではないのだ.目的に導かれるのだ.ポイントはある人が別の人に死んで欲しいかどうかだ.簡単に言うと銃が人を殺すのではなく,人が人を殺すのだ(これは銃規制に反対というわけではない*1
武器は歴史のダイナミズムにとっては内生的なのだ.人間は強欲だったり恐れを抱いて武器を作るのだ.


(2)リソースとパワー

ピンカーは「1970年代のベトナム戦争タングステン説:彼らはイデオロギーとは無関係に南シナ海タングステンを争っている」を最初にあげてこのような言説がいかにポイントを外しているかを示している.

  • 戦争のリソース決定説によると人々は土地や水や資源を巡って争う.あるバージョンでは配分が平等かどうかで戦争と平和が決まり,別のバージョンでは取り合いのバランスオブパワーで戦争と平和が決まる
  • 確かにそのダイナミズムがない訳ではないが,それでは暴力の減少のほとんどは説明できない.
  • ここ500年の最も破壊的な暴力は資源ではなく,イデオロギーをめぐるものだ.宗教や革命,ナショナリズムファシズム共産主義もすべて資源目当てだというこじつけの議論もあるが,もはや稚拙な陰謀論にしか見えないだろう.
  • これに似た議論としてリソースではなくパワーを重視する議論もある.しかしバランスオブパワーという議論には,ソ連崩壊もドイツ統一も戦争には結びつかなかったという反証をあげれば十分だろう.
  • またリソースが見つかって平和になるわけではない.むしろ途上国では争いの元になる

これは進化心理的には当たり前
男性は裕福であっても,女性や地位を巡って争うのだ.そして富はリソースだけで決まるのでもない.経済学の教えるところによれば知恵,努力,協力の要素の方が大きい.
つまりリソースの争いは自然の定数ではなく,社会関係の中から生まれるのだ.協力してポジティブサムを取りに行くこともあれば,争ってゼロサム(争うコストまでいれるとネガティブサムだが)で取り合うこともあるのだ

例えていえば,アメリカはカナダを侵略してニッケル資源を取ることもできる.しかし貿易により入手し,分業により栄えることができるのに,侵略という方法をとるのは馬鹿げているのだ.


(3)裕福さ

  • 何千年にわかり,人類は豊かになり暴力は減少した.では豊かになると暴力は減少するのだろうか?確かに貧困により痛みや不満があると怒りっぽくなるだろう,また豊かな方が命の値段を高く評価しそうな気もする.
  • しかし富と暴力の強い相関を見つけることは難しい.
  • 前国家状態:温帯の定住社会の方が奴隷制や戦争の文化を持っていた.
  • 初期の帝国:裕福で,残酷だ.奴隷制,征服・・・
  • 民主主義や人権主義革命は18世紀に始まった.そして産業革命で豊かになるのはそのあとの19世紀だ.健康と長命はさらにそのあとだ.
  • 繁栄と人権も細かくみると相関しない.確かに南部のリンチは綿花価格が下がると増えた.しかし全体のリンチ減少は大恐慌時代にも続いたのだ.1950年代の権利革命は景気のサイクルとは無関係だ.そしてアジアの子供への体罰の許容性は富とは相関しない
  • 暴力犯罪と経済指標も相関がない.大恐慌では犯罪は減った.60年代のブームで犯罪は増えた.そして最近の減少はリーマンショックがあっても継続している.犯罪の動機をみれば,目当ては金よりもモラル的(報復と正義)なものが圧倒的に多い.
  • 確かに相関が見つかるものもある.それは国別のデータだ.一人当たりGDPが1000ドルを切ると急速に暴力が増えるのだ.
  • しかしなぜかを説明するのは難しい.金で多くのものが買える.そのうちどれが原因かは難しい.健康か,教育か,警察か
  • 戦争と貧困も因果の向きは難しい.確かに貧困と内戦は相関する.しかしジェノサイドとは相関しない.(30年代のドイツは大恐慌の影響が比較的小さく,経済はブームになりつつあった)

これらの入り組んだ関係は,要するの人はパンのみで生きているわけではないということなのだ.人々は信念とモラルを持ち,物質的な利益より,精神的純粋性,共同体の栄光,完全な正義を求めることがあるのだ.(それがいいか悪いかとは別だ.おそらく悪いことの方が多いだろうが)


(4)宗教

  • 古代の宗教ドグマにいいことはあまり見つからない.超自然は人々の犠牲により正当化された.神の啓示は,ジェノサイド,奴隷,異端排斥,不信心者の大虐殺,女性の抑圧・・・の正当化につかわれた.人道主義革命に対し,原理的宗教家は激しく反対した.「神聖」という概念は.他人の利益を無視し妥協の道を閉ざし,多くの悲劇を産み,そして多くの宗教戦争を引き起こした.それは今でも中近東で続いている.
  • よくある宗教擁護派の反論は,ナチズムも共産主義無神論だったというものだ.しかしこれらは,前者は間違い,後者は関係がない.ナチズムはキリスト教的な側面があり,高官の多くはキリスト教を信じていた.共産主義無神論なのは確かだが,その終末思想はキリスト教的でもあるし,そもそも人権や自由の否定が問題なのだ.
  • しかし特定の宗教が,特定の状況で平和の推進に役立ったことがあるのも事実だ.(例)クエーカー教徒の奴隷制反対,プロテスタントのワイルドウエストでの役割,アフリカ系教会の公民権運動や90年代の犯罪減少における役割,南アフリカでのアパルトヘイト後の融和.だからヒッチングの「How Religion Poisons Everything」は言い過ぎなのだ.

宗教には複数の力が含まれている.それぞれの力はそれぞれの状況での元で生じる.
だから全体の潮流の中で,それが啓蒙的に動けば,スタンスを変える.旧約聖書を文字通りには受け取らなくなる.(例)モルモン教による正式な教義の変更:1890年に一夫多妻性を放棄し,1978年にはアフリカ系の牧師を認めるようになった
そしてそのような流れに原理主義的な宗教が反対すれば,それは暴力的になるのだ.


武器やリソースや富は単純に暴力に働くわけではない.それはヒトの意思決定の条件の一部を構成するに過ぎないのだ.このピンカーの議論はよくわかる.
そしてピンカーは宗教について「内なる悪魔」としては扱わず,それは原理的には暴力を推進もできるし抑制もできるという扱いにしている.しかしイデオロギーであってもその内容になっては時に暴力抑制的に働くこともあるだろう.「宗教の中のイデオロギー性,原理主義性が『内なる悪魔』であって,宗教自体は『悪魔』ではない」というのは政治的には穏当で,本筋でないところで余計な議論を巻き起こしたくないという姿勢の表れでもあるのだろう.現代アメリカの状況を考えるとわからなくもないところだ.





 

*1:もちろんこうコメントしておかないと,「ピンカーは銃規制反対派だ」ということにされてしまいかねないほど銃をめぐるアメリカの論争はナスティなのだろう