「キレイならいいのか」

キレイならいいのか――ビューティ・バイアス (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

キレイならいいのか――ビューティ・バイアス (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)


本書はアメリカの法学者でフェミニストであるデボラ・ロードによる容姿差別にかかるフェミニズム的な主張の本だ.私はあまりこの手の本には縁がないのだが,一応容姿の好みにかかる性差について生物学的な根拠にもふれているということで読んでみたものだ.原題は「The Beauty Bias」.


容姿差別にはいろいろなものがある.本人の意思でどうにもならないものから,自由意思で身につけているものまで幅広い.中には本人が自分のアイデンティティとして重要視しているものもあるし,肥満のように簡単には本人の意思通りにはならないにもかかわらず,世間からは意志薄弱の故と誤解されやすいものまである.
著者はこれらをあまり明確に仕切らずに「容姿に基づく差別」として扱っている.おそらくそれは境界は必ずしも明確でないということもあるだろうし,一見自由意思でどうにでもなるように思われるものについても差別を容認したくないということから戦術的に行っているのだろう.


最初に取り上げるのは,女性が社会的に要求される身だしなみにかかるコストだ.化粧にかかる時間のロス,ハイヒールや化粧品が与える健康上の問題,さらに摂食障害などを考えようということだ.
この部分で生物学的な議論も行われているが,結局美しいとされる基準はユニバーサルではないのだからこれは文化の問題だとあっさり片づけられている.(しかしその深い部分にはユニバーサルがあるわけで,ここはもっと深く考察してほしい.私にとってはがっかりというところだ.もっとも結局本性がどうであろうと差別の問題はそれと独立な価値観に基づいてしか決められないのだから議論にとってあまり本質的な意味はないのかもしれないが)
とはいえ,現代アメリカにおけるこの弊害の状態の記述はなかなか面白い.消費者は嘘八百の商品に騙されて大金を払い,ビジネスの対象はどんどん若齢化し(とあるリアリティショーでは2歳児が化粧を決め着飾って気取って歩いて競うのだそうだ),女性スポーツ選手は美人かそうでないかで扱いがまるで異なり,政治家も女性であれば容姿や服装のセンスについて容赦ないコメントを浴びせかけられる.


このようなコストを「女性が不利な取り扱いを避けるために強いられているが故に生じる」と捉えるならまさに容姿差別の問題になる.片方で「美しくなりたい」という女性の心理は厳然とあるわけで,それは自己実現のため,自分の幸福のためで周りからとやかく言われるべきものではないという部分もある.
面白いのはフェミニストとしてこういう問題について社会を変革すべきだと戦ってきた女性が,結局しわ取り手術などを受けてしまい,様々な言い訳をしているところだ(私のお気に入りは「私にはもはや社会を変革する時間は残されていない.それにそれはさんざんやってきたからもういいでしょ」というものだ).著者に言わせると,これは容姿差別に傷つき,そしてフェミニストとして筋を通せなかった自分にさらに傷ついた二重の犠牲者だということになる.


著者はこの問題に対してのフェミニズムの主張とそれへの批判の歴史を概観し,結局女性たちは「容姿は屈辱感のためにあるのではなく喜びの源泉であるべきだ」という価値観を共有しているようであるから,その方向に社会文化を変革していくことが望ましいのだと結論づける.なんだか強引だが,リベラルなフェミニストとしては自然な結論なのだろう.


そこからは実務的な戦術の議論になる.基本的な主題は「容姿差別の禁止」を法定すべきかどうかということだ*1.すでにそのような条例がある地域での実際の裁判例なども詳しくみながら細かく議論されている.
論点は二つあって,本人の意思によってどうにもならないものと服装やピアスの問題を同じに扱うか,消費者が求めるからというビジネス上の理由をどこまで広範囲に認めるかというところだ.著者は,リベラル的な価値観から,前者については別に扱うべきではなく,後者については非常に制限的にしか認めてはならないという立場で議論している.フェミニストなら当然そう主張するというところだろう.
ただちょっと面白いのは「お客様が望むから」という理由を認めるべきではないという議論のところで,「ヒトの自然な傾向に反する法を定めるべきか」という問題が扱われているところだ.著者は「確かに人の本性に反する法は禁酒法のように失敗することもある.しかし片方で公民権運動はそれでも差別を禁止するのだというスタンスで広がってきたのだ」と指摘している.私は当初「本人の意思でどうにもならないものはともかく,服装のような問題はビジネス上の理由があるなら,雇用の際に契約で明記する等によって雇用者が自由に定めることにして問題ないのではないか」と考えながら読んでいたのだが,共感の輪が広がるモラル的な問題については法をもって社会を変えていくということを試みる価値があるのかもしれないと考えさせられたところだ.
いずれにせよ著者も指摘しているが,容姿差別の問題を法だけで解決するのは難しい(差別者側は様々な言い訳が用意できる).なかなか微妙な問題は多そうだ.日本では社会の意識という点ではさらに遅れているのだろう.


というわけで本書は社会的な問題意識が全面に出てくる本なのだが,しかしこの本ははっきり言って冒頭が一番面白い.それまで法学の研究者として全く服装や身なりにかまわなかった著者が,それなりの地位を得るにつれてどんどんそれでは通らなくなるいきさつがコミカルに描かれていて,リベラルの牙城のようなアメリ東海岸でもあるカテゴリーに属する女性はあるカテゴリーの服装と身だしなみを実践しているべきだという社会的なコードが強烈であることがよくわかる.やはりこの問題はなかなか根が深いようだ.


関連書籍


原書


The Beauty Bias: The Injustice of Appearance in Life and Law

The Beauty Bias: The Injustice of Appearance in Life and Law





 

*1:詐欺的商法についての規制も取り上げられているがこれには誰も異存はないだろう