「The World Until Yesterday」 第2章 子供の死亡の補償をどうするか その1 

The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?

The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?


第2章は伝統社会における紛争解決を見る.いかにもコモンローの国の学者らしくダイアモンドはケーススタディから始める.これは最近ニューギニアで生じた実例で,方式は伝統社会的だが実際には西洋文化流入した都市において生じたものだ.ダイアモンドは伝統社会の紛争解決方法には「平和的なもの」と「暴力的なもの(報復襲撃)」の2種類あり,これは前者の例になるとしている.そしてこの「平和的な解決方法」は「補償」が基本になるが,この訳語は適切ではなく,むしろ「謝罪及びお悔やみ金」というようなものだと説明している.
ダイアモンドはこのプロセスは現代人にとっても,今後も顔を合わせる相手(子供のいる離婚,兄弟の相続争い,近隣問題など)との紛争解決方法としては示唆に富むところがあるとコメントしている.



第2章 子供の死亡の補償をどうするか


パプアニューギニアでの交通事故のケース>

高地民族出身のマロは勤め先の会社の車を運転中,停車していた別の車の陰から突然飛び出した子供ビリーを避けることができず,死なせてしまう.ビリーはマロと異なる低地民族の一人だった.ニューギニアの法律は,この場合運転者はその場にとどまると群衆からリンチに会うリスクがあるので,近くの警察に出頭すればいいことになっている.マロはそれにしたがってその場を立ち去って警察に出頭し,警察のエスコートで自分の村に帰り,その後数ヶ月そこにとどまる.


2日目.マロの雇用主ギデオンは,(事故が会社の車によるものであることから)被害者側からの会社への襲撃のリスクを考え,そのほかの雇用者にも出社しなくていいといい,一人でオフィスに出社して,ガードにだれも入れないように念を押した.
しかし窓から見ると低地族の大男が3人こちらを見ていることに気づく.彼は逃げ出すと近くに住んでいる自分の家族が危ないと考え,仕方なく彼等に微笑みかけてみた.男も微笑んだので,リスクはあったがほかにどうしようもなく窓を開けた.男は(後でビリーの父親のペチだとわかる)冷静な様子で話がしたいという.ギデオンは彼を一人だけオフィスに通して座って話をした.
彼は冷静で丁寧で直接的だった.自分がビリーの父であること,あれは事故であって加害の意図はないことを理解しているといい,「問題を大きくする気はない,葬式の参列者に振る舞う食事のための食料と金を出してほしいだけだ」といった.ギデオンは弔意を口にし,曖昧なコミットを与えた.そのあとすぐに食料を買い出しにいったスーパーでまたペチに会うが,そこでも暴力的なことは起きなかった.ギデオンはその日のうちに会社のシニアメンバーでこのような交渉の経験のあるヤゲワンに相談した.


3日目.会社でミーティングして善後策を協議した.すぐにビリーの村に謝意を表しにいった方がいいかとギデオンは聞いたが,ヤゲワンはまだ興奮している人もいるからやめた方がいいといい,伝統的な解決プロセスを説明した.まず使者を立て,地区の議員と相談する.そして議員の立ち会いの元,遺族や村の部族の人と会い,交渉するというプロセスだ.


4日目に交渉が行われた
その結果,補償金の額(1000キナ,約300ドル)と翌日に儀式が行われることが決まった.


5日目.葬式と和解の儀式
ギデオンと会社のメンバーがビリーの村に行き儀式に参加.まず叔父が話す,そしてギデオンが,「自分の息子に生じたと思えばいかに悲しいか計り知れないことがわかる.持ってきたものはビリーの命に比べれば何でもない.ただただお悔やみ申し上げる」といい,父親が,「これは事故であり,重大な過失がないことは理解している.来てくれてうれしい,ビリーを失い,ただただ悲しい」と話す.その後叔父たちが「これ以上問題をこじらせはしない.あなた方の謝罪と補償は受け入れられた」と話す.
皆泣いている.そしてその後,皆同じものを食べる.儀式はフォーマルで形式が決まっていて抱き合ったりすることはない.


ダイアモンドはいくつかコメントしている

  • これがわずか5日目だということに注目して欲しい.アメリカならまだ双方が弁護士と話をしているところだ.
  • もし故意や重大な過失があればどうなったのか:彼らに聞いてみると,解決プロセスは同じだという.しかし遙かに危険で結果は不確実になる.遺族は交渉を受け入れずに血の復讐にでる可能性が高くなる.その場合には低地族はマロを殺そうとし,できなければその近親者,さらにできなければ同じ氏族のものを探し出して殺そうとするだろう.また責任があることが明らかなら,仮に交渉が受け入れられても和解金は遙かに高くなる.最低10倍にはなるだろう.
  • 会社が関わっていなければどうなったのか:マロの叔父かクランのものが間にたっただろう.和解金をマロが支払いきれないときはクランで肩代わりする.マロはそれを返す義務を負う.


これは現代国家パプアニューギニアで生じた事故だ.では国家はこの事故について何をしたのか.

  • 警察は被害者に無関心で,マロのスピード違反のみを問題にした.(ほとぼりが冷めた)数ヶ月後から取り調べが始まりライセンスは取り上げられ(このためマロは無収入となった),取り調べのために週2回呼び出され,そのたびに半日から一日待たされた.1年半後ようやく公判となったが,判事がなぜか現れずに延期になり,それが数回繰り返されたあげくに,2年半後,最後は(訴追側の)警察が現れずに公訴棄却となった.


ニューギニアの補償プロセス>


この伝統社会の解決プロセスは素早く平和的な解決,双方の感情的な和解,関係修復をはかるものだ.
そして国家による解決とは異なるものだ.国家は双方と全く別の関心を持っている.ニューギニアのプロセスはある意味自分たちでなんとかするもので,うまく行かなければ暴力的なものに移行することもある.


何故このような違いがあるのかについてダイアモンドは以下のように説明している.

  • この違いについての本質的な要素は,双方当事者が知り合いであるかどうかだ.もっと正確に言うと,事前に見知っているか少なくとも名前やその氏族を知っていて,共通の知人がいる関係だ.そして将来的にも顔を合わせるか,少なくとも近くにいて襲撃のリスクがある状況は避けたいという関係だ.
  • だから伝統社会の解決方法の目的は(少なくとも襲撃しないという意味での)「関係修復」になる.そしてそのためには互いの感情の理解とリスペクトという要素が重要なのだ.補償金はあくまで申し訳ないという気持ちと相手の感情をリスペクトすることを表明するきっかけのためにあるのだ.ビリーの父親は金がほしかったのではない,自分たちの悲しみを知ってもらい一緒に悲しんでほしかったのだ.
  • 現代国家では事情がまるで異なる.多くの争いはこれまで見たこともない人との間に生じ,問題解決の後も二度と会わないのが普通だ.だから関係修復には無関心なシステムになっているのだ.


ダイアモンドはこのような事情をよく示す別の例をあげている.なかなか伝統社会に住むことの厄介な状況がよくわかるものだ.

  • 互いに復讐の連鎖で殺し合っていた人々の片方が,襲撃を恐れて村を離れ30年以上逃避生活を続け,ようやく生まれ故郷に帰ることになる.何とか襲撃されるリスクをなくしたいと思うなら,自分が父親と兄を殺されていても,まず相手に豚を差し出して和解の儀式を行う段取りをつけなければならない.そして交渉が成立し和解の儀式があればようやく襲撃を恐れずに暮らすことができるのだ.


さらにダイアモンドはニューギニアの人間関係と西洋の人間関係の違いについていくつかコメントをしている.

  • ニューギニアでは社会的な関係は長く続き,重要だ.そして紛争は西洋人には想像できないほど広範囲に影響を与える.たとえばあるクランの豚が別のクランの畑を荒らせば,それは戦争になりうるのだ.
  • 紛争が解決できないと,近親者や同じクランの人間は復讐の潜在的なターゲットになる.だから補償金を支払う手伝いをするのだ.離婚も同盟関係に影響を与えるようになると大きな問題になる.
  • 西洋社会はこれと異なる,個人に重きを置き,関係はすぐ作り,すぐなくなる.個人は競争に勝つことが奨励される.経済的には自己の利益を極大化することを狙う.
  • 西洋では子供のゲームでは勝つことがテーマになる.ニューギニアでは子供の遊びはもっと協力や分け与えることに重きが置かれる.伝統社会で育った伝道師の子などが西洋に戻ると,その利己性の強調する文化に不適合を起こすことがある.彼等は自分が勝とうとしたり優れようとすることを恥じてしまうのだ.


最後の子供のゲームについては典型的な分け与えゲームとして「バナナ分配ゲーム」が紹介されている.全員がバナナを持ち,まず半分に切って片方を食べ,もう片方を誰かと交換する,そしてもらった半分についてまた半分に切って片方を食べて片方を誰かと交換する,これをえんえんと繰り返すのだそうだ.だんだんバナナが小さくなってクスクス笑いながら交換する子供の顔が見えるようだ.
もっとも伝統社会でも男の子は戦争ごっこをするだろうし,狩猟はある意味競争的な側面もあるだろう.ダイアモンドによるこの競争と協力の対比についてはややステレオタイプ的な記述のようにも感じられるところだ.


ダイアモンドも書いているが,結局この伝統社会の紛争解決プロセスは,解決に失敗したときの「復讐の連鎖の相互襲撃」が,周りの人々にとって耐えがたいほどコストが高く,しかも一度生じてしまうと解決が難しいという事情が大きく影響してできあがっているのだろう.EEAとは本当に恐ろしい環境なのだ.