「The World Until Yesterday」 第6章 老人の扱い.敬う,棄てる,それとも殺す? その2 

The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?

The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?


ダイアモンドはまず老人に厳しい社会を見た.では老人を大事にするのはどのような社会なのだろうか.ダイアモンドは2つの要因を順番に取り上げる.それは老人の有用性と社会の価値観だ.


<老人の有用性>


ダイアモンドはまず「老人が有用なら,彼等を敬う社会は繁栄するだろう.」とコメントしている.これがグループ淘汰的なコメントかどうかダイアモンドは深入りはしていない.なお「もちろん,老人の面倒を見る若い人はこのような理由を口にはしない.愛,尊敬,義務などを理由にする.」と書いていて,これが意識的な理由付けでなくともいいことには触れている.進化生物学者の記述としては曖昧で,読者としてはもう少し明解な説明を期待してしまうところだ.


ともあれ,ダイアモンドは老人の有用性の具体的説明に進む.

  • 人は老いて,ライオンを倒すことができなくなったり,重いマンゴンゴの実を遠くから運ぶことができなくなったりする.しかしなおできることは多い.
  • アチェ:60代になるとハンターは小さい獲物をターゲットにし,採集も行う.
  • クン:罠猟に切り替え,若い人に同行して,足跡の読み方,狩猟の戦術を教える.
  • ハッザ:女性は閉経後も熱心に働く,そして様々な採集活動を行い,孫に与える.これにより祖母のいる孫は有意に大きくなる.このようなおばあちゃん効果は18世紀,19世紀のフィンランドやカナダのリサーチでも見つかっている.
  • 重要なのはベビーシッティング.これにより子供は自由に活動できる幅が広がる.クンの女性は孫の面倒をよく見る.
  • 道具づくり:セマンでは年寄りの男性が吹き矢を作るのが一番うまい.
  • このほか医術,宗教,娯楽,政治など


老人が優れている技術にはどんな共通点があるのだろうか.ダイアモンドは次のようにまとめる.

  • 知識と,子供を有力者につなぐなど人のネットワークがものを言う.
  • このようなことで特に重要なのは「知識の集積」:文字のない社会では知識は老人の頭にしか参照できない.神話,歌,人々の血縁関係,これまでの履歴,動植物の知識,災害時の対処

知識の集積に関してはダイアモンドは1つのエピソードを紹介している.

ダイアモンドは1976年にレネル島に行き,ボーキサイト鉱山の開発が自然環境に与える影響の調査を行った.
同行した老人の男性は植物だけで126種類を同定し,それが人の食べられるものかどうか,結実時期はいつか,人以外の動物や鳥が食べるかなどの詳細に知識があった.さらにある植物については「フンギケンギ」後に食べるものだという知識があった.
そしてそれは何かを尋ねるとさらに年配の老婆のところに連れて行かれた.彼女の言うことを聞くと,フンギケンギとは1910年のサイクロンのことだということがわかった.そのような大災害の時に最後の非常食として何が食べられるかは集団全体の運命がかかった貴重な知識なのだ.


<社会の価値観>


このように老人の有用性は面倒を見る理由の一つだ.そしてもう一つは社会の価値観ということになる.
ダイアモンドは,この2つには関係はあるが,緩い相関しかないと指摘する.たとえば現代アメリカでは老人の有用性は若干のマイナス,尊敬については若干のプラスと言うところだろうと評価している.アメリカ人の若者は老人を敬え,公共機関では席を譲れと教えられるということだ,これは日本でも(アメリカよりは敬老精神が少し上かもしれないが)ほぼ同じようなものだろう.


ダイアモンドは続いてリスペクトが強い例を紹介している.

  • クン:リスペクトは強い,そもそも老人が少ない.60歳に到達できるのは人口の20%,彼等はライオンや,病気や襲撃を乗り越えてきたことで尊敬される.
  • 現代社会でもリスペクトが強い文化がある.
  • その一つは儒教の「孝」の教え.子は親に絶対服従し,老人の面倒を見ることは神聖な義務とされる.今日でも東アジアにはこの価値観が残っている.最近まで,老いた中国人のほとんど,老いた日本人の3/4は子と同居していた.
  • もう一つは南イタリアやメキシコの「家族」の文化.メンバーはもっとも年長の男性を敬い,家族のために自己犠牲を行い,家族の名誉を守る.中年の彼等は親と同居し,親を老人ホームに送ることを拒否する.
  • これらは家父長的な家族と呼ばれ,そのほかでは牧畜文化や辺境に見られる.古代ローマヘブライ社会もそうだったことが知られている.この家族は経済的,財務的,社会的,政治的なユニットになるのだ.そして家長は大きな権限を持つ.このような形であれば,自然に親の面倒は子が見ることになる親は決定権を保持し,経済的物理的に守られている.


日本では両親と同居するかどうかについて現在急速に変化中だということなのだろう.確かに家父長的な価値観は第二次世界大戦後大きく変化した.しかし同居するかどうかについては価値観の変化というよりも,子供の数が減り社会がより流動化して,その結果親と同居できるところで仕事に就く子供が減ったという社会的な環境変化が要因としては大きいような気がする.


ダイアモンドは現代アメリカの核家族的なあり方はこの対極にあって,人の歴史の中では例外的な文化なのだと指摘している.

  • 核家族では物理的に離れているのでそもそも面倒を見ることが難しい.アメリカの文化はさらに老人に対して,使えない,衰え,病気,貧困,死などのイメージを結びつける.これにより老人は仕事や医療の機会を奪われているのだ.
  • 強制的な定年制度は老人に対する厳しい扱いの1つの例だ.実際に強制的な定年制度はアメリカでもつい最近まであったし,ヨーロッパにはまだある.雇用主はより柔軟な若い人を好み,医療政策では優先度において後回しにされる.


強制的な定年制度は確かに文字通りに解すれば(憲法違反の)年齢による差別そのもので,これは日本にもある.もっともこれは単純な社会の価値観の問題ではなく,企業による実質的な解雇権の制限とセットで制度デザインとして考えられるべきものでダイアモンドが言うほど単純なことではないように思われる.



さてダイアモンドはアメリカ文化における老人の扱いに関する価値観の低さの要因を議論している.それによると要因は大きく言って3つある.

  1. マックス・ウエーバーの勤労倫理.労働こそ人生の中心だという考え方.これはリタイアした老人を見下すことにつながる.
  2. 個人主義,自立,独立,非依存を尊び,プライバシーを重視する傾向:これにより赤ちゃんの依存は耐えても,それまで数十年自立してきた老人が周囲に依存するようになることに対して不寛容になる.しかし人は老いて依存せざるを得なくなるのだ.
  3. 若さへのカルト:確かに若いことにはいいことがある.新しいことに適応できる.*1 移民の場合両親は英語もおかしいし,アメリカ文化になじんでいない.でもそれにしてもアメリカ文化はいきすぎているし,一部ではアンフェアだ.白髪は嫌われるし,アパレルや飲料や車の広告には若いモデルしか使われない.老人モデルは成人用おむつや関節炎の薬やリタイアメントハウスの広告にしか使われない.そしてこれらの価値観によってアメリカの老人は仕事や医療の機会を奪われているのだ.そしてこのような価値観は老人の心にまで埋め込まれ,彼等は後ろ向きに生きていくことを余儀なくされるのだ.


最後の「若さへのカルト」に関してはダイアモンドの怒りが感じられる.これは彼が75歳でいろいろと不愉快な思いをさせられていると言うこともあるのだろう.日本とアメリカでは少しずつ異なっているようでもあるが,少なくとも広告モデルに関しては日本も似たようなものだろう.ただ広告モデルにどんな人を使うかは結局売れ行きの問題なのだから「カルト」だと決めつけてもしょうがないような気もするところだ.




 

*1:ダイアモンドはここでテレビについて語っている.昔はテレビのスイッチ類は電源と音量とチャンネルしかなかった,しかし今のテレビのリモコンは何だかボタンだらけで自分たちにはよくわからないのでいつも遠くに住んでいる子供に電話して聞く羽目になるそうだ.