「The World Until Yesterday」 第6章 老人の扱い.敬う,棄てる,それとも殺す? その3 

The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?

The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?


ダイアモンドはそれぞれの社会で老人がどのように取り扱われるかを決める要因について「老人の有用性」「社会の価値観」を説明した.そして具体的にどう扱われるかは,この要因に影響された「老人の取り扱いルール」による(そして理由付けにはこのルールが持ち出され,要因が説明に持ち出されることはない)という形になると説明する.


ダイアモンドは,老人が有利に取り扱われるそのようなルールの例をあげている


(1)食物のタブー:老人は食べてもいいが若い人はだめというタブーがある社会は多く報告されている.多くの場合それは若者には害があるが老人は大丈夫とされる.

  • オマハインディアン:若者が骨の髄を食べると踵を捻挫する.
  • アイバン:若者がシカ肉を食べると臆病になってしまう.

そのほか迷信の例が山ほど紹介される.


(2)若い女性へのアクセス:非常に多くの伝統社会で,一夫多妻制でかつ男性は中年以上にならないと結婚できないというルールが報告されている.

  • ダイアモンドの知るあるニューギニアの年取った男性は,少女が生まれたときから金を払って結婚の権利を買っている
  • 若者はいずれ自分の番がくると思って耐え,時々夫の留守に浮気のチャンスをうかがう


(3)財産権:これは現代社会にも顕著に見られる.財産に関する「所有権」という法概念を作り,年取った家長がその権利を持つ.そして遺言を自由に書き換える権利をちらつかせて若者を支配する.

  • クン:ノーレ(土地)似ついて老人が権利を持つと考えられてる.
  • 多くの牧畜農業社会:家父長が土地と家畜のすべての権利を持つ.
  • この強いバージョンは長老政治,長老制(gerontocracy)と呼ばれている.ヘブライ,アフリカの牧畜民,アボリジニアイルランドの田舎などの見られる.


ダイアモンドは現代社会の人達は最初の2つを見て馬鹿げた制度だと思うかもしれないが,3番目を見れば(これは現代にもしっかりあるわけで)何故このようなルールに若者が従うのかが理解できるだろうとコメントしている.


<現代はよりましになっているのかより悪くなっているのか>


ダイアモンドはここで,では老人にとって現代と伝統社会ではどちらがいいのだろうかと問いかける.

基本的には良くなっているというのがダイアモンドの説明だ.

  • 寿命は延びた,物質的にも身体的にも恵まれている.娯楽もある.子供に死に別れることもない.孫や曾孫に会える.
  • これらは公衆衛生,医療技術や食料生産技術の進歩がもたらしたものだ.人々は85歳を過ぎても元気に活動し,生まれた子の98%は大人になることができる.伝統社会ではこれは半々だったのだ.


しかし悪くなっているものもあるとダイアモンドは指摘している.

  • 長生きすることにより老人の比率が増え,老人の面倒を見る社会のコストは増え,有用性の希少性は下がった.
  • かつては老人は子供や友人と一緒に住んでいた.しかしこれは今失われている.子供は核家族を作って独立し遠くに住む.子供の近くに住もうとしたり老人ホームに移れば友人たちとは切り離される.
  • 引退という制度ができた.これは19世紀以降の発明だ.寿命が延びて働けなくなる人が現れ,社会全体の余裕から面倒を見ることができるようになり,社会保障制度が整ったからだ.最初の年金はビスマルクによる1880年のもの,アメリカに導入されたのは1935年のことだ,もちろん個人に退職の自由を与え,それを支える制度を作るのはよいことだ.しかし生涯続いた職業人としての人のつながりがたたれるという問題は理解しておかなければならない.
  • 老人ホームなどの引退者向けの施設もできた.これは18世紀からだ.友人や仕事仲間とのつながりは切断され,子供も年に数回しかこない.
  • そして老人は役立たずと思われる.知識は本やネットに頼ればいい.教育も専門の教師がいる.そして技術の進歩にはついていけない.*1


ダイアモンドは「老人は物質的身体的には恵まれているかもしれないが精神的には満たされないのだ」とまとめている.要するに長生きできていろいろなことを楽しめるようになったが,精神的な充足だけは伝統社会で幸運にも長生きした人に比べて負けているということだろう.取引としては悪くないように思われるが,でもさらに改善できるかもしれない.


<老人をどう扱えばいいのか>


ではどのような改善があり得るのか.ダイアモンドは3つ示唆をしている.

(1)祖父母としての役割を見つける.

  • 第二次世界大戦までは女性は家にいて子育てをしていた.しかし今女性は社会進出し,その子育てに苦労している.そして祖父母はこれを助けることができる.孫をかわいく思うという動機があり,経験もある.基本的に金銭的な代償は求めない.
  • ただし一つだけ注意すべきことがある.晩婚化によって孫を持つ祖父母の年齢は上がっている.スタミナが問題になりうる.


(2)確かに技術の進歩にはついていけないが,より広い意味では,過去の経験は強みになりうるのだ.それは予期されていないような事態が生じたときに発揮される.そして技術は常に予期しない問題を生じさせる.


ダイアモンドはここで二つほど例をあげている
まず「馬が自動車に代わったときには静かになりきれいになったと考えられたのだが,それは新たな問題を生じさせた」というものだ.これはリドレーが「繁栄」で取り上げたエピソードでもあるが,ニュアンスは異なっている.このダイアモンドの取り上げ方はフェアではないだろう.馬から自動車になって問題は大きく減少したのだ.ただゼロにはならなかったということではないだろうか.それにこのまったく新しい問題に老人の知恵はどう役に経つのだろうか.
もうひとつは「太平洋戦争のタワラ環礁の激闘を戦った海兵隊員の話」というものだ.たしかにこのような凄惨な総力戦の体験は今や老人にしかないだろう.


(3)老年の強みと弱みを理解しよう.

  • 確かに年とともに,野心,競争心,身体的強さ,集中力は失われる.たとえば特定分野の新しい複雑な問題の解決には向かない.しかし経験,人間や人間関係の理解,誰かを助けること,統合力はあがるのだ.よい例は学際的な統合だ.生物地理学や比較歴史学は40歳を過ぎた学者によって大きな成果が出されている.
  • このような強みは,監督,管理,アドバイス,教育,戦略策定,統合に向いている.農場では自分でトラクターを動かさなくても経営戦略を練ることができる,法律事務所では法廷に立たなくても若手のメンターになれるのだ.


この3番目はダイアモンドのここ10年で果たした仕事を考えるとその自負がうかがえるところだ.ダイアモンドは最後に「私達はもっと上手くやれるはずだ」とコメントし,老境に入って活躍した2人の作曲家*2を紹介して本章を終えている.






 

*1:ここでダイアモンドは若いときに二桁の掛け算表を覚え,筆算,計算尺,対数表の扱いを覚えたが,それらは全く有用性を持たなくなったと愚痴っている

*2:リヒャルト・シュトラウスは84歳で4つの最後の歌を作曲し,ヴェルディは74歳でオテロ,80歳でファルスタッフを作曲した