「兵隊を持ったアブラムシ」

兵隊を持ったアブラムシ (自然誌選書)

兵隊を持ったアブラムシ (自然誌選書)


ハミルトンが血縁淘汰を定式化した1964年当時,真社会性の動物は膜翅目昆虫のアリ・ハチ類と等翅目昆虫のシロアリ類しか知られていなかった.そして1976年にアブラムシにおいて真社会性が発見され,その後アザミウマ,テッポウエビ,そしてハダカデバネズミの発見へと続くことはよく知られている.本書はそのアブラムシにおける真社会性,兵隊カーストを発見した青木重幸による若き日の研究物語である.
本書が出版されたのは1984年であり,ほぼ30年前である.私が行動生態学を勉強し始めた1980年代後半から1990年代のはじめにはまだ書店店頭に並んでいたのを覚えているが,一段落したら是非読もうと思っているうちにはっと気づくともはやどこにもなく入手困難になってしまった.しばらく探し回っても入手できずすっかりあきらめていたのだが,先日ふとしたきっかけでアマゾンマーケットプレイスで手に入れることができたものだ*1.ネットのテールエンドはすばらしい.


本書は著者がアブラムシの分類学者を志していた大学院生時代の1972年にボタンヅルワタムシと出会うところから始まる.そこで著者は1令幼虫に2型あることに気づく.通常の幼虫に加えて,キチン質が発達し,短吻で,前中脚が太く先端の爪が大きい幼虫がいるのだ.著者はまず分類学者になるための修士論文を優先し,1975年になって分類記載とはやや異なる「なぜ2型があるのか」という問題に取り組むことになる*2
著者はここで当時のアブラムシに関する一般的な理解を整理(典型的なr戦略者で,捕食者への抵抗より増殖率を優先させる)した上で,様々な仮説をたてた経緯を再現してくれる.

  1. 移動仮説:この短吻型幼虫は移動して根の養分をとるための形態で,その後脱皮して普通の2令幼虫と区別できなくなる.:しかし根を掘り起こしても彼らは見つからなかった.
  2. 休眠仮説:どのシーズンにも脱皮殻が見つからない.
  3. ライダー仮説:アリにしがみついて移動する.:確かにクロヤマアリをピンで刺して差し出してみると短吻型の幼虫が集まって這い上がっていった.しかしよく考えてみると素早いこのアリに野生状態で這い上がれるようには思えないし,ほかに適当なアリもいない.
  4. 兵隊仮説:防衛任務に適応した不妊カーストではないかという仮説.最初は突飛に思えたが日が経つにつれて確信に変わる.そして1976年についに防衛行動の観察に成功する.

この仮説を立てては挫折することを繰り返す探求物語は臨場感たっぷりでリアリティにあふれている.所々のぼやきも含めて本書の白眉というところだろう.本章の残りの部分で著者はアブラムシの生活史とその中での防衛戦略の意味,ボタンヅルワタムシの近縁種でも兵隊カーストが見つかったこと,残る課題などを簡単にまとめている.


第2章はツノアブラムシの兵隊カーストについて.
一旦アブラムシ類に兵隊カーストがあるとわかると次々に見つかる.その一つがツノアブラムシ類ということになる.それまでこのツノが防衛のためかもしれないとは誰も考えつかなかったことについて著者は「思わず笑ってしまった」と述懐している.そういうものなのだろう.
このツノアブラムシの章は,著者自身の観察も交えながら自然史的に兵隊カーストの防衛について記述している.様々なアブラムシの様々な行動が紹介され,面白そうな未解決問題がいろいろと提示されている.同種コロニーへの攻撃は進化しないのかという問題とか,同コロニー個体間の攻撃が見られる例などなかなか興味深いトピックが多いようだ.


第3章はゴールから飛び出して人を刺す兵隊アブラムシについて.この章も物語仕立てになっていて面白い.話は昭和5年の台湾のアブラムシについての論文の発見から始まる.そこにはウラジロエゴノキにゴールを形成してつくエゴノタマムシは枝の振動を感知するとゴールからぱらぱらと落ちてきて人を刺すと記述されているのだ.著者はそのとき偶然台湾を訪れていた友人に手紙で連絡を取り採集を依頼する.そして2令幼虫に兵隊らしき2型を見つける.そしてもちろん著者は自分でも台湾に行ってこのアブラムシに刺されるのだ*3.なぜこのような行動をするのかについては,未解決だと断りながら,ゴール食動物に対する防衛だろうと推測されている.そしてこのようなゴール防衛を行うアブラムシも一旦見つかると近縁種にもいくつか見つかるのだ.著者は本章の最後に面白い問題を扱っている.この兵隊アブラムシはゴール内清掃という労働も行っているのではないかというものだ.防衛と清掃を分業するほどの専門性あるいは労働量がなければ十分あり得るだろう.その場合には若いうちに清掃をして,寿命が近づくと特攻隊のような防衛者になるだろうとも書かれている.これもいかにもありそうだ.


第4章はこの兵隊アブラムシカースト発見についての振り返り考察編だ.
まず系統的な整理がある.ボタンヅルワタムシ,ツノアブラムシ,エゴアブラムシでは後ろ2系統がより近縁(同じカタアブラ族に属する)ということになる.しかしこの2系統で何令で兵隊アブラムシが現れるかが食い違っている.著者はこれはすべて独立に真社会性が進化したと考えるべきだとしている.
次になぜこれまで真社会性が発見されなかったのかという科学史的な疑問が取り上げられている.これを発見者自身が考察しているのが面白いところだ.まず,ボタンヅルワタムシもカタアブラ族も研究先進国のヨーロッパと北アメリカに分布していなかったということがあるだろうとしている.しかし少なくとも一部のアブラムシに攻撃性があり,観察報告も散発的ながらあるのだ.著者は結局「理論なしではものは見えぬ」ということだろうとコメントし,自分自身の幸運を3つ(記載分類の輝かしさが陰っており,片方で仮説構築,検証に取り組むべき手持ちの問題はほかになかったこと,仮説構築,検証が奨励される風潮になっていたこと,社会生物学により不妊カーストの進化の理論的問題が脚光を浴びていた時代に出会わせたこと)あげている.*4


そして真社会性の進化の理論が扱われている.ここは1984年当時の状況がよくわかるし,説明の水準も非常に高いものだ.
ハミルトンの包括適応度理論と血縁淘汰の提唱は,当初から膜翅目の半倍数性が不妊カーストの進化と深い関係があるという示唆(これは一般に3/4仮説と呼ばれる)とともになされている.そしてこれはもちろんアブラムシの兵隊カーストの説明にも重要な部分だ.著者の述懐によると当初著者自身はハミルトン説よりもアレキザンダーの親による操作仮説を支持していたそうだ.(アレキザンダー説は後に理論的な誤りとして消えていく)
そしてその後包括適応度理論の一般的妥当性は広く認められるようになったが,それを応用して膜翅目の真社会性の進化を説明しようとした3/4仮説の方は「ヌエ」のようになっていったと解説されている.ここでは,初期の論争では膜翅目のワーカーの不妊性の進化閾値について様々な亜説がでて混乱したこと,また膜翅目の半倍数体の姉妹ワーカーカーストとアブラムシのクローンのワーカーカースト不妊性の進化の閾値が結局同じだったことがわかったことなどにふれている.前者は学説史的に興味深い.また後者は現在あまり指摘されることはないが理論的に大変面白いポイントだ.
続いて,ではアブラムシのコロニーは本当にすべてクローンなのかという問題が扱われている.本書が書かれた時点では(分子的なリサーチがなく)不明だとしながら,もし血縁認識がなければ(そして予備的な実験ではどうも血縁認識はしないようだ)防衛されているクローン集団にチーターが侵入することにより防衛性が崩壊してしまうのではないかと指摘されている.これも面白い理論的なポイントだ.


第5章はもう一つの多型の発見.
この章も物語仕立てが効いている.著者はボタンヅルワタムシの多型発見と平行して,1975年,札幌郊外のドロノキにつくドロオオタマワタムシにおいても一令幼虫に二型性を見つける.しかし今度は兵隊ではないのだ.このアブラムシはゴールを形成してその中で脱皮していくのだが,この通常とは異なる幼虫はゴールから出て行くようだった.著者はこれは「分散型」でゴール外で成長し,2令以降は通常の形態に戻ると考えて調査を始める.しかし確かに分散型はゴールから出るのだが,その後どうなるかが確認できない.どこを探してもいないのだ.そこから著者の執念の調査が始まる.まず1令幼虫を産む幹母はまず分散型から産み始めることを突き止める.どこにも見つからないのは,何らかの理由で空き家になった別のゴールにはいるからだろうか?何度も袋小路に入り,行き詰まりそうになった後,天啓のようにこれは種内寄生なのではないかと思いつく.そう考えればパズルのピースが収まるところに収まるのだ.種内寄生に対抗して幹母はまず分散型から産み始め,その間はすべての幼虫をゴールから追い出そうとするだろう.そして分散型幼虫はその防衛行動を避けるためにしばらく野外で暮らした後に(このために形態が異なっている)ほかのゴールに入り込むのだ.これは寄生と防御のコストがかかるだけでアブラムシ全体にとっては何の利益にもならないが,これをやめることは不利になるので彼らは種内寄生とその防御を続けざるを得ない.著者は執念のマーキングと追跡によりこの仮説を検証して1978年学会で発表し,それをまとめた論文は翌年印刷された.これは日本では何の反応もなかったが,なんとハミルトンから手紙が舞い込む.これはハミルトンとメイによる生物の分散についてのエレガントな論文の結論「分散したパッチに住む生物においては,仮に分散成功率が非常に低くても,繁殖リソースの半分以上を分散に振り向ける戦略がESSとなる」の初めて見つかった見事な実例であるというのだ.当時著者はドクターコースの5年目であったそうであるが,その感激はどれほどであっただろうか*5.本書はハミルトンとメイの議論を簡潔に紹介し,さらなる検証を札幌で試みているなか1982年に関東の大学で職を得た知らせを受け取るところで終わっている.


本書は刊行以来ほぼ30年が経過しているが,その中の議論は見事で全く古さを感じさせない.研究物語としても秀逸で,フィールドでの謎解きを臨場的にそして率直に語ってくれ,読者はその世界にぐいぐい引き込まれていく.まさに名著と言っていいだろう.本書が一般的には入手困難になっているのは残念というほかはない.印刷された本としての復刻は難しいとしても是非電子化されてほしいものだ.
なお私としては,その後の研究の展開,アブラムシの社会性についての総説章,さらに引用元のレファレンスを付け加えた増補改訂版がいつの日にか出されることを心より願っているとここで告白しておこう.






 

*1:@kaihiraishiさんのツイートがきっかけ.ふとアマゾンに行ってみて見つけたときは嬉しかった.本日現在は出品がないようだ

*2:その背景にはポパーやクーンの科学哲学の影響があったと述懐されていて,当時の若手分類学者の悩みが窺われ,なかなか興味深い.

*3:台湾行きの文章には「なによりも(この気持ちはわかってもらえると思うが)人刺しアブラムシにも刺されてみたい」と書かれている.一刺しならわかるが,結局著者はこのかなり痛がゆい「刺し」を左手の甲に46箇所体験することになる.昆虫学者の好奇心と根性は侮れない.

*4:なお「グループや種の利益のために進化する」というナイーブな進化観にとっても兵隊カーストは意外なものではないから,特に包括適応度理論があったから見つかったわけではないが,注目を浴びていたのでより考察に結びつきやすかったという側面があったと述べられている.

*5:なお著者はその後個人的にハミルトンと知り合うことになる.バーゼル大学のウェッブページにあるIn Memory of Bill Hamiltonにはハミルトンと台湾でゴールに付く兵隊アブラムシを観察した想い出が載せられている.http://evolution.unibas.ch/hamilton/aoki.htm