「進化と感情から解き明かす社会心理学」



本書は進化心理学的観点から社会心理学を解説しようという本だ.題名に「進化と感情から解き明かす」とあり,「感情」が特に強調されているのは,感情自体が適応的な社会行動を動機づけるために進化してきたメカニズムであり,進化心理学が「ヒトの行動が意識的な適応度計算の上に成り立っている」と考えるという誤解に陥らないようにという趣旨なのだろう.


まず序章で,ヒトの行動は,すべて意識的な計算の上で決定されているわけではなく感情やムードなど非意識*1の過程に大きく影響されている複雑なものであること,また社会的推論過程は一般知性だけでは説明できないことなどを解説している.このあたりは社会心理学の基礎講座ということなのだろう.そして進化適応,至近因と究極因という進化学の基礎に触れ,社会心理学と進化心理学が補完的な関係にあることを説明している.


第1章と第2章で非意識過程と感情についてさらに掘り下げる.
まずプライミング効果が現れる理由を,概念が脳内のネットワークで結びついている事を前提とした仮説的メカニズム(意味ネットワークモデル)を想定するとある程度うまく説明できることを解説する.このような考え方は偏見やステレオタイプの形成,潜在的態度などの考察につながっている.またそれらをどう測定するかという問題も扱う.ここはかなり至近的メカニズムに比重を置いた構成になっている.
次に感情については,それぞれの感情について表情の表出やその背後にある心理的な情動を詳しく見ていくことで,それらが適応的な行動を起こすための(非意識的過程を含む)様々なモジュール群として解釈できることを解説している.なおここではその表出信号システムの正直性がなぜ保たれるのかという問題は扱われていない.理論的には興味深いところなので少し残念だ.
その後至近的メカニズム,その測定法に触れ,応用編として嫌悪と道徳の関係,怒りと報復の関係を取り扱っている.このあたりは最近リサーチが進んできたところで,コンパクトにまとめられている.*2
最後に気分が認知に影響を与えることが示され,ポジティブな気分の時により素速いヒューリスティックス的な処理が,ネガティブな気分の時に熟考的な処理が起動しやすいと解説されている.その方が適応的らしそうだということだが,なぜそうなのかについてはここでは議論が詰められていない.基本的に判断のスピードと正確性がトレードオフにあるということだが,なぜ物事がよりうまくいっているときにはスピードが,そしてうまくいっていないときには正確性が優先されるのだろうか.考えてみるとなかなか難しいように思う.*3


第3章から第5章は,社会心理学の伝統的な守備範囲である対人関係にかかる進化心理学の解説になっている.
冒頭で,従前の社会心理学は血縁者,配偶者,友人を区別せず「親密な人」としてひとくくりにして考察したこと,ヒトの心理の特徴として,特に統一原理も階層もない原則が並立して扱われ,その間の矛盾を調整できない体系であったことを指摘し,進化心理学は適応度という観点から全体を統一原理の元に扱えることを強調している.だから進化心理学では血縁者と配偶者と友人を分けて考察し,「自尊心を保とうとする」などの個別の心理傾向はそれが適応的にどういう意味を持つのかを追求することになる.


血縁者を扱う第3章は,当然ながら血縁淘汰理論の解説から始まる.オーソドックスに理論を解説した後で,ヒトにおける証拠を扱っているのがちょっと面白い.新しい植民地への移住などの厳しい環境下での生き残り率が血縁者がいたかどうかと関係すること,タスクの報酬について誰を受取人に指定したかでタスクへの努力量が異なることを示した実験などが紹介されている.
次いで血縁認識は幼い頃一緒に過ごしたかなどの近似メカニズムでなされていること,血縁の有無により幼児虐待リスクが大きく変わること,親による嬰児殺や育児放棄リスクはその子の育つチャンスや次期以降の繁殖のチャンスなどの要因に反応することなどの有名な知見が紹介されている.*4


第4章は配偶者との関係.ここでは性淘汰理論の解説はコラムに回されている.まず異性の魅力が扱われ,顔の魅力,WHR*5などの知見が紹介される.
次は長期的配偶戦略.バスによる相手に求める資質もユニバーサル的だったというリサーチの紹介の後,ロマンティックな愛はコミットメント問題解決戦略だという最近の議論が扱われる.ここでは実際にロマンティックな愛情があると,他の異性への関心が低くなること,それがいくつかの仕草や表情で相手に伝わっていることを説明している.しかしこのような「内部制限的な心理メカニズムとあまりコストのなさそうなシグナル」というシステムがなぜだましにより崩壊しないのかという問題は扱われていない.片方で相手に無理難題を要求し,それに応えることがコストのあるシグナルになっているという議論も紹介され,これは説得的だが,しかしこれはいわゆるロマンティックな愛のごく一部分にしかすぎないものだろう.なお謎は残るというところだろうか.
続いて配偶者保持戦略としての嫉妬,短期的配偶戦略が簡潔に解説されている.


第5章は友人関係.友人関係は互恵的利他関係として理解できることがまず説明され,繰り返し囚人ジレンマゲームにおける戦略と友情の関係を考察する.そして最後に長期的な信頼関係の形成という問題を扱う.
最後の信頼形成はなかなか深い問題だ.観察から少しづつ形成されることがわかっており,それを前提にすると,その関係はすぐには築けないので,お互いにとって再構築コストの高い資産となり,一種の信頼あるコミットメントになる.本書の説明はそこで終わっているが,しかしなぜ少しづつでなければ形成されず,少しづつなら形成可能なのだろうか?大変複雑で興味深い問題のように思われる.*6


第6章と第7章はこれまで社会心理学で議論されていた内容を進化の視点から構成し直すという野心的な試み.
第6章は集団過程と自己過程.
アッシュによる同調実験で示される社会的影響とその適応的評価(多くの他人の判断の方が正しいことが多い,他人から嫌われない方が得策など),リアリーとバウマイスターのソシオメーター理論(自尊心(self esteem)の極大化それ自体が目的なのではなく,自尊心は社会的に受け入れられているかどうかの指標として利用される)の説明,自分の行動を評価して戦略を調整するための自己意識,社会的比較,自己呈示,罪悪感や恥や誇りなどの自己感情,自己制御などを解説している.
第7章は集団への適応と社会的認知.
これまでの社会心理学では,ヒトはポジティブな感情や気分を得るように行動し,そのために様々な認知バイアスを持つとされてきた.これは自信過剰傾向や,他者の行為予測や意図の誤解などに現れるとされる.本章ではその概要を解説し,さらに集団アイデンティティ,集団帰属,偏見の問題にかかる社会心理学的知見を紹介している.そしてこれらをすべて適応的に解釈するところまで踏み込まず*7に,「終わりに」と題されたまとめで,バイアスは必ずしも適応的であるとはいえないこと,様々な適応課題がトレードオフにある場合には内部心理メカニズムも互いに対立的になりうることを指摘するに止めている.これらは今後の課題だという事なのだろう.


著者たちは終章を置き,本書のメッセージを次の3点にまとめている.

  • ヒトの心の動きは通常考えられている以上に自動的,非意識的なものだ
  • このような心の動きは進化的に考えることですっきり整理できる
  • そして私たちはこのような過程を熟知することで意識的に行動をコントロールできる範囲や可能性を上げることができる


本書の最大の魅力は社会心理学を進化的な視点からもう一度構成し直そうという意欲的な取り組み姿勢だろう.非常にコンパクトな本で紙数の制限を考えると,内容は充実している.私自身は行動生態学から進化心理学に入ったので,これまであまり議論を聞いたことがなかった様々な社会心理学的知見を進化的視点でよく考えてみるきっかけになり読んでいていて面白かった.この本が社会心理学者に大きなインパクトを与えて,今後の社会心理学の構成にも大きく影響を与えることを願っている.



関連書籍



こちらも進化的適応的な視点から社会心理学を解説した一冊.





 

*1:本書では無意識という用語はフロイト理論における無意識概念との混同のおそれがあるので避け,非意識という語を使うようだ

*2:なお嫌悪は腐敗物などの適応的な観点から回避したいものに対して生じ,そのため近親相姦についても嫌悪と同時に「汚らわしい」などの言葉とともに道徳的非難の対象になると解説されている.メカニズムとして同じ心理状態が関係しているのは明らかだが,なぜ自分や血縁者だけでなく(本来その方が自分が有利になりそうなものなのに)他人の近親相姦に嫌悪感を抱くのかについては解説がない.なお残る謎もある旨注記していた方がよかったのではないかと思える.

*3:また本章ではコラム内で,ヒトは自分の将来の感情予測を苦手とすることが解説されている.しかしなぜそうなるのかについてメカニズム的な至近因のみ推測するだけで適応的な議論が紹介されていない.これは本書の趣旨からは少し残念なところだ.

*4:コラムにおいて,アフリカのマサイ族ではよく泣く赤ちゃんの方が生存率が高いというリサーチが紹介され,より親の注意を引きつけて世話を受けやすいからではないかと推測されている.そうかもしれないが,本当によく泣く子の場合,親との愛情形成に逆効果なこともあるようにも思える.むしろ親以外の周りの人たちへのアピールという要因の方が重要なのではないだろうか.

*5:最初WHPは西洋特異的文化的価値観ではないかという懐疑論があり,マサイ族で否定されたというリサーチもでたそうだ.しかし臀部の脂肪が後ろに付くことを考慮した絵を用いるとやはりユニバーサルだったという逸話も紹介されている

*6:自分の信頼形成速度が相手より速ければカモにされるリスクがある.だからそもそも形成速度がゼロ以上になるのはESS的に難しそうだ.とはいえ,友情のメリットが大きければ何らかのメカニズムで乗り越えるのは不可能ではないだろう.友情形成するなら,相手の形成速度がゼロ以上でなければならないので,自分の形成速度が正の値であることを相手に伝える信号が必要になる,しかし片方でその際に形成速度がコミットメントの大きさに効くならば,それを遅いと思わせた方が有利になる.最適値はあるのだろうか.またここにも信号がだましで崩壊しないかという問題があることになる

*7:一部集団生活への適応として説明できるものについては解説がある.またコスミデスとトゥービイの4枚カード問題のチートディテクター仮説もここで紹介がある.