「系統地理学」

系統地理学―DNAで解き明かす生きものの自然史 (種生物学研究)

系統地理学―DNAで解き明かす生きものの自然史 (種生物学研究)


本書は文一総合出版から出されている種生物学シリーズの一冊.14冊目ということになるようだ.カバー装丁はいつもの通り題材となる生物をあしらった村上美咲さんの上品なイラストを使っているが,背景がいつになく大胆な原色で,書店の店頭でよく目立つ.何か期するところがあるのだろうか.内容的には2010年に開かれた種生物学会シンポジウム「系統地理学は何をする」の内容を下敷きににして構成され,第1部では伝統的な系統地理学の実践的内容,第2部では浮動だけでなく淘汰を取り入れたリサーチ例,第3部では理論的な解説がなされている.


序章では「系統地理学」という学問分野の歴史が俯瞰されていて面白い.系統地理学は,そもそも生物地理学の流れを受けたもので生物相の地理的歴史的な構造をみるものだが,大進化と小進化の間にある理解の隙間を埋めるものとして1987年に提唱され,2000年頃Aviseの大著「Phylogeography」やHewittの一連の総説論文が出され,大枠が固まった.本学問は基本的に遺伝子の現在から過去への流れを追うコアレセント理論を応用して生物がたどってきた歴史を理解しようというもので,当初ミトコンドリア葉緑体DNAを用いて浮動を前提とした合着計算から個体群の分断と分散をみていた.しかしその後核DNAの取り扱い*1や統計手法*2が急速に発展し,現在は進化生物学や大きな時空間を扱うマクロ生態学との結びつきを強めながら引き続き進展しつづけている,いわば第二ステージにあるそうだ.本書はそのような最近の動きを紹介したいという趣旨に基づいて構想されているのだ.


第1部は「分布変遷の歴史」と題されて博物史的に興味深いリサーチが紹介されている.


第1章はニホンザリガニと北日本の地史.著者はザリガニ愛を語った後,津軽海峡問題を解説する.最終氷期の海水面の低下幅と津軽海峡の最浅部がほぼ同じ140メートルであり,生物相はある程度分断されているが,共通種もいることから,津軽海峡が最終氷期に閉じたのかどうかは微妙なのだ.地質学的には細い川のようになってつながらなかったのではないかとされているようだ.
ここで北海道と北日本に生息するニホンザリガニのミトコンドリアDNAを分析すると,生息河川ごとに強い分断を受けており,また有効集団サイズも極端に小さいという結果が得られた.それぞれの河川域であまり移動なく,ときに小さな集団になって生息しているという状況が浮かび上がる.そしてハプロタイプネットワークを描いてみると,驚いたことに日高山脈に沿って大きな分断があり,北海道南部と東北北部は非常に近いという図が得られた.さらに著者は遺伝子ネットワーク理論に基づいてレフュージアからの分布拡大の歴史も再現している.
著者はこの結果から,札幌近郊のレフュージアからの拡大が東北に達したのは90〜130万年前のようで,少なくともこの時期には津軽海峡は閉じていたのではないか,また津軽半島の最北部で函館と同一のハプロタイプが得られることから最終氷期にも閉じていた可能性が高いと結論している.
なかなか博物史的に面白い.なお著者はこの知見は保全活動にもインパクトがあると考え,論文出版と同時にプレスリリースを試み,その手に汗握る顛末*3も書いている.ここは読んでいて楽しいところだ.


第2章は国内に広く分布する大型多年生草本バイケイソウ葉緑体DNA分析による知見.分析すると大きく二つのハプロタイプが見つかり「近畿以西と北海道中央部,北部」(タイプI)と「東北,北海道南部」(タイプII)に分かれた.著者はさらに核DNAや近縁種コバイケイソウなども調べ,タイプIIの葉緑体ハプロタイプは本州中央部にあったレフュージアにおいてコバイケイソウからの葉緑体捕獲によって生じたもので,北海道,九州にあった別のレフュージアでは捕獲が生じず,その後それぞれ拡大して現在の分布になったと結論している.これはなかなかきれいな結果だ.


第3章はハイビスカスの自然史.
著者は小笠原の固有種モンテンボクのリサーチを始め,その起源を探ろうと考える.しかしハイビスカスの仲間は海流に乗って大きく移動することが可能なため,解析は簡単ではない.
そこで著者は全世界にみられるハイビスカスたちの葉緑体DNAを分析する.その結果アフリカ,インド洋,太平洋に大きく分布し,大規模な移動能力を持つオオハマボウが祖先種で,そこから(本来の分布域外に漂着し)ハマボウ,モンテンボク,ヤママフウ,アメリハマボウが分岐して日本韓国,小笠原,西インド諸島中南米の分布域を持ち,分布域の小さいものは海流移動の能力を失うという構造が浮かび上がる.
大規模移動のダイナミクスがなかなか面白い.


第4章はハリギリと日華植物区系.
東アジア温帯林は,同じ緯度の北アメリ東海岸のそれと比べて多様性が高い.それを説明する一つの仮説は最終氷期の影響の違いによるとするものだ.その当時の様子を考えると,海水面の低下により東シナ海は大きく陸地化し,大陸は九州・台湾とつながるが,琉球列島とはつながらなかったとされている.
ハリギリは日本,朝鮮半島,中国の奥地にまで広域に分布しているのでこの歴史をみる面白い材料になる.著者は生態ニッチモデリング手法を試み,最終間氷期以降それぞれの時期にどのように分布していたはずかをモデル化し,さらに葉緑体と核のDNAのデータを分析する.大きな構図ではすべての分析は矛盾せず,間氷期には分断,最終氷期にある程度の接触があったことを示している.もっとも中国大陸と日本・朝鮮の間の分断はやや大きく,生態ニッチモデルが示唆するほどは接触はなかったようだ.また沖縄のハリギリは中国との関連が強く,これについては人為的移動を疑っている.著者は得られた知見を丁寧に解説してくれているが,細部はなかなか複雑だ.これも自然の実際の有り様ということなのだろう.


第5章は沖縄のモミジハグマ属植物.これらは渓流に適応して細い葉をつけるように分岐進化することがある.そのような例として沖縄島のオキナワハグマとナガバハグマ,屋久島のキッコウハグマとホソバハグマが取り上げられている.
ここでは分岐が生じた集団動態をIMモデルによりモデル化してから分析が行われている.分析の結果はオキナワハグマとナガバハグマについて分岐年代は9,000年前と若く,キッコウハグマとホソバハグマについては25,000年前,さらに両者とも分岐後も双方向で遺伝子流動があることが示されている.


第2部は「分布変遷から進化研究へ」


第6章は地域間で自然淘汰を受けて分化した遺伝子を見つけるというリサーチ.著者の選んだ研究材料ミヤマタケツネバナはモデル生物シロイヌナズナの近縁種であり,葉緑体DNAの系統地理分析では中部地方北日本の間で分断があることが示されていた,著者はまず念のため3つの核遺伝子でも同様の分断があることを確かめる.そこでそのうちの一つ赤色光受容体フィトクローム遺伝子の4つの変異のうち3つまでが非同義置換であることに気づく.それだけでは中立であることを棄却できなかったが,より長く遺伝子を読んで*4Tajima'sD検定により中立であることを棄却する.これもきれいな結果だ.


第7章は日本列島の哺乳類の毛色について.哺乳類の毛色の変異はユーメラニンフェオメラニンの変異(メラニン合成にかかるスイッチングの遺伝子座の一つはMc1rとして知られる)によるもので,これを系統地理学的に分析した有名な北米のハイイロシロアシマウスにかかるリサーチがある.本章はそれをふまえて日本の哺乳類の毛色の変異に関する総説を行っている.

  • クマネズミは人類の世界征服に沿って全世界的に分布するが,大きく2亜種に分かれる*5.日本には東南アジアから来た茶褐色の亜種が生息していたが,最近インドからヨーロッパに分布する亜種と似た黒色タイプが捕獲されるようになった.これが突然変異なのか侵入なのかをMc1rにおいて調べると,北海道,東京にはインドヨーロッパタイプのものが侵入し一部交雑していることが明らかになった.
  • ハツカネズミも人類について全世界的に分布するようになった種だが,これは4亜種に分かれる.毛色は多様で降水量と相関することが知られており,湿度が高いと深い森になり暗い色が,乾燥すると砂漠的になり明るい色が有利になるのではないかといわれている.これが本当に自然淘汰の結果なのかどうかをMc1rにおいてTajima'sDで調べると,東南アジア亜種,アフリカ亜種については自然淘汰が効いていることを示唆するという結果になった.
  • アカネズミは日本全域に生息し,赤褐色で腹側のみ真っ白という色調が基本だが,伊豆諸島では腹も赤みを帯びるという変異がある.これが伊豆諸島の岩石の色に対する適応なのか浮動なのかを調べる.結論はやや複雑だが,三宅島における毛色の変異は自然淘汰の影響を受けている可能性があるとしている.
  • ホンノウサギは冬季に白化するものとしないもの(トウホクノウサギとキュウシュウノウサギ,分布域は日本海側と太平洋側に分かれる)で2亜種に分けられていた.ミトコンドリア,核のいくつかの遺伝子座を用いて調べたところ,遺伝的には東西に分画され(分岐年代は100万年前,おそらく氷河期の2カ所のレフュージアからの拡大によるもの),毛色とは一致しなかった.なおトウホクノウサギを太平洋側で育てても冬季には白くなることから何らかの遺伝的な差があると思われるが,片方で上記分析からみて両地域での遺伝的交流は十分起きていると考えられ,詳細は今後のリサーチの進展待ちだ.
  • ニホンテンのうち本州・九州・四国に生息する亜種ホンドテンには毛色の多型がある.基本褐色だが,冬季に黄色になるものがいるのだ.(スステンとキテンと呼ばれ,過去は別亜種とされたこともあったが,現在は同一亜種とされる.)しかしよく調べるとスステンは四国と紀伊半島南部に分布が限定されている.そこでミトコンドリアDNAによる分析を行ったところ,遺伝子系図は毛色の多型とは相関が無く,非常に短い時間に毛色の変異が特定地域に固定した可能性が高い.これについてはいくつかの仮説*6が提出されているが,今後のリサーチ待ちである.

本章は読んでいて大変に楽しい.毛色はよく目立つ特徴で興味深いし,謎がどんどん積み重なっていく部分もあって現在進行形のリサーチ状況の面白さが感じられる.


第3部は解析手法.


第8章はこの分野でもっとも大規模なデータが得られ,解析が進んでいる動物種「ヒト」を例に取りながら,各種解析手法の解説がなされている.
ミトコンドリアDNAなどの単一遺伝子座のデータから合着をみて解釈していく従来の手法の問題点(集団規模の変動・構造と淘汰の強さ・態様の区別がつかない,データポイントが限られると偶然により本来と異なる樹形が得られる)からゲノム全域の解析が思考されるようになってきていることをまず解説し,分岐年代推定,集団規模の変動,分岐後の交流,連鎖不平衡,集団の構造化をどう取り扱っていくかについての近年の解析手法の進展が簡潔に説明される.
次に自然淘汰の検出方法が解説される.大きく分けて種間ゲノムの比較法と,種内ゲノムデータのパターンから検出する方法に分かれる.前者の例として,ヒトとチンパンジーのDNAを比較し,同義的置換と非同義的置換の比をみるというもの,後者の例として,分化集団(アフリカ集団,ヨーロッパ集団,アジア集団など)間を比較し,遺伝的分化が極端に大きな座位を自然淘汰を浮けた部位の候補とする方法(はずれ値アプローチ),アリル頻度パターンから選択的スウィープの跡を見つけようとするもの(Tajima'sD,REHHなど)などが詳しく説明されている.またさらに具体的なリサーチの結果がいくつかコラムとしてまとめられている.

  • ポリネシア人の起源問題:オーストロネシア人とメラネシア人の双方の遺伝的寄与(おおむね7:3)がある.
  • 出アフリカ以降の強い自然淘汰を受けた遺伝子の実例:メラニン色素,乳糖分解,アルコール分解,耳垢関連,毛髪及び歯形(EDAR)

東アジア人は,耳垢が乾いている方向,酒を飲んだときにアルデヒド濃度を高める方向に淘汰されていることになる.これらは何らかの真の要因に関する副産物かもしれない.毛髪及び歯形遺伝子は多面発現が明らかであり,併せて真の淘汰圧は謎だ.このあたりも大変面白い.


第9章は統計的推定手法について.先ほどの単一の遺伝子座からのサンプルでは偶然の要素による影響を避けられないという問題が繰り返された後,具体的に複数遺伝子座データをどう扱うかが解説される.
複数データを扱うと,その遺伝子座ごとに独自の系統樹が描かれる.そのまま統合して樹形を推定する方法,主成分分析を加味して集団構造を視覚化する方法などもあるが,近年のはやりは,個体群動態をIMモデルなどによりモデル化し,そのモデルのパラメータを(Fstなどの要約統計量を用いて)統計的に推定するという手法だそうだ.ここでは手法として,モーメント推定,最尤推定,近似ベイズ法(ABC法*7)による推定について,その理論の概要がその応用の注意点ともに詳しく解説されている.


以上が本書のあらましになる.系統地理学については私はAviseの「生物系統地理学」を読んで何となくわかった気になっていた.しかしその出版から十数年でこの学問が大きく進展していることが本書を一読してよくわかった.単純に集団規模一定中立浮動の前提でミトコンドリアの遺伝マーカーから系統樹作ってみましたという世界から,多遺伝子座の膨大なデータを用いて集団動態や淘汰も含むモデル選択のフレームに入れ込み,最尤法やベイズ法などの統計的手法を駆使してパラメータを推定していくという世界に移行しているというわけだ.そしてヒトの最近の淘汰適応の候補遺伝子もこのような手法であぶり出されてきたのだ.そのような知見の背景を理解する上で刮目して読むべき書物だといえよう.



関連書籍


Aviseによる大著 私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090511

生物系統地理学―種の進化を探る

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同原書

Phylogeography: The History and Formation of Species

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*1:個別のDNAの系統樹は様々な偶然の影響を受けるので,できるだけ独立した遺伝データが多くある方がよい.そしてこれはサンプルとなる生物個体数を増やすより,少数個体サンプルでも多くの遺伝子座のデータを用いる方が遙かに有効な分析になる.本書ではそのことは繰り返し強調されている

*2:手法的には一時期脚光を浴びたNCPA(階層クレード分析)は問題点が指摘されるようになり,モデル選択的なフレーム,近似ベイズ計算などの手法がトレンドになっているようだ.またコアレセント理論自体集団規模の動態や淘汰による変化を取り入れられるように拡張されている.もちろんコンピュータパワーの増大,シーケンサの性能向上の影響も大きい.このあたりは第3部の理論編やコラムで詳しく解説されている.

*3:どたばたの末に,北海道新聞の一面に掲載される

*4:結構地道な作業になったようだ

*5:この2亜種は核型が異なるが交雑は問題ないようだ.本書では触れられていないがメカニズムはどうなっているのだろう

*6:餌動物への気づかれにくさなどからの自然淘汰.性淘汰,紫外線量などに対する条件的可塑性など

*7:Approximate Beyesian Computation,尤度を解析的に求められないのでシミュレーションで求めるというのが「近似」の意味.もちろんベイズ法なので何らかの事前確率分布を設定することが必要になる.