「The Science of Love」

The Science of Love

The Science of Love



本書はロビン・ダンバーによる「愛」についての本だ.特に「fall in love:恋に落ちる」という現象,そしてその結果としての「ロマンティックな関係」を扱う.ロビン・ダンバーはダンバー数で有名な人類学者,進化心理学者.最近はエッセイや共編著の論文集をいくつか出しているが,本書はダンバー数を用いて言語の進化的な説明を行った「ことばの起源」以来久しぶりの進化心理についての科学啓蒙書ということになる.


第1章は導入.この「恋に落ちる」現象については,当初西洋文化特有のものではないかという議論があったということから始まる.いかにも文化相対主義者が喜びそうな言説だが,実際によく調べるとこれはヒューマンユニバーサルであることがわかる.だとするとこれは自然淘汰の産物である可能性が高い.その場合の生物学的機能が何になるのかというのが本書の主題になる.その後ここまでに知られていることがいくつか整理されている.

  • 恋に落ちることによる効果としてはその相手以外の異性に対する関心が下がるというものがある.
  • 類似の心理的な現象として母子の絆,親友との絆がある.
  • これまでのリサーチは精神分析的なものと社会心理的なものがある.前者はあまり意味が無い.後者による知見や説明には,アタッチメント理論から見た母子の絆との共通性,恋に落ちた場合の自己評価の上昇,ビッグ5との関連性を調べてもあまり意味のある結果が得られないこと,スタインバーグによる愛の三角関係理論*1などがある.
  • ディーコンはかつて「ヒトはモノガミーになり,分業を行うに当たり浮気のリスクに直面した.そこで社会的所有宣言(結婚の制度)でこの問題を解決する.このために結婚の儀式,シンボルが必要になり,言葉も生まれた」という議論を行ったが,納得しがたい.多くの動物は言語やシンボルなしで浮気リスクをマネージしている.

最後の部分は,「恋に落ちる」こととモノガミーには何らかの関係があることを示唆するとともに,ダンバーによる言語起源説と対立するところなので特にコメントしているのだろう.確かにディーコンの考えは無理筋にように感じられるところだ.


第2章は至近的なメカニズムに関することが扱われる.
まずオキシトシンバソプレシンドーパミン,エンドルフィンの効果が簡単に解説されている.それぞれに微妙な違いがあるのだが,なぜこうなっているのかについてはまだよくわかっていないというのが結論だ.*2
また「匂い」のMHCの違いによるIDマーカーとしての機能について解説した後に「キッス」の問題を扱っている.ダンバーは,遺伝的組成のチェックと健康チェックを兼ねているのだろうと推測し,性差も扱っている*3


第3章は脳の役割.
まずお得意の社会性動物の脳,特に新皮質の大きさとグループサイズの問題.霊長類では相関するのだが,食肉目,偶蹄目,翼手目,そして鳥類では相関しない.そしてさらに調べると,これらの動物ではモノガミーであるかどうかが新皮質の大きさと相関(モノガミーの方が新皮質が大きい)していた.ダンバーはこの結果について,最初非常に驚いたと書いている.複数の配偶者を扱う方が認知的に大変そうに思われたからだ.これについてはいろいろな仮説を検討した結果,モノガミーの絆をメンテナンスするためのコストであるという結論にたどりつく.ダンバーはさらに,この一旦ペアになった後の絆メンテナンス仮説は,最初に配偶相手を選別するためのディスプレーのためというミラーの性淘汰仮説*4とは異なる(しかし排他的ではない)ものだとコメントしている.
ではグループサイズの相関の方が圧倒的に強い霊長類*5についてはどう考えるのか.ダンバーはそもそもモノガミーの絆形成のための仕組みをグループの他個体との関係で使うようになったのではないか,そしてそれが友情の起源ではないかと推測している.


ここからはヒトについてのリサーチでわかってきたことがまとめられている.

  • どこまで高次の心があるかについて.通常5次まであると言われ,ほとんどの人は4〜6次,ごく一部の人は3次だったり7次だったりする.この個人差は知性や言語能力,そして眼窩前頭前皮質の大きさと相関する.そしてさらにこれは友人の数とも相関する.
  • 恋人の写真を見たときの脳の活性分野を見ると,線条体,島,前条帯皮質がより活性化し,前頭前皮質,側頭皮質,扁桃が抑制される.報酬回路や性的興奮部位が活性化され,理性的判断が抑制されているように解釈できる.
  • さらにこれは絆形成しようとするときには,理性的判断や相手の心を読む能力が抑制されるとも解釈できる.そうであれば無条件のコミットメントを行おうとしているということなのだろう.

最後の部分は面白い.長期的な友情や絆の形成にはコミットメント問題があることはよく知られているが,それを乗り越えようとする仕組みが脳に実装されているとういうことなのだろう.


第4章は配偶者選択の実際
「恋に落ちる」時に,「どのような相手が自分にふさわしいか」というような判断基準は,それが明るみに出ると関係自体が壊れやすくなるため,通常意識されず,心の深いところに隠されている.そして感情的なコストが高く,友情と異なり簡単に始めたり終わったりできない.また求愛行為は相手のあることで駆け引きが重要になる.
ダンバーはここではっきりと書いていないが,この「打算的な基準が見えると壊れやすい」「感情的なコストが高い」というのは,この「恋に落ちる」関係が,絆に対する無条件のコミットメントであるということから来るものだろう.
ここからは具体的選択基準と駆け引きの実情が扱われる.これは進化心理学でよく取り上げられる内容だ.本書では新聞などへの恋人募集広告についてのリサーチ結果が詳しく紹介されている.基準自体についてはよくある中身だが,本書では各基準間のトレードオフ,駆け引きの詳細が詳しく扱われている.基本的にはそれぞれ基準が明確で相手の要求と自分の市場価値がわかった上で妥協を含め駆け引きが行われているということになる.ここで面白いのは40代後半の男性の判断にアノマリーがあり,彼等は自分の市場価値を過大評価しているという結果だ*6 *7.また若い男性のリスクを取る行動はディスプレーとして理解可能であることも強調されている.


第5章は配偶者選択のキューとして利用されている特徴
女性側のキューとして有名なWHRが解説された後,歩き方(排卵期により腰を振る歩き方になる),会話のやり方(瞳孔の開いた目で見つめ,上体を傾けたり,特定のやり方で頭を振り,髪を揺らし,特徴のある笑いかけを行う)会話の内容(巧みに両義的に振る舞い,オプションはできるだけ保つ)などが説明されている.「男性は認知テストの中間に女性と数分会話するとテスト成績は下がる.それは美人であればより下がる.しかし女性にはこのような効果はない」という結果は面白い.最後に「顔の良さ」と絡めて,男性らしい顔,対称性などの話題が扱われている.
なおここでダンバーは「なぜ女性がハイヒールを好むのか」について「膝が曲がり,より緊張するのが興奮のサインになり,バランスの取りにくさが運動調整能力や年齢のハンディキャップシグナルになる」からではないかとコメントしている.前半はそうかもしれないが後半はやや微妙な感じだ.


第6章はロマンティックな関係と家族や友人との比較
簡単に血縁淘汰の話を振った後で,ダンバーは社会的ネットワークに絡めて家族と友人を扱っている.

  • ヒトの社会の社会ネットワークを見ると,親密さの異なる複数のレイヤーがある.5人の最も親密な人,次の10人の親しい人,50人から100人程度のよい友人から友人(ここまでが150人というダンバー数とおおむね重なる),その外側には単なる知人,名前だけ,顔だけ知っている人という形だ.
  • 最初の5人の多くは家族だ.最も深いサポートで支え合う.次の10人も含めてシンパシーグループとなる.彼らの誰かが死ぬとショックを受け,多くの時間をともに過ごす.本章でロマンティックな愛と比較するのはこのレイヤーの人々になる.
  • 家族と友人の違い:血縁者に対しての方が利他的に振る舞う傾向が強くなる,血縁の強さの予測には幼い時に過ごした時間の長さが効くのに対し友情の強さの予測はそれを作るのにかかった時間の長さが効く.友人は自分で選べる.基準は基本的に同類好みで要素としてはユーモアのセンス,道徳観,教育程度,地域などが上げられる.友情は壊れることがある.

なおダンバーは友情の壊れやすさの性差を扱っていて面白い.女の子にとっては「スージーがパーティに呼んでくれない」ことは世界の終わりだが,男の子にとっては誰とキャッチボールをするか,あるいはそれが壁であるかどうかは割とどうでもいいのだ.

  • ロマンティックな関係は家族とも友情とも異なる.そしてどちらも覆せるほど強くなれる.時に親子の関係より強くなる.これは親子間でも強いコンフリクトが生じうることから説明できる.
  • リサーチの結果,真に親密な人の数は,パートナーがいない人の5人に対して,いる人は(そのパートナーを含めて)4人に減ることがわかった.これは衝撃的だ.ロマンティックパートナーを得ると,家族や親友のうち2人を失うということを意味するからだ.ロマンティックパートナーには大きなコストがあるのだ.

要するに「どちらとも異なるし,強さもそれぞれだ」という当たり前の結論だ.最後の結果はなかなか面白い.ダンバーは背景や理由についてあまり語っていない.基本的にそのようなコストを払ってもなおペイするほど重要な関係だということを示唆しているのだろう.


第7章は関係の崩壊
ロマンティックな関係は激しく壊れることがある.血縁関係は崩壊しにくく,友人は破局というより緩やかに別れることが多い.このあたりは当たり前という感じだが,細かくリサーチの数字が紹介されていて面白い.関係が壊れる場合,その3/4は相手との関係や評価をめぐるもの(侮辱される,しかるべき時に来ない,自分の悪い噂を流す,批判される)だそうだ.いくつか興味深いものもある.

  • ロマンティックな関係が壊れるときには,女性の方がより「別れた」と考えている.同僚,兄弟姉妹,浮気相手の場合は逆になる.
  • ロマンティックパートナーは,当初に相手を理想化している方が別れにくい.理想が壊れて幻滅して別れやすくなるということはない.これは「幻想は続きやすい」ということを意味するのかもしれない.


続いて「別れの心理的痛み」の至近的なメカニズムの議論がなされている.

  • 別れのもたらす心理的痛みについては身体の痛みの場合と同じ脳部位前帯状皮質ACCが関わっている.この部位はもともと期待と現実がずれたときに活性化するアラートシステムだと考えられる.元々身体的な異常を痛みとして知らせるシステムだったが,社会的な問題のアラートが必要になったときに進化的に流用されたのだろう.またこのときには右側の前頭前皮質が抑制される.これは過剰に反応するのを防ぐ仕組みだろう.
  • エンドルフィンのレセプターによりACCの活性が影響される.悲しいことがあるとエンドルフィンがブロックされ,レセプターに接着しない,そしてACCが活性化する.女性は閉経までレセプターが多いことが知られている.これは痛みの閾値を上げ,かつ感じる悲しみを深くすることが予想される.彼女たちは,お産に耐えられるが,その親しい人との別れの悲しみは深いのだ.


最後に進化的な議論がある.
哺乳類におけるモノガミーの進化条件の議論を概観し,ヒトの場合モノガミーと一夫多妻の中間的な状況であり,女性側の戦略としての浮気傾向がパラメータの1つになること.また個体としての浮気傾向はパートナーとのMHC類似度(近交弱勢の強さ),次のパートナーの見つけやすさ(現在の相手の条件の良さ,自分の魅力,局所的な性比など)に依存すること,相手の魅力の判断にかかる脳部位などが解説されている.ちょっと議論の方向が見えにくいが,別れやすさがいろいろなパラメータ依存で,無意識の判断として生じることをいっているのだろう.
最後に嫉妬について,メイトガードとしての進化的議論,ヒトの場合には男性による女性のコントロールとして現れることなどが説明されている.このあたりも進化心理学ではおなじみのところだ.


第8章はロマンティックな関係と宗教的法悦の関係
こはちょっと面白い章だ.様々な宗教的な法悦を見て,それがロマンティックな愛の一形態として解釈できることを主張している.教義の説明が性的である場合が多いことにちょっと触れた後,なぜ女性は宗教的カリスマに魅力を感じるのかを説明している.女性はより感情的で社会的であること,配偶者選択の基準としてカリスマ的な男性を好むこと,一旦よいと思ったらよりコミットすることなどを理由として挙げている.そして実際に宗教的な法悦にあるときのニューロイメージングから,現実からの遊離が生じていること,宗教的信念を認識する場合と心の理論を使う場合とで同じ部位が使われていることがわかること,さらにこのような宗教的な恋愛はクレランボー症候群(恋愛妄想:誰かに強く愛されているという非常に強固な幻想を持つ.ストーカーなどに見られる.配偶戦略の一部が誇張されたものとして解釈可能)と非常によく似ていることを解説している.*8
確かに信心深いキリスト教の女性信者の話を聞いていると,キリストに恋をしているような印象を受けることがある.もっとも仏教や神道についてはこの手の話をあまり聞かない(もちろん私が知らないだけかもしれないが)ので,これは一部の宗教の特徴ということなのかもしれない.


第9章はネットの上の恋愛
ダンバーはこの章で恋愛における技術進展の影響を議論している.西洋において伝統的な結婚のマッチング市場が変化したのは産業革命以降だそうだ.プロの結婚マッチングサービスは18世紀に始まるが,本当に盛んになったのは1880年以降,ヴィクトリアン後期以降の英国だ.出版によるサービスも同時期に盛んになった.これは売春行為が紛れ込みが1910年代に下火になる.そして1960年代に新聞の個人広告が興隆した.これは21世紀になってオンラインにそのまま置き換わっている.
このサービスの問題点は広告やネットの記述の信頼性だ.裏に本当はどんな人がいるかはわからない.しかし人はオンラインで驚くほど簡単に最初のやりとりから完全な盲信にまで進む事ができる.人はデジタルイメージにも簡単に恋することができるのだ.ダンバーは一部は犯罪であるとしてここで手口を詳細に紹介している.

  • 手口はまさに心理学的芸術だ.そして被害者は典型的には成人の未婚女性で,加害者の嘘に気づいていても金を払っていることがよくある.
  • 典型的な手口は次のように進む.
  • 被害者はパートナーを絶望的にほしくなりインターネット仲介サービスに参加するが,くだらない男としか出会えないことが続く.
  • そこに地中海風を装う魅力的なメールが届く.彼が地中海育ちでないことはすぐわかるが,男は悪びれもせずに最初の出会いのための方便だと認め,その後も魅力的なメールを続ける.女はだんだん恋に落ちたと思いこむ.
  • ここで航空券とか少額のビジネスのシ−ドマネーだとかの金の話がでる.女は払い,数週間の悦楽を得る.女はもはやこの夢から覚めたくない.怪しい話と感じる内なる声をふさぎ,男の話について行く.そしてだんだん大金を払うようになる.
  • 被害者が男性の場合には加害者は若い女性でないとうまくいかない.目的は金でなければパスポートで,取得後すぐにいなくなるかはっきり離婚を迫られる.

またダンバーは別の問題も提起している.

  • 微妙な表情を読むのには長時間の学習経験が必要だと言うことがわかってきた.他人の表情を読むときの脳内活性パターンは年齢を重ねるとともに変化し,皮質から紡錘状回に移る.これは意識的な計算から自動回路に移ることを意味している.そうして笑いの微妙な違いなどを瞬時に判断できるようになるのだ.
  • この移動は20歳台後半に生じる.だからティーンの時期に微妙さのないアヴァターを相手に過ごすのには問題があると考えられる.
  • また絆形成には時間が必要だということも重要だ.特に男性の生涯続く絆は,一緒に何かをする時間の長さが大きい.これは実際に会っている必要がある.(女性の場合には話している時間が問題になるので,電話やチャットでもある程度カバーできる,ただし完全ではない可能性は残っている)

次にダンバーは対人関係の数の制限についても指摘している.

  • 親密な5人,20人との絆の維持にも時間は必要なのだ.だから結局インターネット時代になってもつきあいの広さはあまり変わらないはずだ.
  • 確かに単なる知り合いは増やせるかもしれない.しかし増やす必要はないのだ.実際多くの人は増やそうとはしていない.フェイスブックでの友達の数は典型的には120人から140人だ.(例外的に多い人はいる)多くの人はフェイスブックでもリアルのつきあいを基本にし,ヴァーチャルな友人をごくわずか加えているだけのようだ.会話も5人程度で行っていることが多い.これもリアルと同じだ,リアルでは会話の最大人数は4人だ.5人になると30秒以内に2つに分裂する.
  • 最近のSNSは友人数を制限しているものが多い.これにより親密性,信頼性を増そうとしているのだろう.

ダンバーはインターネットの対人関係については基本的に悲観的だ.「まだバーチャルと何が異なるのかはっきりとわかっていないがフェイストゥーフェイスは確かに何かが異なるし,騙しの問題の解決も難しい」とコメントしている.


最終第10章はここまでの各論を踏まえて進化的な議論がなされる.
ダンバーは,「ヒトの配偶システムには多様性があるが,配偶にかかる心理メカニズムは『恋に落ちる』1つしか無い.また『恋に落ちる』というメカニズムは特にその強度においてヒト特有に見える」ことをまず問題にする.
ダンバーはこのメカニズムとモノガミーとの関係から考察を始める.まずモノガミーの進化的起源についての4つの仮説を考察する.

  1. オスからみた父性の確実性の担保(メイトガード仮説)
  2. 子供の他のオスからの子殺しリスク,その他のハラスメントの軽減(ボディガード仮説)
  3. 子供の補食リスクの軽減
  4. オスによる分業的な子育て投資

1はオスの利益から,2はメスの利益からという説明になる.3と4についてダンバーは分けているが,基本的に分業子育て利益ということで同じようなことに思えるところだ.3,4は鳥類のモノガミーの説明としてよく使われる.ダンバーは哺乳類ではオオカミなどのイヌ科の動物,タマリンやマーモセットについて当てはまるだろうとしている.


ではヒトについてはどう考えるべきか.
伝統的には(父親が肉を持って帰るという)分業的子育て利益で説明されてきたが,実際の狩猟採集民のリサーチでは男性の狩猟による貢献は小さく4はとれない.また普段子供と離れているので3でもない.女性とも離れているのでメイトガードでもあり得ない.ということでダンバーはボディガード仮説を採っている.*9

  • ヒトのコミュニティは霊長類にしては例外的に大きい.50人の血縁グループが3つほど集まって150人のある程度流動的なグループを形成している.ここには繁殖期の男性が大勢いる.女性にとってはハラスメントは重大なコストになるだろう.またヒトの場合排卵隠蔽しているのでこのハラスメントは期間限定にならない.ハラスメントの重要性には多くの傍証がある.犯罪統計,現代社会前の世界の暴力(これはアフリカでは今でも現実),戦争内乱時のレイプなどの暴力,女性の少ない社会での問題の深刻さ,ポルトガルの中世後期の逸話*10

では用心棒は有効なのか?ダンバーはいくつか傍証を上げている.

  • アチェのリサーチ:未亡人が再婚すると有意に夫に小さな子を殺されるリスクが高まる.父が生きているとこのリスクは小さい
  • マーゴ・ウィルソンのカナダのリサーチ:パートナーのいない女性は有意にハラスメントを受けやすい
  • ダンバーのグループがウィーンのクラブでヒトの配偶行動をリサーチしようとしたときの逸話:リサーチャーが女性の場合,男性がついていないとハラスメントがひどくてリサーチにならなかった


このボディガード仮説はどのように検証されるだろうか.ダンバーはこの仮説が正しいなら女性の方がペアボンドに熱心なはずだという議論を行っている.そして最近のリサーチでは「『親密な人間関係を求めない』傾向には性差があり,男性の方が消極的な人が多い.そして文化差より性差の方が大きく,文化差も女性の傾向にのみ現れ,女性のハラスメントの多さと相関していた.」という結果が得られているそうだ.ダンバーはこれによりボディガード仮説が裏付けられたと結論している.ダンバーは最後にいくつか議論している.

  • オスからのハラスメント問題の解決としてはゴリラのハーレム型もある.ゴリラとの違いは,性的二型性の程度,オス間の強さの分散の大きさにあるのだろう.
  • これは一種のポリジニー閾値で,ヒトにおいては農業以降貧富や権力の差が大きくなって初めてこの閾値を超えるようになり,一部ポリジニーが実現していると見ることもできる.だから起源は新しく,これに対応する心理的カニズムが進化していないのだと考えることができる.
  • これはいつ頃進化したのか.いろいろな議論があるが,最近の2D4Dリサーチによると,ラミダス,ハイデルベルグネアンデルタールはポリジニー,サピエンスとアウストラロピテクスがモノガミー的ということになる.これを信頼するなら配偶システムは頻繁に変化してきたということになる.またコミュニティの大きさはハラスメントの強度に効くはずで,これが新皮質の大きさでわかるとするなら,ヒトの祖先系統においてハラスメントが高まったのが50万年前ぐらいだ.合わせて考えると,コミュニティが大きくなりしばらくしてサピエンスとなった20万年前ぐらいにモノガミーとペアボンド心理が生まれたと考えることができる.


ダンバーは結びにおいて,「この結論にいたる道は心理,生理,機能が複雑に入り組んだ長い道だった.そして読者には恋のマジックの背後に複雑で魅力的な階層があることを知ってもらえたらうれしい.」と書いて本書を終えている.実際に本書の議論はやや複雑で一本道ではない.ある結論に向かってまっすぐ書かれたものというより,あるトピックをめぐって様々なリサーチをしてみると様々な側面が見えてきて,それを残らず読者に伝えたいという趣の本になっている.そして読んでみるとそのリサーチの重みがしっかり感じられるものに仕上がっている.
そして本書のように充実した本はさらに深い疑問を読者に提示する.ちなみに私の感じた疑問は以下のようなものだ.

  • なぜロマンティックパートナーのコミットメントは友情におけるコミットメントと詳細が異なるのだるか.
  • またなぜこのようなコミットメント戦略は騙しにより崩壊しないのだろうか.サイコパスはあるいはこの意味でも騙しの戦略なのか
  • 「無条件の絆へのコミットメント」と「ハラスメントへのボディガード」という問題はどうつながるのか.ハラスメントのボディガードという機能だけならコミットメントにかかる心理にももっと大きな性差があってもおかしくないのではないだろうか.

いずれにせよ本書は現時点でのダンバーによる「愛の科学」の到達点であり,人と人の間の絆,コミットメント,配偶システムなどの関心のある読者には大変興味深い本と評価できると思う.



関連書籍


ダンバーの前著.本書のようなテーマを絞った科学啓蒙書ではなくエッセイ集仕立てになっている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20110424

How Many Friends Does One Person Need?: Dunbar’s Number and Other Evolutionary Quirks

How Many Friends Does One Person Need?: Dunbar’s Number and Other Evolutionary Quirks


同邦訳.一部カットして抄訳になってしまっている.

友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学

友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学



 

*1:愛は「親密さ,情熱,コミットメント」の3次元で表すことができるというモデル.親密さは近接性あるいは絆の感覚,情熱は恋に落ちる感覚,コミットメントは支援や近くにいたいという欲望を表す.ダンバーは,この理論は愛に様々な形があるのをうまく説明してくれるが,根源的に疑問には答えられないとコメントしている.

*2:なお笑いの時に幸福感が高まるのはエンドルフィンの効果だそうだ.これは言葉とも関連するのでダンバーとしては興味深いのだろう.笑いについて「元々グルーミングを補強するコーラスだったのが,言語を獲得するにつれてより簡単な引き金を進化させたのではないか」とコメントしている.しかしなぜ笑いを生じさせるトリガーが「可笑しい」ものであるかについては説明できず,これだけではあまり説明になっていないように思う.

*3:おしなべていうと女性は絆形成のため,男性は性的関係のためにキッスするようだ

*4:厳密にはミラーの説は最初の選別とメンテナンス両方とも含まれているように解釈することもできる

*5:霊長類についてもわずかながらモノガミーとの相関もあるようだ

*6:50歳になると市場評価通りの自己評価に戻るそうだ.40歳代の時には悪あがきした方がメリットがあるのだろうか?

*7:ダンバーの前著では別のアノマリー「男性は女性が求めるほど自分の家庭性をアピールしない」が紹介されていた.また別のどこかで「女性は『子供がいることが自分の価値を下げる』ことがなかなか理解できない」という結果も読んだことがある.男女ともいろいろ錯覚があるのだが,なぜこれらは淘汰されずに残っているのだろうか,なかなか興味深い.

*8:なおダンバーは最後に,宗教との無用な摩擦を避けたかったのだろうか,「宗教的恋愛は安全だ」(相手は理想的で裏切ることはないし,何か上手くいかないことがあっても試練だと受け止められる)と付け加えている.

*9:この節の表題は「密猟者天国と雇われた銃」とつけられている

*10:レコンキスタの終了とともに領土拡大が見込めなくなり,貴族階級は均等相続から長子相続に移行し,これによりあぶれた次男以降の若者が大暴れし,大航海時代を生むという説明