「アニマル・コネクション」

アニマル・コネクション 人間を進化させたもの

アニマル・コネクション 人間を進化させたもの



本書はパット・シップマンの手による一般向けの科学啓蒙書「Animal Connection」の邦訳である.原書はいかにも可愛らしい犬の絵がカバーに使われていて,動物好きの人向けのマーケティングがなされているが,この邦訳のカバーには古代人類の再現ジオラマのモノクロ写真が使われていてハードだ*1
パット・シップマンは古人類学者であり,かつ手練れのサイエンスライターとしても有名で,これまでに始祖鳥,プロコンスルネアンデルタール人などを扱った科学書や,デュボア*2,レディ・ベイカ*3マタ・ハリ*4の伝記など10冊以上の著書がある.本書は人類進化を扱っていて前者の系統に属するが,さらに彼女独自の仮説を大きく取り上げていて,力の入った本になっている.


本書のテーマになっているシップマンの人類進化にかかるアニマルコネクション仮説は以下のようなものだ.

  • ヒトと動物の関わりは非常に古く,その関わりが,道具(特に石器)の製作,言語,動物の家畜化の主要なドライビングフォースとなった.
  • そしてこの動物との関わり,その結果の道具,言語,家畜こそが,ヒトをヒトたらしめているものであり,(それがすべてではないとしても)ヒト進化を理解する上で重要だ.
  • 現在のヒト社会においても動物との関わりは様々なことに大きな影響を持つ.


そして本書は基本的に仮説に沿って時系列でみていく形で構成されている.
プロローグで問題を認識したときのエピソードや仮説の概略を提示した後,第1章ではヒト進化を化石証拠から概観する.ここでは古人類の種の同定が,化石骨の少なさという問題から微妙な問題になることにちょっと触れ,それに比べれば化石からの行動の推測は紛れが少ないとしているのが面白い.基本的に,より古い怪しい考古物はあるが最初の石器製作者はハビリスだという立場にたっている.


第2章,第3章は石器製作・使用.
石器製作においては目的の認知や結果の推定など高度な認知能力が必要なことがまず強調されている.次に強調されるのはカットマークから石器の使われ方がかなり正確に理解できるという点だ.写真もあわせ丁寧に説明して,ごく初期から石器は動物の死体処理に使われていたこと*5を説明している.
次に初期のヒト科の獲物の大きさを再現し,他の肉食獣のパターンとヒトの体重から予測される分布からかなりはずれたパターン(分散が大きい)となっていることを解説している.シップマンはこれは石器が補食能力を大幅に向上させ,ニッチを大きく変えたためだと主張している.
またスカベンジャーとしても,石器によりその場で解体が可能になり.他の肉食獣との競合状態が大幅に改善されただろうとしている.
これにより栄養状態が改善し,より脳にリソースを回せるようになり,さらに片方で獲物や競合肉食獣への観察や行動予測などの認知能力の向上に淘汰がかかっただろうとする.(明確に書かれていないが,著者はこれらが正のフィードバックを通じて好循環したと考えているのだろう)


この部分はよくある「狩猟による脳増大仮説」の一種という感じになっている.しかしリカオンの集団のすばらしく統制のとれた狩りの動画をみていると.狩猟が(他の動物への注意などの)認知能力への淘汰の大きな要素になっているというのはあまり説得力を感じないところだ.すると石器制作部分だけが淘汰圧として残るということになるだろう(それはシップマンのアニマルコネクション仮説からはやや離れてしまうだろう).シップマンは社会脳仮説に冷淡だが,私には社会脳仮説の方が説得力があるように感じられる.
また「肉食により生態系が支えることができる人口密度が減少し,出アフリカせざるを得なくなった」という趣旨の説明もあるが,ここも説得力に欠けるだろう.そもそも説明の仕方がナイーブグループ淘汰的でいただけないし,実際に人口を支えられなくなったとしても何十万年の進化史のなかでで,一回人口密度が下がればそれで十分だったはずだ.出アフリカは周辺個体群が機会を求めて拡散していけるようになったというところに求めるべきだろう.


第4章から第7章で道具にかかるその他の問題を扱っている.
まずは骨器.なお議論はあるようだが,細かな検討によって100万年前のオルドヴァイ骨器の存在が認められているようだ.ここでは様々な古代骨器の解説が丁寧になされている.パラントロプスが骨器でシロアリを釣っていただろうなどの記述もあって面白い.
次はチンパンジーボノボの道具とヒトの道具の違いが議論される.現在の観察例,チンパンジーの道具の考古物という主張,ボノボのカンジの石器製作事例(ボノボの野生における道具製作は観察されていない)を概観し,チンパンジーの道具は手の延長段階までで,材料の属性を変えた道具はない,カンジは特定問題の解決を越えた道具製作には無関心で本質的な道具製作者ではないとまとめている.
最後に道具使用とそれに伴う認知能力の拡大が可能にした技術革新の具体的中身について.シップマンは「管理された火の使用」「活動タイプごとの居住エリアの区別」をあげている.


この道具を論じた後半部分は楽しい各論で,読んでいて楽しいところだ.


第8章から第11章までは言語の問題が論じられている.
まずシップマンによる「言語とは何か」「言語の起源」という問題についてのこれまでの学説のまとめがある.
シップマンは基本的に言語について「情報の統合・組織化と伝達にかかる手段」という捉え方で,モジュール性,母語獲得の生得性,社会性,チョムスキー説,言語の諸要素,発達段階などを概観しているが,かなり混沌とした紹介だし,議論の視点もぼけていて*6 *7,ここは残念な解説になっている.


次に4万年前のいわゆる認知革命についての議論が扱われている.ここはシップマンの専門分野でもあって,なかなか詳しい.現在アフリカでそれ以前の様々なシンボル利用が見つかっているが,なお議論が収束しないのは,アフリカの証拠は少ない上に散発的で,さらに一旦生じたシンボル利用がしばしばなくなってしまうことによるそうだ.シップマンは丁寧に証拠を追い,いわゆる現代的行動はアフリカで始まり,その後旧世界の様々な集団の接触によりできあがったと解釈する方が納得しやすいとまとめている.


シップマンはここから認知革命以降のシンボルの利用をみる.まずラスコー洞窟を(幸運にも)鑑賞できたときの衝撃と興奮を語り,その絵は圧倒的に獲物である動物が多く,生態的に正確であることを指摘する.壁画を描くコストも勘案すると,先史時代人にとっては動物の情報の正確性と蓄積が死活的に重要だったのではないかというのがシップマンの議論になる.さらに壁画が描かれたところは音響的にも共鳴が生じやすい位置であることからそれが情報の正確性をより強調しているものだと推測し,このような正確な情報の蓄積こそが言語進化の淘汰圧であったと主張している.


しかしここはよく言っても根拠薄弱で説得力はないように思う.迫力ある絵と音響効果からは,これは狩りの成功を祈る宗教的な儀式に関連しているというよくある考え方の方が自然だし,言語自体をみても,過去から未来への正確な情報の蓄積・伝達より,ゴシップ交換に遙かに向いているように思われる.


最後に,ヒトと動物のコミュニケーションが扱われている.カンジや「賢いハンス」の例を紹介し,動物はコミュニケーションに積極的ではないので,ヒトと動物のコミュニケーションにおいては「注意の引きつけ」と「微妙な返信を見逃さないこと」が重要であるとまとめている.
この部分の記述は.ボノボチンパンジーが言語のための基本能力があるが実際には言語を使わないこと,ヘレン・ケラーなどの臨界期をすぎた言語習得の事例なども取り上げて行きつ戻りつしている.結局動物とのコミュニケーションに必要な相手への注意やコミュニケーションへの積極性こそがヒトの言語進化の重要な鍵であったのではないかとほのめかしたいようだが,やや散漫でわかりにくい.


第12章から第17章は家畜化.
冒頭にチャイルドによる1万年前の農耕開始を契機とする「新石器革命」の議論を取り上げ,それを批判する.まず動物の家畜化と植物の栽培化が根本的に異なる営みであると強調する.家畜化は,動物との相互作用により,心理的に親密で属人的なものだとシップマンは主張する.チャイルドの議論はこれを無視している.また実際の移行は緩やかだったし,そして少なくともイヌの家畜化は農業開始より遙かに昔にさかのぼる.


シップマンはここでイヌの家畜化の時期や態様について詳しく議論している.骨の形態分析からオオカミとイヌを区別できるとし,その手法を使うと3万2千年前にはすでにイヌがいたことになる.またコッピンガーのヴィレッジドッグ仮説を紹介した上で,イヌが定住以前の3万2千年前にいたならこれは否定される*8とし,それは狩猟の補助,キャンプサイトの番犬として家畜化されたのだと主張している.また最近のSNPsを使ったリサーチによると,イヌの起源は従前言われていたような東アジア単一起源に近いものではなく,多系的で,割合としては中東系統の比率が高いことがわかったとしている.起源年代にはなお議論があるようだが*9,このあたりのイヌに関する記述はシップマンの思い入れもたっぷりで,読んでいて大変に興味深いところだ.


この後その他の家畜化を取り扱い,様々な考古学的な証拠を紹介している.このあたりの詳細*10も読んでいて面白いところだ.コストとして人獣共通感染症などもあるものの,全体として家畜化はニッチ構築としての「生きた道具」革命であり,それには多種多様な動物の知識,動物とのコミュニケーション能力が重要だったはずで,ヒトの認知能力にはそのような淘汰がかかっただろうと総括している.そして最後に,ヒトの健康を保つためには現在においても引き続き動物と関わる必要があるのだと主張し,動物の物語を愛し,ペットを飼うことの意義を高く評価して本書を終えている


家畜化がニッチ構築であるという主張はなかなか面白い.ただ認知能力への淘汰仮説はやや強引だ.家畜化は(イヌをのぞいては)農業開始以降なので,このような認知能力への淘汰があったとするなら,ユニバーサルではなく,文化差がみられることになると思われる.実際に見つかれば興味深いところだが,やや怪しいというところではないだろうか.


というわけで本書は,シップマンのアニマルコネクション仮説を考古学的な証拠を中心に道具,言語,家畜化の3点から検証していくものになっている.
確かに人類進化において動物との関わりは何らかの要因になっているだろう.この仮説は結局それがどの程度かという程度問題に帰着するように思われる.そして程度問題としてみて,私にはなおそれほど説得力があるようには思われない.また言語についての記述はやや残念なものだ.しかし考古学,古人類学の詳細部分はなかなか充実していて面白い.そういう意味では読む価値が十分にある本だと思う.


最後に翻訳について苦言を呈しておこう.本書の訳文は直訳調で堅く,はっきり言ってこなれていないし,日本語として理解しにくい文章が点在している.いろいろな大人の事情はあるのだろうが,アメリカでは10ドルそこそこで入手可能な本に対して3500円の定価をつけて売るのにふさわしい水準には到底達していないと評さざるを得ないだろう.
訳文はたとえばこんな調子だ.

  • 動物に向けられるどうでもいいような注目 ― 例えば「それならかわいいワンちゃんは誰なのかな?」など ― は,動物のことを正確に理解していないかもしれず,コミュニケーションの欠如もほとんど問題にしていないことが的を射ていることを表すものだ.(193ページ).

コッピンガー説の紹介ではこんな具合だ.

  • それは自然選択の原則だ.いうならばダーウィニズムである.イヌは食糧になっていた.廃棄物になるようになっていたのだし,人間についての事情は途方もない数の廃棄物がいたということだ.(221ページ).

この「イヌは食糧になっていた」の原文を調べてみると「They're coming to the food. 」だ.要するに,イヌは人間が大量に捨てるゴミを食べ物とみて寄ってくるということだ.訳文は文脈からいって明らかに不自然だし,ましてやコッピンガー説を理解していたら,これをこう訳すはずがない.おそらくこれは機械翻訳そのままなのだろう.下訳として機械翻訳を使うことを否定するつもりはないが,もう少しきちんと仕事をしてほしいものだ.



関連書籍


原書

The Animal Connection: A New Perspective on What Makes Us Human

The Animal Connection: A New Perspective on What Makes Us Human


パット・シップマンの本
まずは古生物,古人類学関連

Life History of a Fossil: An Introduction to Taphonomy and Paleoecology

Life History of a Fossil: An Introduction to Taphonomy and Paleoecology

The Neandertals: Changing the Image of Mankind

The Neandertals: Changing the Image of Mankind

The Wisdom of Bones: In Search of Human Origins

The Wisdom of Bones: In Search of Human Origins

Taking Wing: Archaeopteryx and the Evolution of Bird Flight

Taking Wing: Archaeopteryx and the Evolution of Bird Flight

伝記,デュボアのもの

レディ・ベイカーの波瀾万丈の人生
To the Heart of the Nile: Lady Florence Baker and the Exploration of Central Africa

To the Heart of the Nile: Lady Florence Baker and the Exploration of Central Africa

女スパイとして有名なマタ・ハリ
Femme Fatale: Love, Lies, and the Unknown Life of Mata Hari

Femme Fatale: Love, Lies, and the Unknown Life of Mata Hari




 

*1:たしかに本書の最初の3/4の内容は邦訳カバーの方のイメージに近い.そういう意味では犬の写真で引きつけておいて,実は延々と古代の石器やらシンボルの話が続くというあざとさを潔く切り捨てたのかもしれない.とはいえ,シップマンの真に伝えたかったことからはペットの写真もあながち的外れということでもないからそのまま犬の写真を使ってもよかったのではないだろうか.マーケティング的には損をしているように思う.

*2:ジャワ原人の発見者

*3:フローレンス・ベイカー.夫と一緒に19世紀にナイル川の源流を訪ねる冒険的な探検行を行ったことで有名な人だそうだ.ハンガリーに生まれて,奴隷にされた後オスマン帝国後宮に入り,そこでサー・サミュエル・ベイカーに救い出されるという数奇な前半生も併せて波瀾万丈の人生だったようだ.

*4:オランダ人のダンサーでフランスで活躍し,高級娼婦としてもならしたが,第一次大戦中に女スパイとして処刑されたことで有名.このあたりまでくると古人類学とはほとんど何の関係もない気がする.

*5:植物の処理はそれに比して少ないとされている.

*6:たとえばチョムスキーの考え方を,「言語の必須要素は(再帰性を含む)構文である」と定義し,子供が構文なしでも意志疎通できることをもってそれを反駁できたとしたりしている.控えめにいってもつっこみどころ満載だろう

*7:また幼児の言語発達の研究をとりあげて,言語進化の法則として語彙が400を越えると自然発生的に文法が生まれることを示したかのようにとらえている.ここもかなり違和感がある

*8:移動するキャンプサイトを追っていくなら次々と他の群の縄張りに進入する事になるので,オオカミの性質として無理だっただろうとしている

*9:出アフリカ以降1万5千年前までの間というのが慎重な学者の言い方のようだ

*10:家畜化の証拠としては性比,去勢,馬具の跡,糞の成分などが取り上げられている.豚の多起源,カザフスタンの大規模なウマの家畜化のリサーチなどが語られている.