d-laboとはスルガ銀行が東京ミッドタウンに開設しているラボで,様々なセミナーやプロジェクトが行われている.(詳細はhttp://www.d-laboweb.jp参照)今回8月20日に三中信宏のセミナーが開かれると知り参加してきた.夜7時から9時という2時間もの“高座”はかなり珍しいので充実した脱線が聴けると思っていたのだが,期待を裏切らないサービス振りだった.
冒頭で「ヒトは分類をする生き物である」と断言し,本日の主題はサブタイトルにある「分類と系統の視覚化」にあると説明する.ヒトは計算によってではなく眼で見て物事の本質を把握して分類するのだ.
続いて分類群ごとの種数を示した図を示し,「なぜ分類するのか」を説明する.要するに世界に現存する生物種数は膨大でヒトはそれをすべて個別に記憶することはできない.分類せざるを得ないのだ.片方で,生物学は生物界を単一祖先からの分岐という原理で説明できることを見つけた.これが「系統」の議論になる.
また分類する際には,「分類対象の秩序は実在して,ヒトの心はそれを発見するのか」それとも「秩序はヒトの心に生まれる観念に過ぎず,ヒトの心はそれにより自然を無理矢理解釈しているだけなのか」という認識論的な対立もある.
次にヒトの生得的な「分類する心」が行う分類の特徴について.文化人類学は以下のことが通文化的に見られることを発見した.
- 分類は階層的になる.
- 階層は深くならない
- 各群のサイズはほぼ同じ
- 一時に憶えきれるアイテム数には上限があり,それは大体600ぐらい.
この対象は生物に限られない.様々なものが蒐集・分類の対象になる.(スライドではボタンや缶詰ラベルが紹介される)
また分類は階層的であるということは,民族的分類体系はツリーになる.ヒトの心はネットワークを理解できないのだ.ここでチェイン,ツリー,ネットワークの解説がある.
ここから具体的なチェイン,ツリー,ネットワークの図が多数紹介される.このあたりは「系統曼荼羅」の要約といった内容になる.
- まず典型例:ボネの「存在の連鎖」,ヘッケルの系統樹,人種を説明するネットワーク図
- 生物以外の系統樹の例:写本の系統樹(カンタベリー物語,棒の手紙,百鬼夜行絵巻)
- 図像的な表現:エッサイの樹,ヨアキムの生成の樹.神話の神々の系統樹,カバラ宗教の系統樹,
- その他の例:オジキビトの系統樹,飛び出し小僧の系統樹,フォントの系統樹,ポケモンの系統樹,チキンラーメンの系統樹,醤油鯛の系統樹,オクルパニッド(パンの袋を止めるプラスチック製のクリップ)の系統樹
- 作者: 三中信宏,杉山久仁彦
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2012/11/09
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「棒の手紙」は聴衆にバカ受け,オジキビトや醤油鯛もかなり聴衆に受けていた.初見の人も多かったようだ.文化的な影響物については,(写本のように)厳密に1つの手本から派生するわけではないこともあるのでネットワークになることもあるはずだが,そのあたりについては一般向けということか,突っ込んだ詳しい解説はなされなかった
休息の後,分類思考と系統思考の関係を解説.
- 分類と体系は(幸運にも)一致することもあるが,そうでない場合もあることをまず解説.
- 何とか一致させようとする試みの1つとして「分類は系統の切片である」というフルブリンガーの方式を紹介
- 三中自身はこれは別の試みで一致させる必要はないと考えている.特に分類は心の問題であり,系統的な原理に一致するものが必ずしも心にとって「ナチュラル」に感じられるとは限らない.
ここからちょっと毒のある話に移り,日本も含む東アジアの文化においては,「普遍原理に無関心でどこまでも個物崇拝とその記載を行う」という伝統があるという話になる.三中の解説は以下のように進む.これらは一連の「種」論争をくぐってきた三中の偽らざる印象なのだろう.
- このような個別崇拝と記載の世界にどっぷり浸かっていると心地よいので抜け出せなくなるのだろうし,実際日本の分類学者の多くは原理に無関心だ.
- 逆に普遍原理が出てくるときにはそれは空中から根拠レスにいきなり出てくる超越的思弁になる.
- 例:早田文蔵の台湾植物図譜の図,南方熊楠の南方曼荼羅(いずれも天台宗由来らしい)
最後に近刊「自然を名づける」と10月のイベント「系統樹の森」展について紹介を行って講演終了となった.
- 作者: キャロル・キサク・ヨーン,三中信宏,野中香方子
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会場でのQ&A
Q:形態からの分類とDNA分類が大きく食い違っているといわれているがどう考えるのか
A:まず食い違っているとニュースになるが,多くの分類は一致している.形態は測定比較しにくいものあるので,DNAの方が解像度がよい.その結果一部で食い違う.
Q:スライドの中に泊次郎の「プレートテクトニクスの拒絶と受容」が表示されていたが,解説して欲しい.
A:個別例への執着は日本の生物分類学だけでなく地質学にもあったという例として出したもの.原理原則にこだわりがなく個別例に執着した様子がよく描かれている.
Q:何故ヒトは分類するのか
A:「分類する心」は生存上有利だったので自然淘汰により進化したということだろう.
Q:なぜ東洋では個別崇拝と記載のみになるのだろうか
A:おそらく中国の本草学の影響が大きいのではないか
Q:西洋ではキリスト教的生物観から抜け出すために原理原則で戦う必要があったのでこうなっているということではないのだろうか
A:それは大変啓発的な意見で参考になる
Q:オオカミとイヌは同種だと聞いたがそうなのか
A:マイヤーのいう生物学的種概念では交雑可能であれば同種ということになっているが,実際にイヌ間でもグレートデンとチワワが(自然に)交雑できるとは思えない.そもそも「種」というのはそんなにはっきりとした概念ではないと考えた方がいい.
主催者側から最後に「夢」を語って締めて欲しいとリクエストがあり,以下のようにコメントして締めくくりとなった.
本日示したように,分類と系統の話は学問領域を飛び越えた話になる.要するに「ものの考え方」は様々な領域で通用するのだ.領域間の壁というのは本当はないはずのものだ.このように壁を超えるとまた新たな壁が見えてくるが,それをさらに越えていきたい.それが今の自分の夢だ.
持ち時間たっぷりの“高座”で,スライドの合間には関連のインターネットサイトに飛んで実例を詳しく紹介するなどサービス満点だったし,聴衆も反応がよく,くだけて楽しい講演だった.三中先生や関係者の方々にはここで感謝申し上げたい.
これは講演開始までに待ち時間が発生したので東京ミッドタウンガレリアB1「京はやしや」でいただいた抹茶パフェ.暑かったので美味しゅうございました.