「Did Darwin Write The Origin Backwards?」 第4章  「ダーウィンと自然主義 」 その1 

Did Darwin Write the Origin Backwards?: Philosophical Essays on Darwin's Theory (Prometheus Prize)

Did Darwin Write the Origin Backwards?: Philosophical Essays on Darwin's Theory (Prometheus Prize)


第4章ではダーウィンの議論の方法論が扱われる.ダーウィンは現代的な意味での「方法論的自然主義」によっていたのかという問題だ.

<方法論的自然主義とは何か>

ここでは「方法論的自然主義(methodological naturalism)」とは何かがまず解説される.よく用いられる定義は「科学は超自然的神性の存在や性質について何らかの主張をすべきでない」というものだ,そして一般的にはダーウィンは方法論的自然主義の立場を取っているとされている.ソーバーはそこには微妙な問題があると主張する.

まずダーウィンは進化を神を使わずに説明した.よく「最初の進化の自然主義説明」といわれる.しかしそうではない.ラマルクも,さらにさかのぼってエピクロス主義者も神を使わずに説明しようとしている.彼等とダーウィンの差は,ダーウィンの説明は基本的に現代的理解につながっているが,ラマルクたちの説明は否定されているというところだ.
ともあれ,ダーウィンと現代の進化生物学がつながっているとするとダーウィンは方法論的自然主義をとっていたと受け取られてもおかしくない.


ここからがソーバーの最初の議論になる.

  • しかし,そうだとするとOriginの最後に「God」が登場するのは奇妙に見える.有名な最後の段落で彼は「this view of life, with its several powers, having been originally breathed into a few forms or into one」と書いている.またその少し前にも「into which life was first breathed」という記述がある.誰が「吹き込んだ」というのであろうか.もちろん当時の読者にはそれは自明だった.しかも前者については第2版以降も「by the Creator」という語句を加えて最後まで残っているのだ.(後者については削除されている)
  • これは単なるレトリック上の修飾だという見方もある.
  • 私はそうではないと論じる.なぜなら神学的な議論はこの本の主題の一部だからだ.

ソーバーによるとダーウィンはOriginにおいて創造論(特に個別創造論)に対して以下の根拠をもっていわば神学的に反論しているということになる.

  1. 神が超越的な法則を定めるものだとすると,個別の種の詳細についてまで関与したというのはありそうもない
  2. 不完全な適応の存在をどう考えるのか.自然淘汰と共通祖先ならこの不完全な適応を説明できるが,全能の神による創造だとするなら不完全な適応がこれほど多いのは驚きというほかない.(ソーバーは,これはよい尤度の議論だとコメントしている)
  3. 子孫が親に似ず,先祖帰りのような形質を持つことがある.これも共通祖先性からは容易に説明できる.(しかし全能の神による創造だとすると説明が難しい)
  4. 「神がそのようにアレンジした」という反論は受け入れがたい.それは真実の代わりに虚偽を受け入れるものだし,そのような議論を受け入れるということは,神の御業が単なる「まがいもの」と「だまし」になり,さらに神は私たちから目的を隠していることになる.それはありそうもないことだ.*1
  5. 悪の存在.(例としては寄生バチがイモムシを生きたまま餌にすること,カッコウのヒナがホストの卵を押し出すことが挙げられている)創造論によると神は悪を作っていることになる.これもありそうにない.


このような議論に対して一部の歴史家は次のように解釈する.

  • ダーウィンは,悪の存在により理神論(神は宇宙を創造し物理法則を定めたが,個別の事象には関与しないという考え方)に傾いた.

そうだとすると,現在の一部の信心深い生物学者にとってはダーウィンは理神論という解決を宗教に送ってくれたことになる.ソーバーはしかしこの議論には穴があると指摘する.全能の神は自分が選んだ法則で悪が生まれることも予測できたはずだからだ.(そしてダーウィンはそれにも気づいていた)

ではダーウィンの真の立場はどうだったのだろうか.ソーバーは以下のように指摘している.

  • 確かにダーウィンは時に理神論的な表現を使っているが,不可知論的な表現になっている部分もある.
  • 不可知論的な表現の一部は現代的なそれではなく,「天国,地獄,個人的な祈りに答える神を信じない」という意味だから,理神論も含まれるだろう.しかし自伝においては現代的不可知論的な表現もある.
  • ダーウィンが結局不可知論に走ったのか,理神論との間で揺れ続けたのかはともかく,はっきりしていることがある.彼のこの考察は生物学からではなく哲学的な考察(悪の存在,最初の要因という議論,宇宙の起源についてのヒトの考察能力への疑問など)によっているということだ.
  • またもうひとつはっきりしていることがある.それはダーウィンキリスト教信仰から離れていったということだ.自伝には「キリスト教信仰は”damnable doctorine”だ」という表現もある.その理由としては,「教義に従えば多くの彼の親しい人々が不信心者という理由だけで永遠に地獄で苦しむということになる」ということが挙げられている.


というわけでソーバーの最初の指摘はOriginには神学的哲学的議論が含まれているということになる.確かに創造論を本気で否定しようとし,そして「神がそのようにアレンジした」という反論を扱うには,生物学だけでは事は済まないのだろう.それには「神が想定されているようなものであるなら,それはありそうもない」という神学的な(かつ尤度的な)議論が必要になるのだ.



 

*1:さらにダーウィンはこの問題に関して「そのような議論はどんな現象も説明できてしまい,何の予測も行えない.」とも主張している.ソーバーはこれ自体は神学的議論とはやや異なると指摘している