「Did Darwin Write The Origin Backwards?」 第4章  「ダーウィンと自然主義 」 その2 

Did Darwin Write the Origin Backwards?: Philosophical Essays on Darwin's Theory (Prometheus Prize)

Did Darwin Write the Origin Backwards?: Philosophical Essays on Darwin's Theory (Prometheus Prize)


<方法的自然主義を洗練させる>

さて前節で,ダーウィンのOriginはすべて方法論的自然主義によっているのではなく,一部神学的議論もなされているというソーバーの解釈が示された.ソーバーは先の方法論的自然主義の定義「科学は超自然的神性の存在や性質について何らかの主張をすべきでない」によれば,「科学」はそうすべきではないということになるが,少なくとも「科学者」は自由に議論してよいのだとダーウィンの立場についてコメントしている.

しかし考えてみると「主張する」のは人であって「科学」が何かを主張するというのはちょっとおかしい.そこでソーバーはこの「方法論的自然主義」の定義についてもっとよく吟味してみようと議論を進める.

ソーバーによる一歩進めた定義

  1. 理論についての方法論的自然主義:科学理論は超自然的神性の存在について主張してはならない
  2. 証拠と議論についての方法論的自然主義:科学的な証拠と議論は超自然的神性の存在について主張してはならない.

定義は二つの点を改めている.最初は「科学」を「理論」と「証拠と議論」に分けたことだ.この定義を用いると,方法論的自然主義者は,反自然主義者の観察に反する主張を批判できることになる.ソーバーは例として地質学者が「地球は1万年より若い」と主張するヤングアース創造論者を批判できることを挙げている.
もう一点は主張の対象について超自然的神性の「存在と性質」から「性質」を除いたところだ.ソーバーはこれについて,そもそも存在が問題になった議論があるとするならそこにはその性質が暗黙の内に仮定されてしまうことになるのでこれで十分だし,またこのように定義すると,「仮に神がいたとしても・・・」という議論を許容できるとしている.後者の例としては「仮に神がいたとする.するとそのような神はこういう性質を備えているはずなので,神による創造は否定される.また神がいないとするとやはり神による創造は否定される.だからいずれにしても神による創造は否定される」というダーウィンの議論を挙げている.ソーバーはこのような議論は方法論的自然主義の立場からも許されるべきだと主張する.
そしてソーバーは続けて,多くの現代の学者は「神がいるとすればこのような特徴を持つはずだから」という部分について興味がないし,そこを飛ばしてダーウィンを読もうとするが,そうしてしまうとダーウィンの「one long argument:一つの長い議論」は意味をなくしてしまうと主張する.ソーバーの理解では,ダーウィンの「長い議論」は「二つの相反する主張のうち証拠はどちらを支持しているか」という尤度主義的議論であり,ある仮説のテストを行うためには対立仮説が必要になる.そして自然淘汰による進化仮説の対立仮説としては特殊創造論を選んでいるのだということになる.そしてソーバーの見解では,今日の進化生物学者は双方ともに超自然を扱わない仮説(例:適応か,浮動か)を用いて,方法論的自然主義を通常の定義においても貫徹できる.しかしそれはダーウィン流のいわば部分的自然主義的議論により道を開かれたからこそ可能になっているということになる.

ソーバーのいうことも(ダーウィンファンとしては)わからなくもないが,あまり納得感はない.純粋な科学は「神はそのように見えるように世界をデザインした」というようなロジックを用いる特殊創造論を相手にはできないということで別段いいのではないかと思う.どのような証拠によっても崩れないむちゃくちゃな主張を証拠なく主張する相手に対しては科学とは別の種類の議論を行うほかはない.そしてダーウィンは一部そのような試みを行ったと理解しておけばいいのではないだろうか.


さてソーバーはこの自分の定義による方法論的自然主義についていくつか追加コメントを行っている.

  • 方法論的自然主義形而上学自然主義(metaphysical naturalism:超自然的な神は存在しない)とは異なる.進化生物学はこの意味での自然主義にはニュートラルだ.通常それは神については否定ではなく,一切無視する.
  • ここでは「超自然」という用語は空間的,時間的限界を持たないという意味で使っている.
  • またここでは「超自然」について特に「(一神教的な)神」を念頭においている*1


続いて創造論者はどう受け止めているかについてコメントがある.

  • 伝統的な創造論者は方法論的自然主義自体については認めるが,進化生物学は無神論的哲学であり,方法論的な中立要請に反しているとする.
  • 最近の創造論者(ID)は進化生物学は方法論的自然主義を守っているが,方法論的自然主義は破棄されるべきだと主張する.超自然から眼を背けるのは砂地に頭をつっこむダチョウと同じだというのだ.

ソーバーは最後に進化理論はどのような神学的中立性を持っているかについてコメントしている.

  • まず進化理論と相反するような主張を行う宗派からは中立ではあり得ない.例えば特殊創造論などだ.
  • 理神論との関係はどうか.理神論は進化生物学より先に生まれている.神は進化を利用して創造を行ったという理神論的な主張は進化生物学とは矛盾しない.
  • さらにこの中間に第3の宗教的立場があり得る.進化は認めるが,事実の説明にはさらに神による干渉を必要とする立場だ.この干渉が物理法則に反しない形で行われるならそれは進化生物学とは矛盾しないことになる.

この部分の議論はいかにも哲学者らしい議論だ.そしてソーバーは続けてなぜこの3番目の立場が進化生物学と矛盾しないのかについて詳しく解説する.

 

 

*1:ソーバーは「神にはギリシアのような多神教の神もある.その中には方法論的自然主義に反しないものもあるが,それらは別の理由で科学からは排除されるべきものであるかもしれない.ここではそれには立ち入らない」とコメントしている