「生きた化石 生命40億年史」

〈生きた化石〉生命40億年史 (筑摩選書)

〈生きた化石〉生命40億年史 (筑摩選書)


本書はリチャード・フォーティによる科学啓蒙書兼探訪記だ.フォーティは英国の三葉虫が専門の古生物学者で,これまで,化石についての解説書である「Fossils」,英国の地質史を扱った「The Hidden Landscape」(この2冊は未邦訳),地球の生命史を扱った「Life」(邦題「生命40億年史」),専門の三葉虫について熱く語った「Trilobite!」(邦題「三葉虫の謎」),地球史を扱った「Earth」(邦題「地球46億年史」),大英帝国自然史博物館の裏側を綴った「Dry Store Room No. 1」(乾燥標本収蔵1号室」)を著していて,グールド亡き後の古生物者の一版向け人気ライターの第一人者となっている.今回のテーマは「生きた化石」だ.「Earth」と同じく,重要な場所に直接出かけていった旅行エッセイが付加されているのが趣向の一つということになる.原題は「Survivors」(米国版は「Horseshore Crabs and Velvet Worms」).


構成的には,本書はいわゆる「生きた化石*1を特に地質学的の順序にとらわれずに次々と訪ねていき,その旅を振り返りながら「生きた化石」とその祖先古生物を解説していくという流れで構成されている.登場するのは米国北東部海岸デラウェアカブトガニニュージーランドの森の中のカギムシ,オーストラリア南西部シャーク湾のストロマタライト,イエローストーン間欠泉の古細菌,香港郊外の干潟の腕足類,オーストラリアクイーンズランドの海のキヌタレガイとオウムガイ,ノルウェイコスギラン,中国天目山のイチョウナミビアの砂漠のウェルウィッチア,オーストラリア乾燥地帯の肺魚ネオケラトドゥス,英国バークシャーカワヤツメニュージーランドのムカシトカゲ,オーストラリアのハリモグラエクアドル雲霧林のシギダチョウ,マリョルカ島のサンバガエルなどの生物だ.冒頭のカブトガニは著者が三葉虫の研究者だということもあって特に力が入っていておもしろい.

そしてそれぞれの探訪記にあわせて,「生きた化石」生物の現在の生態,その化石祖先についてわかっていること,その地質時代の出来事や,生物地理,「生きた化石」とその近縁動物の系統関係や大まかな進化史などの蘊蓄が楽しく語られる.だからこの本は読みながら詳細を楽しむべき本ということになろう.いくつか楽しかったり印象深かったりした記述を紹介しておこう.

  • デラウエアでは産卵時に大量のカブトガニが浜辺に集まってくる.カブトガニの血液には驚くべき凝固性能があって一時製薬会社に乱獲された.その卵をコオバシギが渡りの中継地の重要な食料としていることから鳥類愛好家を中心とした広範囲な保護運動が立ち上がり,現在では持続可能な捕獲になるように規制されている.
  • あまり「生きた化石」とはいわれないが,サソリも遙か昔の祖先からあまり姿が変わっていない動物群だ
  • 近年の分子系統分析からはカギムシ類(葉足動物)は節足動物クマムシ類(緩歩動物)と近縁であるようだ.
  • オーストラリアの一部地域でストロマトライトが今でも観察できるのは,乾燥していて潟湖内の塩分濃度が高いため特別に耐性のある生物群しか生存が難しいためだろうと思われる.
  • キヌタレガイは2枚貝の一種だが,アマモ場の下の無酸素状態の泥の中で見つかる.消化器系統はなく,硫黄細菌と共生して栄養を得ている.
  • フォーティは偽物しか売っていないともっぱらの評判の北京の蚤の市で本物のジュラ紀のオウムガイの美しい化石を入手した.(思いっきり自慢しているのがほほえましい)
  • フォーティの考えではリンネの業績を最初に大幅に書き換えた分子系統の業績は1993年のチュースたちによる植物分類の仕事だ.
  • 現生のオーストラリアの肺魚ネオケラトドゥスは50年以上の寿命を持ち,大きい個体は30キロを超える.胸ビレには肉質の葉状部がある.空気呼吸するときにはあえぐような音を出す.
  • ハリモグラの現生種は5種を数える.最新の発見は1961年のニューギニア高地にすむ一種でアッテンボローにちなむ学名を持っている.(ザグロスス・アッテンボロウギ)
  • イーダを巡る論争は,この化石が共通祖先からメガネザルより(フルームたちの主張)かキツネザルより(ペリーたちの主張)かというところに集約される.


というわけで本書は,すでに自分の専門分野,それに関連する壮大なテーマ,職業的裏話を出し尽くしてしまった感なきにしもあらずの著者によるこんなテーマで世界中を旅したいという魂胆が見えるような企画だが,著者の人柄か,肩の力の抜けた軽妙洒脱な本に仕上がっている.かなり分厚い本だが楽しく読んでいくことができる本だ.あえて注文を付けるとするなら,もう少し対象生物の写真をカラーで掲載し,さらに各章に(化石種と現生種の関係が重要なテーマである本として)系統樹を掲載してほしかったというところだろうか.原書では豊富なカラー図版が掲載されているようなので写真についてはとりわけ残念に感じられる.


関連書籍


原書

Survivors

Survivors


その他のフォーティの邦訳書


大英博物館の裏話を扱った本.ある意味では暴露本だとも言える.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20110517

乾燥標本収蔵1号室―大英自然史博物館 迷宮への招待

乾燥標本収蔵1号室―大英自然史博物館 迷宮への招待


これは専門の三葉虫を扱った本.自分の好きな題材とあってこの本が最も充実している.

三葉虫の謎―「進化の目撃者」の驚くべき生態

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次に訳されたのが進化史全体を鳥瞰したのがこの本.

生命40億年全史

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これは地質学に焦点が合わさった本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090927

地球46億年全史

地球46億年全史



 

*1:なおこの誤解されやすい表現については本書中何度も注釈がついている.基本的には化石種のどの現世子孫種も同じ期間進化を経ているわけだが,あまり形態的に変化していない生物にこの用語が用いられる