「サルなりに思い出す事など」

サルなりに思い出す事など ―― 神経科学者がヒヒと暮らした奇天烈な日々

サルなりに思い出す事など ―― 神経科学者がヒヒと暮らした奇天烈な日々


本書は,ストレスについての神経生理と行動,特にコルチゾール系のホルモンとの関連をリサーチし,さらにアフリカでヒヒの長期観察を行ったことでも有名なロバート・サポルスキーの2001年に出された回想録である.原題は「A Primate's Memoir」,あえて直訳すれば「ある霊長類の回想」ということになるだろうか,ちょっとひねった題で,邦題はその味をうまく生かしていると思う.なお大変残念なことに原書の全29章のうち6章はカットされて「抄訳本」ということになっている*1


内容的には著者のアフリカ社会とアフリカ文化のとぼけた体験談が1/3,アフリカ各地への冒険旅行が1/3,観察したヒヒの群れの王朝興亡紀が1/3という具合で,研究内容の詳細にはあまり触れていない.だから自然科学書というよりは自伝という書物ということになるだろう.
これらが混然とミックスしておおむね時間の経過に従って若い頃から順番に描かれている.そして読んでいて一番面白いのは社会と文化の体験談だ.これは著者がかなりとぼけたユーモアを意識して脚色しているという事情もあるのだろうが,アフリカ社会に体当たりする若者の体験した真実がベースにあって迫力が感じられるものでもあるからだろう.


著者はストレスがヒトに与える影響についての疑問を明らかにすべく研究生活を始めるが,元々霊長類好きで,うまく機会をとらえてアフリカのヒヒ*2観察に道をつける.そこからケニアのサバンナに住むヒヒの群れの王朝交代物語が始まり,旧約聖書の登場人物の名を付けられた*3ヒヒたちの個性的な振る舞いが語られ始める.読者がヒヒの物語にのめり込み始めたと思うと,次の瞬間にアメリカの若者が最初にナイロビに到着したときの抱腹絶倒のどたばた劇が語られる.現地の人々の独自の論理で詐欺と賄賂と密猟に深く結びついた生活,バッファローやゾウやグンタイアリの恐ろしさ,近隣部族からの略奪を当然と考えるマサイ戦士の真実,親しくなった現地の人々とのどこまでもずれた会話,ケニアにおける何とも表現できないぐらい現実的な物事の処理の仕方.著者は当初は詐欺師やタカリ屋に思いっきりカモにされていたが,もまれていくうちに,アメリカからの送金が手違いで途絶えた時に詐欺師の見せ金を逆にだまし取るという技まで駆使して苦境をしのぐところまで成長する.そしてヒヒの群れを発見してのリサーチ物語,著者はヒヒに麻酔薬を打つための吹き矢に熟達し,それを避けようとするヒヒとの知恵比べが始まる.これらのすべてがとぼけたユーモアのある文体で語られて進み,読者はぐいぐい70年代の東アフリカのめちゃくちゃな世界に没頭していくことになる.


そして突然タンザニアの悲劇の歴史物語が語られ,著者のアミン政権崩壊直後のウガンダへの危機一髪の冒険旅行が始まる.何とか無事にケニアに帰り着くとヒヒの王朝物語が再会し,現地で雇った助手たちとの,そしてマサイ族とのとぼけた会話や果てしなくその場しのぎの生活がのんびりと綴られる.と思った瞬間ケニアでの空軍クーデター失敗事件が生じ,様々な出来事が著者の身にも降りかかる,さらに著者は政情不安なスーダンへも潜り込む.このときの紀行は本書の一つのハイライトで,スーダンでの物事のとんでもない決まり方,危険に満ちた旅が語られている.


ここでヒヒの王朝物語が再開し,ケニアの社会のどたばたが描かれ,著者はケニアでまたもだまされ,ニューヨークでも詐欺に会い,さらにケニアでとあるツーリストキャンプの支配人がヒヒをライフルで撃ちたいがために仕組んだ狂言劇に巻き込まれる.ルワンダを訪れてマウンテンゴリラに出会うとともにダイアン・フォッシー*4に思いを馳せる.またもヒヒの王朝物語が挟まった後に著者自身の結婚が描かれ,噂話と伝言物語の抱腹絶倒がアクセントを添え,法で廃止されると決まったマサイの戦士システムの残虐さがほのめかされる.
そして自伝は最後にほろ苦い物語で締めくくられる.観察対象のヒヒの群れがどうにもならないアフリカの現実の前に疫病に侵され次々と倒れていくのだ.著者は激しく怒り,抵抗し,最後は諦観する.それまでスラップスティックコメディ調で語られてきた物語は最後にシリアスな余韻を残して閉じられるのだ.


というわけで本書は,疾風怒濤,ありとあらゆるアフリカのどたばたとペーソスを詰め込んだ,読み出したら止まらない本だ.全訳でないことだけが心残りだが,万人に推薦できる密度の高い希有の本だと思う.


関連書籍


原書

A Primate's Memoir

A Primate's Memoir




 

*1:全訳するとかなり大部になり上下巻に分けては売れ行きが心配というような事情なのだろうか,なかなか面白い本だけに残念だ

*2:ヒヒにはアヌビスヒヒ,キイロヒヒ,マントヒヒ,チャクマヒヒ,ゲラダヒヒなど何種かいるが,本書では,観察対象がそのどれなのかについて特に示されていない.そのあたりも自然科学書というより自伝風だ.ケニアにはアヌビスヒヒとキイロヒヒが分布するが,サポルスキーの観察対象はアヌビスヒヒのようである.なお邦書カバーの絵はどう見ても西アフリカに分布するマンドリルであって,ケニアに分布するアヌビスヒヒでもキイロヒヒでもない.(かつてはマンドリルもヒヒ属とされていたようであるが,現在マンドリルはヒヒ属ではなくマンドリル属とされることが多いようだ.)調べてみると原書ハードカバーもマンドリルの絵を使っていて,あるいはサポルスキーが自分をマンドリルになぞらえているのかもしれない.原書カバーの方はマンドリルがフィールドノートをつけていて(あるいは回想録執筆中?),これがサポルスキーのことだとわかるが,邦書カバーではわざわざそのノートのない絵を使っている.このあたりの邦訳出版元の意図はよくわからない.いずれにせよ謎に満ちたカバー絵だ.

*3:ユダヤ系である著者は,これはユダヤ系の教師に対する小気味の良い復讐でもあったと書いている.著者は子供の頃ユダヤ系の教師に進化がらみの本を見せるたびに「神への冒涜だ」と顔をしかめられた続けた日々を大人になっても恨みに思っていて,「ネブカドネザルとナオミが交尾のために茂みに消える」などとフィールドノートに記す日が来ることをを夢見たのだそうだ.

*4:著者は腹蔵なく彼女の真実を語っている.なかなかすさまじい人生だ.