「進化生物学と道徳心理学」


道徳心理学コロキアムなるコロキアムがあって,第5回のワークショップが「進化生物学と道徳心理学」をテーマにして行われると知って参加してきた*1.このコロキアムは科学哲学者の太田紘史の主催によるもので,参加者には哲学や倫理学をホームフィールドにする方が多いようだ.会場は東大駒場キャンパス.開かれたのは9月18日で,例年ならまだまだ残暑の厳しい頃だが,今年は過ごしやすい秋の一日といった風情だ.


コロキアムは進化心理学者の小田亮と科学哲学者の田中泉吏がプレゼンし,その後質疑応答するという形で行われた.


「人間は「おせっかいなサル」である」 小田亮


冒頭で東日本大震災時の南三陸町町役場の防災放送担当者の利他的な行動が紹介され,そのほか寄付やボランティアなどヒトの行動の中に利他的なものがあることを提示.
ではなぜこのような行動が生じるのか.これを調べるにはまず利他性が計測できなければならない.現在よく使われるのは独裁者ゲームでいくら分配するかを指標とするというものだ.(小田の実験では700円を100円単位で分配するという形で行うことが多いそうだ)
なぜかを問われると,通常の人は「お互い様だから」「助け合い」などと答えるが,進化的な説明は(なぜそのような傾向が進化できたのかを問う形で)別のレベルで行うことになる.
ここで進化の簡単な解説があり,利他性にかかる進化的な議論として「血縁淘汰」「直接互恵」「間接互恵」が説明される.ここから小田自身のリサーチを含めていくつかのトピックが紹介解説される.


<間接互恵と目の効果>
血縁淘汰や直接互恵では,赤の他人への利他的な行動を説明できないことから,ヒトの利他性の説明には「間接互恵」が注目を集めているとし,有名な「目の効果」の実験を解説する.
間接互恵は「評判」メカニズムともいえるが,それには「よい評判を得る」「悪い評判を避ける(罰を恐れる)」の二つのメカニズムがありうる.このどちらが強いのかを調べるために,先ほどの目の効果の実験において被験者に意思決定の際に何を考えていたかを問うアンケートを実施した.様々な質問項目に答えさせ,回答について主成分分析を行うといくつかの主成分が検出できた.うち第1成分は「罰への恐れ」,第4成分は「よい評判への期待」と解釈できるものだった.この成分が先ほどの分配額に対してどう聞いているかを見ると第1成分経由ではマイナスの影響(ただし有意差はない),第4成分経由ではプラスの影響(こちらは有意)であり,「よい評判への期待」が効いていると考えられる.


<騙しの検知>
次のこのような互恵性による利他行動の進化においては,相手による騙しが問題になる.トリヴァースにより早くから指摘されているように,騙しには「全くの裏切り」のほかに「微妙な騙し」(本来期待されているより少し少なめに返報するなど)があり,これの対処が難しい問題になる.互恵性による利他者はこの検知ができることが重要になるはずで,どこまで検知できるのかを調べてみた.まず被験者の学生に「利他性尺度アンケート」に答えてもらい,その上位10%7人と下位10%7人を選び出す,彼等にこれから行う実験のためにヴィデオ撮影に応じてほしいと依頼すると上位者は6人,下位者は4人同意してくれた.*2.彼らを特に意味のない日常会話を行いながら撮影して,音声を消した30秒クリップを用意する.そして別の被験者に彼等が相手だと教示して(高利他者かどうかはもちろん教えない)分配ゲーム(300円を彼らに預けて彼等が決める分配額をもらうか,100円だけもらうかを選ぶもの)をやってもらう.すると高利他者に分配を委託する頻度の方が,低利他者に分配を委託する頻度の方が高くなる.これは会話の様子だけから騙し屋をある程度見分けていると理解できる.*3


チンパンジーとの違い>
山本真也のリサーチによるとチンパンジーの利他性あるいは協力傾向は以下のようにまとめられるとしていくつかの実験結果が照会される.

  • 自発的には協力しないが,他者からの明示的な要求には応じる.
  • 他者の欲求は置かれた状況から理解できる.
  • 理解できても自発的には助けない.

これらの知見によると,ヒトの特徴は要求なくても自発的に困っているであろう他人を助ける傾向があるということで,一言で言えば「ヒトはお節介」だと要約できる.


<適応としての利他性と倫理の関係について>
では上記の利他的な行動傾向を行うための心理基盤と,いわゆる「倫理」はどういう関係にあるのだろうか.クルツバンはこれについて「心理的基盤が道徳につながっている」「つながっていない」の二つの仮説を吟味した.
具体的には有名なトロッコ問題*4の5人と1人を,赤の他人,兄弟姉妹,友人として特定し,これらを入れ替えたときに回答が変化するかどうかを見る.実際には回答比率はほとんど変化しない.(小田も追試でその一部の結果を確かめている)これは利他行動基盤と倫理が直接に結びついてない(そして場合によってはコンフリクトする)ことを意味しているとクルツバンは主張した.
小田は,これらが異なりうることについて,「心の二重過程」の議論(熟考的な道徳判断とモジュール的な行動基盤のずれ),そして遺伝子が行動を制御しようとする場合に個別の場面ごとの指令を行うことができないので一般原則的な指令しかできないこと(一般原則には沿っているが遺伝子の利害には沿わない事例が生じてしまう)などを解説し,社会的にニッチ構築を行うヒトの場合には特にそのギャップが大きくなるだろうとコメントしている.*5


<自分の道徳判断と世間の判断予想>
同じくトロッコ問題について.突き落としバージョンで突き落とすという回答をA,突き落とさないという回答をBとする.被験者にまずABを選んで回答してもらってから,さらに自分はA,Bのそれぞれの回答をどう評価するか,世間はどう評価すると思うかをアンケート調査する.するとAと回答した被験者は自分の評価はA>B,世間の評価はA*6


小田は最後に「ヒトには利他的行動傾向への心理的基盤が適応としてある.それと倫理との関係はなお未解決の課題だ」とまとめていた.


ヒトの利他性についての最新のいくつかの知見の手際よいまとめと,倫理との関係についての現在ある議論の紹介という内容だった.


ここからQ&Aへ.

まず当日姿を見せていた社会心理学者の山岸からコメント

  • チンパンジーが要求に応じているのは単に脅されていて罰を恐れているだけではないか
  • 罰の恐れとよい評判の持つ間接互恵性の関係は何か
  • 罰を実際に行うのは衝動性の高い人という知見があるが,罰と怒り,あるいは怒りと規範はつながっているのか
  • これまでは権力の分析がかけているのではないか

小田のコメント

  • 「罰への恐れ」と「よい評判への期待」は利他性の進化要因として排他的であるわけではないから,両方効いているとしていいのではないか,
  • 罰による利他性は間接互恵の一つとして考えていいと思うが,確かに罰実行者の社会的評判は下がることが知られていて,これは不思議なことだと思っている.


このほか適応の議論で単に100円の金を使うことの意味を問われて,100円自体に適応度の量的影響はほとんどないが,進化心理学者は心理的基盤の構造を見ているのであって,それは100円についてもある程度反応するだろうと考えていること,権力は操作の問題を考慮すべきことなどがコメントされていた.


確かに「罰」を巡る謎は多い.当日これ以上の議論はなかったが,私としては,罰を巡る動態はおそらく非常に複雑で,罰の効果が非常に文脈依存的なのはそのことを示しているのかもしれないという感想だ.



道徳心理の進化と倫理」 田中泉吏


まず現在道徳心理学の論文集(全2巻)のある章を担当執筆していて,今日の話はその一部の要約であることをディスクローズ.


<初期の進化を踏まえた道徳理解の試み>
まずダーウィンの議論を紹介.ダーウィン道徳心理も進化の産物と考え,社会的賞賛,理性,自己利益,宗教的感情などから組み合わされて生じると議論した.その後そのプロジェクトは法学者ポロックや哲学者クリフォードたちによって追求された.しかしポロックは希望を語るのみで,クリフォードは起源の説明と道徳の正当性の議論を混同してしまった.またレズリー・スティーヴンはナイーブグループ淘汰的な考えから道徳を社会の保存本能ととらえ,スペンサーは進化倫理学を標榜した主張を行ったが,その中身は古くからある快楽説を焼き直したものでその正当化は全体にとってのより多くの快や幸福というところを出なかった.


<初期の試みへの批判>
これらの試みに対しては各方面からの批判があった.

  • トマス・ハクスレーは進化は善悪の判断についての理由を与えないとした.
  • ウォレスはヒトの高度な心的能力は自然淘汰では説明できないと主張した
  • シジウィックは倫理学の自律性を主張した.
  • ムーアは20世紀初頭に「善い」ことはこれ以上還元不能な概念であり,それを自然的な性質から定義できるとすることは誤りであるとし.自然主義的誤謬の議論を行った.

ムーアの議論は特に強い影響力を持ち,進化倫理学は斜陽の時期を迎えた.


社会生物学以降>
E. O. ウィルソンは「社会生物学」の中で,道徳感情,さらに倫理学自体も進化生物学によって説明されるべき被説明事項であると主張した.これ以降,道徳について進化的な議論をする試みが復活した.
その中で最近注目集めている試みとしてハイトの社会直感主義モデルとグリーンの二重過程モデルを説明する.


<ハイトの議論>

  • 1980年代までの道徳心理学は,理性や推論を変調し,感情の影響を限定的と扱った.
  • ハイトはむしろ道徳は直感により判断され,その後理性がそれを理由付けし,他人を説得するために用いられると説明した.
  • ハイトはそれを「モラルダムファウンディング」や「理由のでっち上げ」により説得的に示した.
  • このモデルは道徳の社会的側面も説明し,それを世代間に拡張すれば道徳の歴史的変化を説明できるポテンシャルを持っていると評することができる.
  • その試みの例としてここで動物愛護精神の普及を説明する.
  • またこれは道徳的なニッチ構築,道徳学習・教育能力の進化の議論にもつながる.


<グリーンの議論>

  • グリーンは暴走トロッコ問題の解答時に生じる脳領域の活性化をfMRIにより観測し,二重過程モデルのメカニカルな基盤を示した.
  • またグリーンは,この二重過程の感情的な判断については私たちはその中身を理解できないのであり,それに基盤をおく義務論的な判断は(理性によりでっち上げられた)「作り話」に過ぎないと主張し,進化論的な暴露論証を行った.


功利主義倫理学への支持としての解釈>

  • このグリーンの「でっち上げ論」は感情による直観的な判断についてもので,熟考的な道徳推論は対象外ということになる.そして(道徳推論は直観的判断と異なり特定の進化的な課題への適応ではなく一般的な問題解決能力だと考えられるから)道徳推論に基づく帰結主義あるいは功利主義のみが倫理学として支持されうることになる.
  • またこの議論はリチャード・ヘアによる道徳二層論への科学的基礎付けとも捉えられる.
  • 伊勢田は「合意形成の場において,直観主義に対して理性主義は理屈で対抗できないから,そういう場面から撤退するのは理にかなっている」とコメントしているが,短期的にはそうであっても長期的にはあきらめる必然性はないと考える.


大まかに道徳の心理学的な探求の歴史を振り返り,最新の興味深いリサーチとしてハイトとグリーンを挙げ*7,それが功利主義の支持と解釈できるだろうという流れのプレゼンだった.


Q&A
まず主催者の太田から「動物愛護の例は,子供に『動物虐待するとひどい将来が待っているよ』と説得しているので,それは理性過程による道徳判断の説得ではないのではないか」と突っ込みが入り,田中はしばらく考えた後「もっと別の例がよかったかもしれない」とあっさり認めた.

山岸からは「(道徳的)功利主義は自らの利益のを考えるいわゆる功利主義者に対してどう説得できるのか」という質問がなされ,田中は何らかの感情基盤が共有できているなら可能かもしれないみたいな回答を行っていた.*8

その後質疑は功利主義への支持解釈のところに集中.
太田からは,ヘアの二層論なら,トロッコ問題で二つの立場の間で悩むはずがなく,それはむしろロース的な「直感により多くの解決が提示され,理性はどれを選択するか考える」というモデルに近いのではないかと鋭い突っ込みが入り,田中はよく考えてみたいと返すのが精一杯だった.
またフロアからは伊勢田の撤退主義への疑問が多く,特に「仮に短期的な合意形成の場であっても直観主義に対峙するのをあきらめるべきではないのではないか,そうでないと差別や偏見の問題は解決できなくなる」と指摘されていた.私にはなじみのない応用場面だが,なかなかこのあたりは実務的な関心も高いところなのかもしれない.


このあたりで時間切れとなり,コロキアムは終了した.質疑応答の内容が深いなかなか面白い体験だった.


関連書籍


小田の著書.この講演と重なる部分が多い.Kindle化されている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20110615

利他学(新潮選書)

利他学(新潮選書)


ハイトによる社会直観主義モデルが提示されている本.

The Righteous Mind: Why Good People are Divided by Politics and Religion

The Righteous Mind: Why Good People are Divided by Politics and Religion

同邦訳.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20140622


グリーンの議論が収められた本

Moral Tribes: Emotion, Reason, and the Gap Between Us and Them

Moral Tribes: Emotion, Reason, and the Gap Between Us and Them



終了後駒場を歩いていると,駒場博物館で「日本の蝶」の特別展があったので覗いてきた.系統分類に沿った展示,外来種の問題,最近の分布域の北上問題などが美しい標本とともに示されている,なかなか楽しいひとときになった.なお2000年以降は関東でもナガサキアゲハがみられるそうで,駒場において採集された標本も展示されていた.




 

*1:これまでの4回は「道徳認知の神経基盤」「徳倫理と状況認知」「自由意志の認知」「道徳感情の哲学」がテーマだったようだ.

*2:これは利他性尺度アンケートの実効性をある意味で実証していると小田はコメントしていた.統計的に有意ではないだろうが,なかなか面白い

*3:300円は100円単位にしか分配できない設定なので,委託するというのは「被委託者は自らの取り分を100円以下に押さえて,委託者に200円以上分配する」ことを期待することになる.この状況で被験者はかなりの頻度で(高利他者には0.65,低利他者には0.55程度のグラフが表示された)委託するようで,私にとっては驚きだった.被験者は皆さん大変上品な学生さんたちなのだろう

*4:「トロッコが暴走しています.このままだと線路にいる5人が死んでしまいます.その5人を救うために1人しかいない線路へ向けて分岐ポイントを切り替えますか(あるいはそばにいる1人を突き落としますか),その場合1人が犠牲になって死にます.」という問題.

*5:なお兄弟姉妹5人を助けるためにも赤の他人を突き落としにくいというのはわかるにしても,この5人を我が子に変えれば結構回答頻度は変わってくるのではないかという気もしないではない.回答者が大学生なのでなかなか実感を持ってもらえないということなのだろうか

*6:これについてはいろいろな解釈が可能だろう.私の印象は,社会的ニッチの影響というよりは元々の道徳判断の個人差が世間の予想に反映しているだけで,Aと答える回答者は「これは論理的合理的に正しい判断であるが,世間はもっと感情に流される人が多いだろう」と考えている傾向があり,Bと答える回答者は「何の落ち度もない人を突き落とすなんてあり得ないが,世間にはいろんな人もいるから評価は少し弱いだろう」と考える傾向があることを示しているのではというものだ.

*7:ハウザーが取り上げられないのは残念な気もするが,捏造騒ぎの後ではやむを得ないところかもしれない

*8:これは同じ「功利主義」であっても「利益」の定義が異なるから(最大多数の最大幸福vs自らの利益)説得は困難というのが基本ではないだろうか.それでも直感的義務主義者よりは(功利主義自体が共通しているので)話が通じるところがあって説得しやすく,たとえば利害を一致させる制度を構築すれば選択は同じになるということではないかと思う.