「アリの背中に乗った甲虫を探して」

アリの背中に乗った甲虫を探して―未知の生物に憑かれた科学者たち

アリの背中に乗った甲虫を探して―未知の生物に憑かれた科学者たち


本書は,熱帯の生態,またダニ,アリを専門とする生態学者であり,かつサイエンスライターとしても知られるロブ・ダンによる「生物多様性を探求する研究者列伝」的な書物である.いかにもハネカクシなどの好蟻性昆虫に関する本のような題名だがそうではない*1.原題は「Every Living Thing」.


冒頭は各地域の伝統文化がそれぞれ身の回りの生物について非常に詳しい知識を持ち名前を付けているという話から始まる.それは著者自身のアマゾンでの体験から語られている.この手の話においては鳥類の種識別が現代生物学のそれとかなり一致するというエピソードが持ち出されることが多いが,著者の専門はアリであって,さすがにすべての種を識別していたわけではないようだ.このあたりのリアリティは面白い.
そこから身の回りの生物を識別して名前を付けていく試み*2がまず取り上げられる.最初の登場人物はリンネだ.リンネはラップランドで多くの新種を記載し,分類を体系づける.しかし極地方で得られたリンネの感覚は熱帯の多様性を想像できなかった.
ここで微生物が登場する.昆虫の体内を単眼鏡でのぞいたスワンメルダム,そして顕微鏡を使ったレーウェンフックだ.レーウィンフックは全く学問的なバックグラウンドを欠いた人だったが,その顕微鏡は高性能で,ロンドンの王立協会の学者たちははその観察を再現できず,顕微鏡の持ち出しを拒否するレーウェンフックに対してただひたすらオランダ詣でを行うしかなかったというくだりは面白い.
次は熱帯の生物だ.リンネとロランデルの確執のエピソードの後,ウォレスとベイツが登場し,そしてテリー・アーウィンによる生物多様性推定の話に進む.ダン・ジャンセンはそれを実際に確かめようと奮闘する.(この試みが,ITバブル崩壊に伴ってスポンサーを失い,資金難となっていく様はもの悲しい)そしてなお私たちは生物が全部で何種あるかについて大まかな推定についてすら確かな知識を持たないままなのだ.


ここでインテルメッツォとして著者の熱帯のアリリサーチの話が振られる.この章の章題が「アリの背中に乗った甲虫を探して」ということになる.一種のアリに対して数多くの共生昆虫がいるのだというのがテーマだが,幻のグンタイアリであるスミスクラティ探索が印象的に語られていて、そこが読みどころになっている.


ここから本書は主流からはずれた異端の研究者列伝になっていく.
まずはリン・マーギュリスと細胞共生説.彼女の主張は当初全くの異端だった.その後数多くの証拠からミトコンドリア葉緑体の共生起源は認められたが,なお中心体や鞭毛の起源については少数説にとどまっているし,さらに彼女の「進化においての共生の圧倒的な重要性」という主張は異端のままだと紹介されている.
次は古細菌(アーケア)の系統的な独自性の提唱者.カール・ウーズ.ウーズはこつこつと研究を続け,rRNA配列から古細菌が通常のバクテリアと全く異なる系統に属することを実証する.ここも異端の考えがなかなか浸透しない様と彼の偏屈ぶりがしっかりと描かれている.
次は深海生物の発見,そして熱水噴出孔生態系の発見が語られている.当初深海は無生物帯だと信じられていたことが覆っていく様がテーマになっている.
最後は,宇宙生物,火星隕石のバクテリアの痕跡発見の主張,ナノバクテリアの存在の主張などの怪しげな主張も含む様々な話が玉石混淆で紹介されている.著者のテーマはより周辺的な生物多様性探索ということなのだろうが,読後感としては,何かを信じてしまった頑固な研究者の自己欺瞞の物語の印象が強い.


というわけで,本書は様々な生物多様性探索の話とどこかエキセントリックな研究者たちのその探索にのめり込む生き様が次から次に語られるという構成になっている.ややまとまりに欠くし,「それも取り上げるの」という話も多いが,不思議に味のある本だ.ややつらい話まで踏み込んで書いているのが類書にない風味を加えているのかもしれない.


関連書籍


原書

Every Living Thing: Man's Obsessive Quest to Catalog Life, from Nanobacteria to New Monkeys

Every Living Thing: Man's Obsessive Quest to Catalog Life, from Nanobacteria to New Monkeys





なおしばらく多忙になりますのでブログの更新は2週間ほど停止する予定です.

*1:私は当然好蟻性昆虫の本かと思って本書を読み始めてからびっくりした口だ.

*2:なお本書の中では,生物の新種記載者がその種に自分の名前にちなむ学名をつけるという話が所々に登場する.しかし記載者は通常自分の名前を学名には付けない.自分ではなくて誰か別の人の名前にちなむ学名をつけることができるというのが慣行のはずだ.著者がこのことを知らないとは思えず,「記載者の名前は学名の後に添えられることがある」ということにかかる誤訳かとも思うが,確かなことはわからない.何となく腑に落ちないところだ