
The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Viking
- 発売日: 2011/10/04
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- 作者: スティーブン・ピンカー,幾島幸子,塩原通緒
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2015/01/28
- メディア: 単行本
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- 作者: スティーブン・ピンカー,幾島幸子,塩原通緒
- 出版社/メーカー: 青土社
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ピンカーの「The Better Angels of Our Nature」の邦訳が先日ようやく日本でも出版されたが(邦題「暴力の人類史」上下,青土社)(http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150127参照),原書の出版は2011年秋であり,実際にその後の世界の暴力状況はどうなっているのだろうか.これについての簡単な解説がピンカーから出されている.題して「Has the Decline of Violence Reversed since The Better Angels of Our Nature was Written?」これはここで読める.http://stevenpinker.com/files/pinker/files/has_the_decline_of_violence_reversed_since_the_better_angels_of_our_nature_was_written.pdf
そして本書を読んだ人ににとってはあまりにも予想通りに(数量音痴の)多くのジャーナリストたちは最近のシリアやイラクやウクライナ情勢に目を奪われて,「本書が刊行された後では暴力減少傾向は逆転したのではないか」とピンカーに質問を浴びせているらしい.ピンカーは(おそらく苦笑しながら)こう書いている.
この質問は,私がそもそも「Better Angels」を書くにいたったきっかけとなったものと同じ統計的な誤解が(質問者の中に)あることを暴露している.人々はいつも,世界の統計データからではなく,記憶に残りやすい特定例を理由にして「世界の暴力は増加している」と考えてしまう.どんな時代に対しても,その時代における最も暴力的な場所をチェリーピックするなら,そう,その通り,あなたは非常に暴力的な例を発見できる.しかしそれは暴力全体の比率や傾向とは何の関係もないのだ.
基本的な問題は,世界を理解するにはジャーナリズム自体がシステマチックに誤解に生みだしやすい方法の上にあることだ.ニュースは生じたことについてのもので,生じなかったことはニュースにならない.あなたはレポーターがアンゴラやスリランカやヴェトナムで「私は,今,戦争が勃発しなかったことを伝えるためにここにいます.」としゃべっているのを見ることは決してない.世界の正確な姿や傾向を知るには世界全体についてのデータを見るしかないのだ.
ここからピンカーはデータから見たここ3年間のトレンドのうち,逆転を示唆するかもしれない数字をまず解説する.
- 戦争による死者は2013年に増加した.これはシリア情勢による影響が大きい.しかしそれでも死者数の水準は1960年代,1970年代,1980年代よりはるかに低い.
- これは今日の紛争があまり大きな死者を出さない傾向にあることを示している.1980年代のイランイラク戦争は50万人以上の死者を出した.70年代の第4次中東戦争はガザ地区で12000人の死者を出した.これは2014年のガザ地区の死者の6倍だ.
この後ピンカーはグラフを用い,トピックごとにデータを解説している.
- 戦争:戦争の数自体は減少傾向が継続,戦争による死者は(上述の通り)少しだけ上向いているが,なお全体水準は1980年代よりかなり低い.
- ジェノサイド:非常に低い水準で横這い.(最も広い定義を用いたウプサラコンフリクトデータでは2009年以来増加は一回だけ生じている)
- 殺人:アメリカ,カナダで減少傾向継続.イギリスでは少し上向いているが2004年以降の減少傾向を消すほどの規模ではない.全世界データでは減少傾向継続.2006年以降上昇を示していたメキシコでは減少に転じている.
- レイプ:アメリカではレイプが増えているという報道があったが,それに用いられた統計的根拠は間違っている,FBIのデータは1990年以降の減少傾向が継続していることを示している.全世界データは無いが,国連の性暴力についてのトップアドバイザーはこの問題についてここ数年で素晴らしい前進があったと評している.
- 子供に対しての暴力:レイプに対してと同じく,いじめ,ネットいじめ,性暴力についての(事態の悪化を叫ぶ)報道の嵐が吹き荒れているが,フィンケルホーの関連データ50の分析によると,2003から2011にかけて減少を示すものが27,増加を示すものは0になっている.特に学校が危険になったと盛んに報道された2012年について学校内の犯罪統計を調べると暴力犯罪も非暴力犯罪も減少している.警察介入事件も減少している.
- デモクラシー:ここにも「世界の民主政治が低落傾向にある」という根拠のないミームがはびこっている.しかしデータを見ると2009年以降も独裁政が減り,民主政が増えていることがわかる.
- 死刑:死刑廃止の傾向は続いている.ここ35年間で毎年平均2〜3カ国が死刑廃止を決め続けている.アメリカでは2009年以降も廃止州が増え,執行率も減少傾向にある.
ピンカーは最後にこうまとめている
もしあなたが自分の世界の状態についての信念の基礎をニュースに置くなら,あなたの信念は不正確なものになるだろう.それは事実の隠蔽や歪曲に向けたジャーナリストたちの陰謀があるからではない.それはニュースの本質(それは生じた出来事,特に悪い事態についてのもの)とヒトの認知の本質の相互作用によってそうなるのだ.40年前にカーネマンとトヴェルスキーは「人々がリスクを評価するに際して『どれだけそれを想起できるか』に基礎をおいていること」を明らかにした.暴力の比率がゼロにならない限り,ニュースメディアは常に私達に送りつけるための暴力の例を見つけることができる.暴力の傾向について客観的に把握するためには(1)暴力の事例を数え,(2)それを暴力が生じる機会の数に対してスケーリングし,(3)その比率が時間とともにどう変わったかを見ることが必要なのだ.それを行えば,「Better Angels」出版以降も歴史的な世界の暴力の減少傾向については,シリアの影響による例外を除くすべてのケースにおいて何の逆転も生じていないことがわかるだろう.
メディアの数量音痴は一冊の本ぐらいでは修正されない(たとえその著者にそのトピックを尋ねるときであっても)ということなのだろう.ニュースを見るときには常に定量的把握を心がけていきたいものだ.
なおシリアの暴力は,10年スケールでは1つの特異点を作りつつあるということらしい.なかなか予断はできない事態なのかもしれない.