「系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史」

系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史 (BERET SCIENCE)

系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史 (BERET SCIENCE)


本書は分子的な系統樹推定が専門の進化生物学者長谷川政美による最新の進化系統樹の一般向けの紹介本.伝統的な分類体系に基づいて推定されていた系統樹の一部が最新のDNAデータに基づく推定で書き換えられるということはここ20年ぐらいしばしば生じていて,それを包括的に紹介する本はいくつかでている.長谷川自身も2011年に「新図説動物の起源と進化」という本を書いているし,もう少し前にはリチャード・ドーキンスの大著「祖先の物語」(2006年)もある.本書の特徴はそれを美しいグラフィックで表現しているところだ.グラフィックデザイナーの坂野徹がブックデザイン(装丁,各ページのデザイン,系統樹の表現),緻密な恐竜イラストなどで有名な小田隆が挿絵を担当しており,写真の配置,図の色調などいずれもセンス良く,全体としてあか抜けた美しい本に仕上がっている.奥付けには仕様,紙材,書体まで明記されていてこだわりがわかる.*1.数多くの分類群を含む系統樹には,祖先を中心において同心円上に外側に扇形に分岐していくように描かれた図(本書では「系統樹マンダラ」と呼んでいる)が載せられ,周りに配置された系統樹上の特徴ある生物の写真*2とあわせ,眺めていて飽きない.

解説においての工夫はヒトとチンパンジーの分岐から始まるほかの動物群との分岐を次々とさかのぼって植物との分岐まで合計31の分岐ポイントをたどっているところだ.これはドーキンスが「祖先の物語」で用いた手法*3と同じだが,系統樹の中身はより新しいものになっている.また祖先系列をたどるだけでなく鳥類や昆虫などの興味深い動物群については別途最新の系統樹を解説してくれているのもうれしいところだ.
また解説には収斂と相同の問題*4,生物地理における分断説と分散説の争いの視点も含まれていて単なる分岐物語より深いものになっている.生物地理の分散の支持証拠に関しての著者のお気に入りは新世界ザルとマダガスカルのテンレック類のようだ.またローラシアゴンドワナの分裂が1億5000万年前,ゴンドワナ南アメリカとアフリカの分裂が1億500万年前と大陸分断時代は異なるが,北方獣類とアフリカ獣類と(南アメリカの)異節類*5の分岐年代がほぼ同じ9000万年前であるのも分散を考えなければ成り立たないと解説されている.
系統樹の書き換えの例では鯨偶蹄目の成立,ゾウとテンレックの近縁性(アフリカ獣類),脊椎動物と尾索動物と頭索動物の分岐順序,体腔性を重視した分類から冠輪動物と脱皮動物への組み替えなどの有名な例はもちろん,普段あまり目にすることのないものも多く取り上げられていて,総説本の醍醐味が味わえる.私があまりよく知らなかった例を挙げると,クシクラゲとクラゲの分岐は海綿動物との分岐後ではなく,それよりも古い(つまりクラゲやイソギンチャクにとってはクシクラゲよりカイメンの方が近縁)というものがある.
また系統間での優劣を論じることの危うさについては,オーストラリアでは真獣類と有袋類両方の祖先がいたが有袋類が勝ち残ったことを解説している.そのほかスノーボールアースや,酸素濃度が大きく変動しなくなったのは菌類が木材を分解できるようになったからだというあたりの解説も興味深い.また最後に付録としてイラスト版の系統樹マンダラがあるのは楽しいし,本書の解説の力点が白黒反転したデザインで再整理されているのも仕事が丁寧なところだ.


というわけで本書は美しいグラフィックに最新の系統樹が掲載され,非常に抑えた調子ながら興味深いポイントがそこかしこに解説されているという持っていてそして眺めて楽しい本だ.価格もこのクオリティで2600円(税別)に抑えられていて好感が持てる.版元は英語や数学の本を多く出している出版社だが,最近生物学周りにも進出する方針のようで,気合いを感じる一冊だ.


関連書籍


長谷川自身による最新系統樹の解説本.

新図説 動物の起源と進化―書きかえられた系統樹

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ドーキンスの祖先の物語.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060801

The Ancestor's Tale: A Pilgrimage to the Dawn of Evolution

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同翻訳

祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 上

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祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 下

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生物地理の分断説と分散説についてはなんといってもこの本だ.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20140713

The Monkey's Voyage: How Improbable Journeys Shaped the History of Life

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*1:なお私的には本書の中身の素晴らしいデザインセンスに比べると,なぜか表紙カバーだけ,トラの絵の扱い,他の写真の配置やバランス,題名のフォント使いなどが微妙に異なっているように感じるのだが,気のせいだろうか

*2:ヒトを代表する写真は長谷川のお孫さんの写真だそうだ.大変かわいい

*3:なおドーキンスチンパンジーとの分岐から原核生物との分岐まで39の分岐ポイントを扱っている.植物までに限定するとドーキンスの分岐ポイントは36で本書より5つ多い.比べてみるドーキンス本ではまずヒヨケザルとツパイが単系統と扱われていて-1(本書ではヒヨケザルの方が後で分岐したと扱っている),異節類がアフリカ獣類より後に分岐しているとして+1,ウニ,ホヤ,ナメクジウオの順で分岐したと扱って(本書ではウニとナメクジウオの分岐の先後ははっきりしない,ホヤはさらに後に分岐したとしている)+1,前口動物との分岐と刺胞動物との分岐の間に無体腔型扁形動物との分岐を加えて+1,カイメンとの分岐とクシクラゲとの分岐の間に板形動物との分岐を加えて+1(なお後述するようにカイメンとクシクラゲの分岐順序は本書と逆になっている),それ以前の襟鞭毛虫とドリップスとの分岐を加えて+2となっている.無体腔型扁形動物,板形動物,襟鞭毛虫,ドリップスあたりは小さい分類群なので本書では省略ということなのかもしれない.後はいずれも最新の研究による書き換えということだろう.

*4:収斂事例の著者のお気に入りはハリテンレックとハリネズミレッサーパンダレッサーパンダ科でクマよりもイタチと近縁)とジャイアントパンダ(クマ科)の「親指」あたりのようだ.

*5:アリクイ,ナマケモノアルマジロなど