「セックスと恋愛の経済学」


本書は経済学者マリナ・アドシェイドがセックスと恋愛に絡むミクロ経済学的分析をかなり赤裸々に講義してくれるもので,進化心理学的には説明すべき現象としていろいろと興味深いものだ.原題は「Dollars and Sex: How Economics Influences Sex and Love」.

本書では基本的に様々な経済的な環境がヒトの恋愛,セックス,結婚,離婚の意思決定にどう影響を与えるかが分析されている.その選好や動機はすでにある事実として前提になっていてそこを説明しようとするものではない.(もっともアドシェイドは一部進化的にこれを説明しようと試みているが,その部分はかなりスロッピーで残念な議論*1になってしまっている.)

全体の構成としては,若いときから子育て終了後まで生活史の様々な時期における恋愛,セックス,結婚の意思決定を解説していくことになる.ここでは私が興味深く感じた部分をいくつか紹介しておこう.*2

  • 20世紀後半のアメリカにおける効果的な避妊技術の普及は,(妊娠及び性病罹患の)婚前交渉のコストを下げ,むしろ婚外子を増やす要因になったと思われる.
  • 若い女性にとって婚前交渉の最大のコストは未婚での妊娠,出産によるレピュテーションの悪化(による良い条件の結婚への障害)だった.しかしどのみち将来の展望は望み薄だと考えているときにはそのコストは非常に低くなる.
  • アメリカでは女性の方が大学教育を受ける割合が高くなっており,これはキャンパス内でのセックス市場の需給を女性にとって不利に傾けて事実上買い手市場にしており,さらに効果的な避妊方法が普及したことから,性の乱れが増えている.キャンパスの女性の比率が1%上がるとセックスまでのデート回数が6回以上である確率が3.3%下がる.学内の性の乱れは自分の娘にとってマイナスだと考える親はできるだけ男子学生比率の高い大学へ進学させる方がよいことになる.
  • もう一つのキャンパスのセックス頻度と相関する要因はアルコール摂取量だ.アルコールの税率を上げることで中絶数を減らせる可能性が大きい.
  • アンケート調査では,より多くのセックスは幸福と相関するが,より多くのセックスパートナーを持つことは幸福と相関しない.
  • 大学教員の給与について調べると,中年以降の男性教授に限ってセクシーさへのプレミアムが観測される.
  • 性病リスクの高い環境下の売春市場でコンドームなしのセックスの方が価格が低い.これはすでに性病にかかっている売春婦はコンドームのあるなしを気にしないので,買い手は(コンドームなしのセックスを望んでいるにも関わらず)高いリスクの見返りとして価格引き下げを交渉できるからだとして説明できる.(とアドシェイドは書いているが納得しがたい.なぜ性病に罹患している売春婦は罹患していない振りをして価格交渉を有利に運ぼうとしないのだろうか)
  • 結婚しているカップルに最も共通する特徴は(信仰を別にすれば)政治的信条である.*3
  • なぜアメリカの結婚市場は人種ごとに分断されているのか.エビデンスは女性が(そして特にアフリカ系の女性が)同人種の男性との結婚を望んでいるからだということを示唆している.
  • 出会いサイトのプロフィールの選好について.女性は一般的に高収入,容姿がいい男性をより好むが,自己評価の低い女性は,相手の容姿が魅力的な場合に高収入男性を避ける.これは浮気を恐れていると解釈できる.
  • オンラインで知り合った相手とのデートにどれだけ時間を使うかは,そのサイトにそれまでいくら金を使ったかに比例する.*4
  • 社会的格差が広がっている原因のひとつとして,出会いサイトの充実により自分と同じ所得階層の人と出会いやすくなったことが効いている可能性がある.
  • 結婚は最も費用対効果の高い子供を作る方法だと考えられる.よく見過ごされるのは分業のメリットだ.
  • 結婚市場で最も苦労しているのは都会の高学歴女性だ.人数比及び女性側の選好(男性に比べて相手の学歴にこだわる)が理由だ.自分と同等以上学歴への選好は,教育程度と収入が結びつかないハリウッドスターのデータにも現れている.
  • アフリカ系の女性の婚姻率は劇的に減少している,これはまず,女性の方が同人種内での婚姻,同学歴以上の相手との婚姻を望む傾向を持つ中で,アフリカ系女性がアフリカ系男性に比べて学業面で向上していること,及びアフリカ系男性の収監率が上がっていることで説明できる.さらに高学歴のアフリカ系男性は恋愛市場で非常に強い立場に立つことができ,カジュアルセックス市場でも交渉力を持ち,結婚を後回しにしがちになることも効いている.
  • 既婚男性と独身女性はBMIと収入が正に相関し,独身男性と既婚女性は負に相関している.解釈は難しい.「太った男性は妻に対して魅力が低い分を収入で補おうとキャリアに投資している」「太った独身女性はよい結婚をする見込みがないのでよりキャリアに投資している」などの主張がある.(とアドシェイドは書いているが,いずれも納得感がない説明だ.なぜここに性差があるのか,ユニバーサルなのか,日本でも観測されるのかなどいろいろ興味深い.)
  • 制度上同性婚を認めるかどうかとその国の豊かさには相関がある.個人の権利と自由の尊重が経済成長を高めるためだと思われる.最近の同性婚を認める傾向から読みとれることは,人の信念は変わるということと,身近な事例を経験することにより理解度があがるということだろう.
  • 社会が一夫多妻制から一夫一妻制に制度変更するとアルコール消費量が増える.これは工業化が共通の要因であるからだと思われる.
  • 異なる相手と(複数回)同棲してから結婚するカップルの方が,結婚する相手とだけ同棲するカップルより,経済的に成功せず蓄財も少ない傾向がある.複数回同棲自体に問題があるのではなく,そもそも結婚にどれだけ明るい展望を持っていたかの差がでているのだと解釈できる.
  • 女性の高学歴化で,妻は家を出ていっても食っていけるのでより家庭内での立場が強くなった.そのような立場にない途上国からの女性との国際結婚の方がDVが多い.
  • 高学歴の人々の方が離婚率は低い.妻の交渉力が高く意思決定により平等に関わっても結婚生活の不幸につながらないことを示しているのかもしれない.
  • 格差が大きい国は離婚率も高い.金持ちの消費についていこうとする過剰消費が経済的に重圧をもたらすこと,離婚してよりよい条件の相手を探そうとする誘因が多いことが要因として考えられる.
  • レズビアンの女性はストレートの女性に比べ6〜13%ほど所得が高い.家事における比較優位性があまり問題にならないので通常の労働市場で武器になるスキルへの投資を増やしたと解釈できる.またレズビアンカップルの貯蓄額は高い,子供が少ないこと,平均余命が長いこと,にくわえて(このデータが採られたときは)法的関係が認めらず不安定であったことも要因かもしれない.
  • インターネットが離婚率に与える影響は,「相手を探しやすくなるので離婚が増える」というものと,「そもそもよりマッチした相手を見つけやすかったので(結婚の質が高まり)離婚が減る」というものの両方が考えられる.データを見ると,ネットアクセスと離婚率は相関がないが,ネット利用率の高い男性の離婚率はそうでない男性より低い.
  • 女性は結婚するとリスク回避傾向が下がることがかつて見られた.これは夫という安全資産があると金融資産等へのリスク許容度が上がると説明できる.そして21世紀に入って離婚率が上がり夫の資産特性がジャンク債的になったことを受けて,既婚女性のリスク回避傾向は独身女性と同じに上がってきている.
  • リーマンショック後住宅価格が10%下がると,持ち家率の高い大卒カップルの離婚率は29%下がった.安定した職を持つ相手との結婚が失業リスクの保険として機能していること,損切りを避けたい心理が要因としてあると思われる.逆に高卒カップルでは離婚率は20%上昇した.経済的な苦境が結婚生活を破壊したということかもしれない.低学歴者では同棲が一種の保険になっているようで(少なくとも住むところはある),この間同棲が増えている.
  • 今日の米国のティーンエイジャーの性的活発度は1980年代以降最低になっている.ただしティーンエイジャーの出産率は先進国で最も高く,カナダの倍以上である.そしてこれには人種差が大きく,人種問題の一面を持つ.これは恵まれない若い女性の将来への絶望が10代での妊娠のコスト意識を下げているからだと説明できる.コミュニティカレッジの学費が1000ドル下がると,17歳時のパートナーの数が26%減り,喫煙やマリファナ吸引も減るというデータがある.
  • 学校にコンドームをおくと純潔喪失の期待費用が下がり,その後の性活動を活発化させ,10代の妊娠が増える可能性が高い.
  • リスク回避型(性交の際にコンドーム着用を相手に求める)のプレーヤーが性交市場からいなくなると(双方がリスク許容型になるので)コンドーム着用率が大きく下がり,未婚の若い人々の性交数が減少しても性病はむしろ蔓延しやすい.
  • 高校3年生の女子は同学年の男子を下級生と競わなければならないので交渉力が下がり,コンドームなしの性交に同意しやすくなってしまう.アフリカ系女子は特に交渉力を失いやすい.
  • 金持ち男性の方が浮気しやすいというデータはない.貧富が浮気率に聞いてくるのは女性で,貧しい方が浮気しやすい.浮気がばれても失うものが小さいからだと説明できる.
  • 高所得とは異なり高権力は男性の浮気も女性の浮気も増やす.(アドシェイドは,これまで伝統的に女性が浮気しにくいとされていたのは権力を持っていなかったからではないかとか書いているが,これは疑問だ.)
  • 多額の宝くじに当たった女性のその後3年間の結婚確率は下がる.金は愛を買うものではなく自由を買うものであるらしい.男性にはそのような傾向はない.これから言えるのは女性が豊かな社会になると結婚の意思決定はより女性の決意に主導されるようになることだ.
  • 出会いサイトやSNSにより熟年恋愛市場が急速に発展している.熟年結婚市場は,様々な経済インセンティブが若いときと異なっているので,伝統的な市場と大きく異なる.例えば男性が求めるのは老後の介護サービスで,女性はよほど大きなメリットがないとカジュアルセックスの方がコストが低いことになり,非常に強い立場に立つ.熟年では女性も年下の男性を好むようになるので年下男性との熟年結婚は増えていくと予想される.


というわけで本書はヒトが進化心理学で予想するような配偶相手の選好を持つことを前提にして,様々な経済環境でどのように振る舞うかを解説した本になっている.何度も現れるテーマは,多数で好みがうるさい側は交渉力を失い,不利な結果を受け入れざるを得なくなるというミクロ経済的な現実だ.アフリカ系の高学歴女学生の苦境はなかなかつらいところだ.そして都会で就職した高学歴女性の苦境は日本でもある程度当てはまる部分があるだろう.熟年結婚市場の力学は新鮮で面白いところだ.そして本書を通じてアドシェイドの叙述スタンスはとにかく率直かつ大胆で読んでいて大変楽しい*5.ヒトの配偶者選好に興味がある読者への軽い読み物としておすすめできる一冊だ.


関連書籍


原書


 

*1:たとえば,農業革命以降もヒトの単婚傾向が続いたことについて,「単婚の方が最大数の子孫に結びつき,酪農によりつがい形成ホルモンが摂取されたためだ」というだめだめな議論を展開していたりする.(酪農のあった欧州の方がそうでないアフリカより単婚傾向が強いことの説明をこれで行いたいということのようだ)

*2:なお本書では,結婚制度について「なぜ一夫多妻制や一妻多夫制ではなく一夫一妻制が制度として定着しているか」についてもかなり紙数をさいて議論し,「権力者は息子が多く,息子が婚姻市場であぶれないように一夫一妻制を望んだだろう」とか,「君主が民衆の支持を得やすかったから」とか,「工業化が教育水準を上げ,質の高い女性の価値を高め,富裕な男性が複数の妻を迎えることが難しくなったから」,などと説明している.しかしそもそも制度がどのようにして決まるのかを詰めていない一貫性のない議論になってしまっており,やや残念なところだ.

*3:なおアメリカにおいては信仰と政治的信条には強い相関があると思われるがこれを調整しているのかどうかについてはコメントされていない.いずれにせよこれは保守とリベラルの溝の深いアメリカでは納得感がある.日本ではどうなのだろうか.恋人が自民党支持かどうかを問題にする人は多いだろうか.

*4:アドシェイドはそれ以上解説していないが,典型的なコンコルド誤謬だろうと思われる

*5:男性向け避妊薬(MBC)が開発されたら男性はこれを使用するかという問題において,いくつかアンケート調査はあるが信用できないと主張し,対象者に「MBCが提供されたら使用しますか」と聞くのと「3ヶ月ごとに300ドル支払ってタマに注射してもらいますか」と聞くのでは大きな違いがあるとコメントしていたりする.