「サイチョウ」

サイチョウ―熱帯の森にタネをまく巨鳥 (フィールドの生物学)

サイチョウ―熱帯の森にタネをまく巨鳥 (フィールドの生物学)


本書は東海大学出版部のフィールドの生物学シリーズの一冊.かなり初期に出されたもの(2009年)だ.私としては同シリーズ既読のオランウータンやジャコウネコの東南アジア種子散布研究物語シリーズ関連書として読んでみたもの.

初期の執筆のためか,著者本人の人生物語にはあまりページが割かれていない.これは本シリーズの面白いところだけに少し残念だ.ともあれ物語はタイのカオヤイの森のサイチョウの紹介から始まる.サイチョウは嘴の上に瘤のようなもの(カスク)を持つ大きな鳥で旧世界の熱帯に広く分布し主に果実食だ.
本書を読むまでの私のサイチョウに関する興味は,カスクの適応的意義は何かということやその特殊な営巣様式(メスが産卵時期から場合によってはひなの巣立ちまで樹洞に数ヶ月閉じこもり,その間オスの運ぶ水分と食料にのみ依存する)の進化的な意味だった.この問題は本書の探求物語のスコープ外だが簡単に解説がある.まずカスクの適応的意義についてはわかっていない.ほとんどのカスクはスカスカの飾りのようなものだが,オナガイチョウカスクだけは象牙質で堅く密度がある.これはオス同士が空中で一騎打ちを行うときにぶつけ合うためとされている*1.営巣様式については,対捕食者防衛,微気候構築,樹洞を巡る競争,オスの忠実度を上げるためのメスの戦略などいくつか仮説はあるが結論はでていないそうだ.閉じこもりはメス側が行うものなので,最後の仮説が面白そうだが検証は容易ではないのだろう.

さて著者のリサーチは熱帯林における種子散布におけるサイチョウの役割だ.そのためにはまずそもそも対象の熱帯林にどのような果実をつける樹木があり,その散布者は誰なのかを知っておく必要がある.これは大変な基礎作業だということは容易に想像できるが,地道に取り組むしかない.著者は修士課程の最初の15ヶ月をカオヤイの森で調査することに決めて現地入りし,調査開始する.
ここからは現地の様子,人々とのふれあい,調査の苦労(当然ながらヤマビル,そして沈香の違法伐採者,アジアゾウによる調査攪乱)などが語られる.やはり熱帯での調査はいろいろと大変だ.

種子散布者の特定は果実をつけた樹木を見張って記録することと,散布者の糞から採集することの両面から行われる.地道な作業の結果ある程度の全貌が見えてくる.
こののち著者はリサーチのフォーカスをサイチョウの役割に移し,特にサイチョウが重要な役割を果たしていそうな大型の実を付けるアグライアとカナリウムに絞って調べる.このリサーチ物語は詳しく書かれていて,リサーチャーの視点から見た景色がよくわかる.やはりフィールドでは予想を覆すことが様々に生じるのだ.調べてみると種子の多くはリス類が持ち去るのだが,それはあまり遠くには分布されない.そして近くに落ちた種子はネズミ類に食べられる.しかしサイチョウによる分布は樹木から離れた場所まで運ばれ,(そこではそのような種子が少ないために)ネズミに食べられにくいのだ.このためサイチョウによる種子散布はかなり重要であることがわかる.なかなか美しい結果だ.本書は最後にタイの研究者たちによるサイチョウ保護の取り組みを紹介して終わっている.

以上が本書のあらましになる.リサーチの進み方の詳細やフィールドの様子が,淡々と,しかし臨場感を持って記述されていて,現場で何が生じているのかがよくわかる.フィールドの生物学シリーズの後の本にあるようなはちゃめちゃな迫力や読者サービスはあまりないが,それなりに味のある本に仕上がっていると思う.


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本書の物語はこの本でも一部語られている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120423



 

*1:観察例は論文で報告されているが,実際に観察するのは難しく著者は3年間サイチョウを観察したが一度も見たことはないそうだ.いずれにせよオオツノヒツジや(想像されている)パキケファロサウルスと同じような形質で,性淘汰に絡む収斂進化のようで面白い.