本書「行動生態学」についてのいくつかの訳案

本書の訳は専門家の手になるだけあって,読みやすく素晴らしい.とはいえいくつか読んでいて引っかかるところがなかったわけではない.決して揚げ足をとるつもりではなく,重版時,改訂時の検討の際に参考になればという趣旨でいくつかの部分について私の訳案をここに置いておきたい.

P114
原文:An English pub sign fooled by a Batesian mimic; this is a hoverfly (Syrphidae)!

本書訳:ベイツ式擬態でからかったイギリスのパブの看板.これはまさにハナアブ(Syrphidae科)である!

私訳案:ベイツ式擬態に騙された英国のパブの看板.(看板にはミツバチとあるが)実はこれはハナアブ(Syrphidae科)である!

P276
原文:In theory, such covariation between offspring demand and parental supply could result from genetic variation, with mothers genetically pre-disposed to be more generous having offspring genetically pre-disposed to demand more resources

本書訳:理論上は,子の要求と親の餌供給の間のこのような共変動は,母親が元々遺伝的に気前のよい傾向を持ち,またその子が元々遺伝的により多くの資源を要求する傾向を持つために生じた遺伝的変異の結果であろうと考えられている.

私訳案:理論上は,子の要求の強さと親の餌供給量の間のこのような共変動は,遺伝的に気前のよい傾向を持つ母親が遺伝的により多くを要求する子を持つ傾向があるという遺伝的変異によって生じうる.

この後で,「この相関は実はそのような遺伝的変異によるものではなく,「母性効果」に基づくものかもしれない」という話につながるので,「理論上はこういう可能性もある(が実はそうでないかもしれない)」という風に訳す方がわかりやすいように思う.

P288
原文:Such defence of mating territories may occur where more direct competition between males, such as fights for harems, would be costly because males are unable to build up the food stores necessary for them to engage in intense male–male interactions

本書訳:このような交尾縄張りの防衛では,ハレムをめぐる戦いのような直接的な雄間競争だと,コストが大きくなるだろう.なぜなら,雄は激しい雄間相互作用を続けるために必要な栄養蓄積を確保できないからである.

私訳案:このような交尾ナワバリの防衛は,ハレムをめぐる戦いのような,より直接的なオス間競争のコストが大きい場合に生じるのだろう.そのような(より直接的なオス間競争の)コストの大きさは,オスが激しいオス間相互作用を続けるために必要な栄養蓄積を確保できないために生じる.

本書訳では,交尾ナワバリ防衛のコストが大きいように読めてしまうが,ここは「ハレム型防衛ではコストが大きくなりすぎるために,(比較的コストの小さい)交尾ナワバリ防衛になっている」という趣旨だと思われる.

P338
原文:Selfish sex ratio distorters

本書訳:利己的な性比のゆがみ

私訳案:利己的性比歪曲者

ここはゆがみ「現象」を議論しているのではなく,利己的な性比歪曲を行う「アクター」のことを扱っているのでこのように訳した方がいいと思う.また本書訳では同じページの「selfish sex ratio distortion」も「性比のゆがみ」と訳しているのでこの違いがわからなくなり紛らわしい.

distorterを「ゆがみ」と訳している同じページのほかの例(これらは全て「歪曲者」とした方がわかりやすいと思う)

  • 「この偏りは・・・性比のゆがみが原因である」(同義反復のように聞こえる)
  • 「何故このような性比のゆがみは一般的ではないのだろうか」(歪曲者は淘汰上有利に見えるのになぜ広がらないかを問題にしている趣旨がわかりにくい)
  • 「性比のゆがみが広がるのを止めている主な要因は・・・」(同上)

distortionを「ゆがみ」としている部分(これはこのままでよいと思われる)

  • 「性比のゆがみは・・・減数分裂ドライブが原因で起こる」

P362
原文:As predicted, they found that larvae were significantly less likely to develop into the cannibal morph when in a group with only siblings

本書訳:予測通り,きょうだいだけで構成された集団の場合,幼生が共食いタイプに生育する傾向は有意ではなかった.

私訳案:予測通り,きょうだいだけで構成された集団の場合,幼生が共食いタイプに生育する傾向は有意に低かった.

これでは予測に反してしまうので文脈から見て奇妙だ.単純な翻訳ミスかと思われる.

P369
原文:Grafen (1985) is the classic text on the concept of relatedness.

本書訳:Grafen (1985) の本は,血縁度の概念についての古典的な教科書である.

私訳案:Grafen (1985) は血縁度の概念についての見事な解説である.

ここで引用されているGrafen (1985) は本ではなく,「Grafen, A. (1985) A geometric view of relatedness. Oxford Surveys in Evolutionary Biology, 2, 28-89.」という記事であり,いわゆる「グラフェンの秤」を用いて包括適応度概念が遺伝子頻度に依存せずに成立することを解説しているものだ.「the classic text」は「見事な解説」ぐらいに訳す方がいいと思う.

P376
原文:However, as discussed above, we also need to be able to explain cooperation between non-relatives – in this case cooperation must provide some direct fitness benefit to the cooperator.

本書訳:しかし上で議論したように,非血縁者同士の協力も説明される必要があるので,この場合協力行動は直接適応度における何らかの利益を協力行動者に与えなければならない.

私訳案:しかし上で議論したように,非血縁者同士の協力も説明される必要がある.この場合には,協力行動は直接適応度における何らかの利益を協力行動者に与えなければならない.

「非血縁者同士の協力行動は(間接適応度が0になるので)直接適応度のみから説明されなければならない」という趣旨なので,「ので」をとる方がわかりやすくなると思う.

P413
原文:but even they are unlikely to have been hugely important, ・・・. So, overall, the haplodiploidy hypothesis may have been a bit of a red herring.

本書訳:たとえそうだったとしても,たいして重要であったようには見えず,・・・.そのため,半倍数体仮説は,全体として人々の注意をほんの少し引き付けるだけの存在だったといえるかもしれない.

私訳案(1):たとえそうだったとしても,極めて重要であったということはありそうになく,・・・.論争全体を振り返ると,半倍数体仮説は,注目を集めすぎ(真社会性の進化の問題の本質から)人々の目をそらしてしまう作用を持つものだったのかもしれない
私訳案(2):たとえそうだったとしても,極めて重要であったということはありそうになく,・・・.論争全体を振り返ると,半倍数体仮説は,ちょっとした「赤いニシン」(訳注:「a red herring」:英語の慣用句で「小説などで重要な事柄から読者の注意をそらすように意図的に提示されるもの」を指す)だったのかもしれない.

前半の「hugelyの否定」は,「たいしたことが無い」という意味ではなく,当初ハミルトンが示唆し,一般に考えられていたほど決定的な要因ではないという意味だと思う.後半の「a red herring」にあたる日本語の慣用句はないので,うまく訳すのは難しい.基本的には「読者や観客の注意を重要な事柄からそらす」という部分がポイントになる表現だし,a bit ofは引き付ける注意の量が少ないことを指しているのではなく,半倍数体仮説のred herring性を表していると思う.本書訳は文脈的に少し変な印象を与える.なおこの表現は章末のSummaryにも出てくる.

P420
原文:Duffy and Macdonald (2010) tested this prediction, examining how shrimp abundance correlated with sociality among species in Belize.

本書訳:Duffy and Macdonald (2010) は,南米のベリーズにおいて,エビの進化的前進と真社会性が種間でどのように相関しているかを調べることによってこの予測を検証した.

私訳案:Duffy and Macdonald (2010) は,南米のベリーズにおいて,エビの豊富さと真社会性が種間でどのように相関しているかを調べることによってこの予測を検証した.

abundanceにかかる単純な翻訳ミスだと思う.