トリヴァースによる進化生物学者たちの想い出 追加情報 

先日トリヴァースが著名な進化生物学者たちの想い出をネットで公開しているのを紹介した.http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150517 (この原文は「Vignettes of Famous Evolutionary Biologists, Large and Small」と題されている.http://www.unz.com/article/vignettes-of-famous-evolutionary-biologists-large-and-small/

そして今月トリヴァースの自伝「Wild Life: Adventures of an Evolutionary Biologist」が刊行され,早速電子書籍版をダウンロードしたのだが*1,目次を見ると何と第13章がそのまま「Vignettes of Famous Evolutionary Biologists, Large and Small」になっている.(なおamazon.jpではKindle版のみだが,アメリカではペーパーバックもでているようだ)


Wild Life: Adventures of an Evolutionary Biologist (English Edition)

Wild Life: Adventures of an Evolutionary Biologist (English Edition)

早速そこを見てみると,基本的にネット公開のものが掲載されているが,ドーキンスの情報が追加されている.というわけでここでは「トリヴァースのドーキンスの想い出」を追加しておこう.

Richard Dawkins

最初にドーキンスを知るようになった事情が解説されている.

  • 1975年にサヴァティカルをジャマイカでとっていたときにドーキンスから手紙をもらった.そこには彼とタスミン・カーライルによる「私が親の投資にかかる論文でコンコルド誤謬に陥っている」ことを指摘している論文が封入されていた.そしてその通り実際に私は(その論文で)コンコルド誤謬に陥っていたのだ.


ここでコンコルド誤謬についてのトリヴァースの解説がある:ポーカーを引き合いに出しているのがちょっと面白い.そして行動生態学関連の本を読んでいると今でも親の投資に関してはコンコルド誤謬的な表現で解説している本がある.これはトリヴァースの論文から影響を受けたものがまさにミームとして伝わっている部分もあるのだろう.

  • 私は論文で「メスは子に対してオスより大きな投資を最初に行っているので,これは将来的な投資を彼女たちにコミットさせる:つまりメスはオスよりも子を放棄しにくい」と議論していた.全く単純なコンコルド誤謬だ.将来のペイオフのみが問題なのだ.
  • 私は「過去の投資が将来の(繁殖)機会を制限する」という(別の)理由による(子供への投資に関する)同じような性のバイアスがおそらくあるだろうと考えて自らを慰めたが,いずれにしても指摘通りの自分の誤りを認める返事を書き送った.
  • しばらくしてまたリチャードから手紙を受け取った.それには,そもそも私に手紙をくれたのは彼の新しい本「利己的な遺伝子」に序文を書いてもらえるかどうかを打診するためだとあった.それはその本ではほかの誰の理論よりも私の理論をフィーチャーしているからだと彼は説明していた.
  • 「なんてことだ」と思った.彼は草稿も同封していた.そこには確かに私の論文が元になっている章が並んでいた.「世代間の争い(親子間コンフリクト)」「性の争い(親の投資と性淘汰)」「僕の背中を掻いてくれたら君の背中を踏んであげよう(直接互恵性)」
  • 私は自分の仕事がビル・ハミルトンのものより基礎的なものだとは考えたこともなかった.リチャードも同じだろう.でもいろんな面白いことを本に盛り込むには,アリやイチジクコバチや樹皮の下の甲虫よりも自分たちの社会生活に関するトピックの方がいいのだ.
  • そして何よりリチャードはその題材を素晴らしい技量のコンビネーションで表現していた.楽しく正確にそして鮮やかに.その例を紹介しよう.


ここでドーキンスによる「緑髭効果」についてのプレゼンを説明する.それはハミルトンの抽象的な議論を鮮やかに示したものだ.(最後に緑色の髭を持っていて利他行為をしない突然変異が現れると,崩壊することも指摘している)

  • 私はこう思った「よし,君の本に序文を書こう.でも君がどんな人物だか知らないんだよね」
  • それで1ヶ月かけて5段落の序文を書いた.そんなに長くかかったのは,書く前に考えるのが好きなこともあるが,当時やっていた薬物(THC)も影響していただろう.しかし,書き上げて読み返してみるとめまいを覚えた.それは私の偽マルクス主義の友人たちを手厳しく非難するものになっていた.彼等は反革命的であり,私たちは少なくとも女性や子供や社会的弱者に関する限りより革命的だなどと書き連ねていたのだ.こんなくだらないことを書くために何でこんなに時間をかけているのだろう.もっと自分の利益になることに使えないだろうか.
  • そうだ.自己欺瞞に関することを入れ込んでみたらどうだろう.私はその頃には自己欺瞞の機能は他者を騙すためにあるのだと考えるようになっていた.何千年以上にわたるヒトの心の謎に関する解答だと思っていた.そしてドーキンスはその本でまさに騙しを強調していたのだ.

もし(ドーキンスが主張するように)動物の信号が相手を操作するものだとしたら,騙しを見抜く方向へ強い淘汰圧がかかっただろう.それはさらに自己欺瞞への淘汰圧を生む.自分で知っているために出してしまう微妙なサインを見破られないために事実や動機の一部分を意識から見えなくするだろう.
だから「自然淘汰は世界の正確なイメージを生みだすように神経系を進化させるだろう」と考えるのは非常にナイーブな心の進化に関する考え方に違いないのだ.

  • 完璧だ.自分の論文には書いていないが,別の人の本に,しかもベストセラーの本に載ることになった.そして実際に1979年にはリチャード・アレキサンダーがそれを主張し,ドーキンスは私が先だと認めてくれた.
  • 私はこのことに関してドーキンスに感謝している.彼は新しいアイデアを自分の本の序文に入れ込まれることについて私を祝ってくれたさえしたのだ.実際に私がこのアイデアをより詳細に議論したのは1985年になってからだった.それは私の社会進化の教科書に35ページにわたって載せたのだが,ほとんど誰も新しいアイデアを求めて教科書などは読まず,それはさらに25年間眠り続けることになる.


この序文は確かに異色のもので,全く新しい刺激的なアイデアが書かれている.これについては第二版でドーキンスのあずかり知らないところで削除されて2人の間でわだかまりが残り,30周年記念版で再収録されてドーキンスもほっとしたという話を読んだことがあるが,それについては触れられていない.二人の間では完全解決済みということなのだろう.
ここからドーキンスの議論のうち当初は気に入らなかったが,その後考えを改めることになったものがいくつか取り上げられている.


ミーム

  • ミームは模倣されるからという理由で広がる非遺伝要素だ.私は遺伝子にもコントロール力があると考えていた.ミームを広げるような遺伝子はあるミームをその遺伝子を持たない人にも広げるだろう.だから遺伝子ミームの相互作用は最初から複雑なはずだ.
  • しかし最近ではミームというコンセプトを好むようになった.実際に何ら遺伝的なバイアスがない条件でミームが互いに入れ替わっていることを示すデータがあるからだ.


ここでトリヴァースは「Sex」という用語が「Gender」(もともとは文法用語だった)に入れ替わりつつあること,ピンカーが指摘している「婉曲語法のトレッドミル」(元々タオルという意味の婉曲語法である「Toilet」が「Bathroom」そして「Restroom」に,「Janitor」が「Custodian」になど)を紹介している.

  • 最近,私はミームはより無意識にあるものの方がパワフルであることに気づいた.婉曲語法トレッドミル自体も無意識的だが,人種,宗教,階級,ナショナリティに絡むものは強靱だ.これらの強くバイアスしたミームは個人やグループに大きな影響を与えているだろう.


<延長された表現型>

  • これも最初は軽く見ていた.コンセプトは明白だ.多くの鳥は巣を作る.あなたは,私が接近したら臭いを感じることで,私も延長された表現型を持つことを知るだろう.彼のその題名の本はそのトピックについての素晴らしいレビューだ.
  • ほとんどの人は,パラサイトが私たちの行動を彼等の利益になるように操作していることを知らない.(ここでいくつかのパラサイトによるホスト操作の例が解説されている)しかし「延長された表現型」というコンセプトを使うことによって議論に何が加わるというのだろう.
  • しかしイーウォルドによる最近のガンに関する進化理論は,「延長された表現型」という概念に,私の気づかなかった量的でかつ概念的な有用性があることを示している.
  • 腫瘍を考えてみよう.それはより大きな生物個体からなるミクロの環境下で進化する.その中で腫瘍はホスト個体を腫瘍の繁殖利益に沿うように操作する.腫瘍細胞も他の細胞と同じように栄養と血流を必要とする.実際より悪性のものほどより必要とする.腫瘍はそれらの構造自体を進化させるわけではない.それは(ホスト)一世代内で生じる驚異だ.腫瘍はホスト個体が作ったものを収用するのだ.ドーキンス流に表現するなら,腫瘍は,その表現型を延長し,それを支えるための(ホスト個体の)血管をその表現型に含むようにするのだ.それは血管だけにとどまらず,いくつもの組織に及び,最終的にその中で自らに有利な化学物質を扱えるような複雑なマトリックスを作り上げるのだ.


最後に最近のドーキンスの活動に関してコメントがある.

  • 最初にドーキンスが科学と無神論の立場から宗教を扱っていると聞いたときには,彼はついに彼自身の真のインテレクチュアルなニッチを見つけたのだなと感じた.(そこでは)誰もリチャードにはかなわない.
  • 私は2011年の1月にティンバーゲンレクチャーを行った.レクチャーを始めようとした時に,いつものようにちょっとしたへまをしでかしたことに気づき,思わず「ジーザスクライスト」とつぶやいてしまった.それはマイクが拾って400人の聴衆に拡声された.私が聴衆の方を見上げて「リチャード・ドーキンスがここにいませんように」と言ったら,リチャードは挙手してくれた.そこで私は,ロンドンバスにフリーシンカーサインが掲げられていることについて彼を祝福することができた.それは私が敬服しているもので,非常に抑制的なメッセージが掲げられている.例をあげると「たぶん神はいない.くよくよするのはやめて人生を楽しもう」とか,子供の視点からの「僕にラベル付けするのはやめて,大人になってから自分で決めさせてよ」とかだ.私は聴衆のためにこう付け加えた.「私はリチャード・ドーキンスを神が信心深く弱い心を持った人間を苦しめるために遣わした小予言者の一人(a minor prophet)だと思っている.そして彼はそれについての素質がある.」
  • 実際彼にはその素質がある.無神論についての彼の本の中の素敵なコンセプトの一つはこれだ.「ほとんどの人はたった1つの例外を除くすべての宗教を否定している,なぜ最後の一歩を踏み出さないのか?」


個人的な想い出も含まれてはいるが,むしろドーキンスのアイデアについてのコメントがポイントになっている.だからウェッブ版では省いたのかもしれない.ドーキンスファンの私としては収録されていて大変嬉しいところだ.


関連書籍


利己的な遺伝子 これはトリヴァースの序言が復活収録されている30周年版の訳本.

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>


トリヴァースが自己欺瞞を論じた教科書.かなり型破りな記述が多くて刺激的な本だった.

生物の社会進化

生物の社会進化


さらに25年経ってまとめた自己欺瞞に関する本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120523

The Folly of Fools: The Logic of Deceit and Self-Deception in Human Life

The Folly of Fools: The Logic of Deceit and Self-Deception in Human Life

*1:@tama_lionさんからのツイッター情報で知ったもの.夜就寝前に知って早速ダウンロードで購入してその場で読み始めることができた.こんなに簡単に洋書が入手できるなんて20年前のことを考えると夢のようだ.当時は日本の書店から取り寄せると大変時間がかかる上に値段もバカ高かった.ニューヨークやロンドンに行く機会があると,寸暇を惜しんで現地書店に入り浸ってスーツケースの容量の1/3ぐらいの本を買い込んだものだ.