海の生き物はなぜ多様な性を示すのか: 数学で解き明かす謎 (共立スマートセレクション)
- 作者: 山口幸,巌佐庸
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 2015/11/10
- メディア: 単行本
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本書は新進気鋭の若手数理生物学者山口幸による性比,性システムの進化に関する本である.性比や性システムの進化は数理的にも大変面白い分野で,私としては最近ウエストの総説本を読んで興味を持っていたこともあり,見逃せない一冊だ.
冒頭で研究者になるまでの回想があってそこも楽しい.奈良に生まれて海を見ることもあまりなかった著者は,高校で生物部に属してやりたい放題の部活を楽しみ,大学を卒業したら山間部の中学の理科の先生になるのが夢だった.大学では物理学に興味を抱くが,複素数より実数の世界がいいと思うようになり,ふとした機会で参加した臨海学習を機会に生物学に進路変更し,数理生物学に進む.そして指導教官の影響もあってフジツボの性の謎に挑むようになるのだ.
第1章は導入.生物界には様々な性システムがあり,興味深い問題として成長と繁殖のトレードオフ,そして性配分(性比)があることが解説される.
第2章はフジツボの矮雄の問題.
フジツボ類を簡単に紹介した後,その性システムを説明する.無柄フジツボはほとんど同時的雌雄同体(以降単に雌雄同体と呼ぶ)だが,有柄フジツボ(カメノテなど)には「雌雄同体」「雌雄同体と矮雄」「メスと矮雄」の3つのパターンがある.そしてどのような環境でどのようなシステムが進化するのかが問題になる.ここでは「浅いところの有柄フジツボの矮雄は深海にいる有柄フジツボの矮雄より大きい」「大型個体が雌雄同体である有柄フジツボの矮雄は大型個体がメスである有柄フジツボの矮雄より大きい」という二つの観察事実が説明できる数理モデルを組めるのかがポイントになる.
実際に有柄フジツボの個体の性がいつ決まるかは解っていないそうだが,ここでは前提としてある個体が矮雄になるか,大型メス個体あるいは大型雌雄同体個体になるかはあらかじめ決まっているとする(どのように決まっているのかはここでは考えない.また出生後どちらの個体になるかが条件付き戦略として決まるという可能性はいったん捨象する).そして矮雄になると決まった個体が初期資源をどのように使うか,成長と繁殖の資源分配をどう使うかの二つの戦略を分析する.ここで著者はエサ資源の豊富さ,大型個体がメスなのか雌雄同体なのかで矮雄の戦略が異なることをうまく示すモデルを提示している.エサ資源が乏しいならいっさい成長に回さずに初期資源を繁殖に使い切る方が有利になる.エサが豊富だと雌雄同体個体とのオス機能競争があるかないかが戦略選択に効いてくるようになり,競争がなければ成長と繁殖を同時に行うことが適応的になり,競争があればまず成長してその後に一気に繁殖に回す方が有利になる(そして後者の方がより成長する).
第3章は性配分問題
ここは私としてはウエストの総説本を読んだばかりなので興味深いところだ.なお著者はチャーノフの共同研究者だったということでここでチャーノフ博士への敬慕の念をつづり,その1982年の総説本を紹介している*1.
ここではまずフィッシャー性比が解説される,簡潔な議論が示された後に微分方程式を用いたESS性比の導出が解説されている.これでウォーミングアップをしてから,雌雄同体個体のLMC(局所配偶競争)が扱われている.最初に導出したのがチャーノフということもあり著者はこれをチャーノフモデルと称して詳しく解説している.紙数の関係からかハミルトンのオリジナルモデルや,ハミルトン性比との差についてはここでは解説されていない.LMCの一つなのだから簡単に触れておいた方が良かったのではないかという思いを禁じ得ない.なおLMCがなぜ生じるかについては,ハミルトンのオリジナルモデルは息子間の配偶競争のためで,チャーノフモデルでは同じ個体からの精子間の競争のためということになる.
さてここで著者はこのチャーノフモデルの拡張を一つ取り扱っている.それは雌雄同体個体が受け取った精子の一部分を(受精に使わずに)消費する場合にどうなるかという問題だ.考えてみると精子競争がある場合には本来受精に必要な量より多くの精子を受け取ることになるから,その一部を消化して再利用するのはいかにも進化しそうな形質だ.
著者によるとこの場合のLMC性比は消化した栄養分を精子を作るのに回すか卵に回すかで異なってくる.そしてここでは卵に回す場合について分析されている.結果はチャーノフ性比よりメス配分への傾きが小さくなる.著者はこの結果の解釈については触れていないが,なかなか興味深いところだ.本来単に捨てられるはずの精子の一部が相手の卵に変わり,それへ自分の精子が受精する可能性が生じるからより精子の価値が高まるためだろうか.
ウエストの総説本では様々なLMCの拡張が扱われていたがこのような場合の拡張はなかった.性比問題は本当に奥深い.
第4章では条件付き性配分戦略としての性転換が取り扱われる.
簡単に性転換についてサイズ有利性モデル(ハレム型では先雌,乱交型では先雄になりやすい)の概説があった後,ツマジロモンガラというフグの一種で(基本的にハレムを形成し先雌型だが)中型個体が性転換することがあるという謎をモデル化する試みが解説される.ここは結構気合いが入っていて詳説されている.アイデアとしては最大メスはハレム内での自分の相対的栄養条件によっては転換せずにメスのまま卵を大量に産む方が有利になる場合があるというものだ.モデルとして面白いところは栄養条件に差がある状況を作り出すために複数あるメスのエサナワバリの質(ハレムは複数エサナワバリを含む広い配偶ナワバリで成立する)に多様性を持たせているところになる.私もノートに数式を展開してついて行ったが,まさにこういう本の醍醐味というところだ.
第5章は性決定システムの進化について
いろいろな生物には遺伝的に性が決定するものと,環境依存的に決定するものがある.この二つのシステムはそれぞれどのような場合に進化するのだろうか.
ここで著者は寄生性のフジツボであるフクロムシを紹介する.私は知らなかったがなかなか面白い生物で,カニやヤドカリに寄生してホストを操作する.またすべて矮雄と大型のメスという性システムだが,遺伝的性決定をするものと環境依存的性決定するものに分かれ,前者のメスは体内にレセプタクルと呼ばれる袋を二つ持ち,二匹までしか矮雄を受け入れないが,後者のメスは体内に多数の矮雄を受け入れる.また相対的な矮雄のサイズは前者の方が大きい.
著者はこれを説明するモデルを一つずつ提示していく.最初はそれぞれの性決定システムごとにどのような幼生サイズが進化するのかをモデル化する.ここでポイントになるのはフクロムシの場合メスはメス同士でホスト定着競争があり,矮雄は矮雄同士でメスを巡る競争があることだ.母親が幼生サイズ(卵サイズ)を決める場合に遺伝決定システムであればそれぞれの性にそれぞれ有利なサイズを個別に決定できるが,環境決定システムでは両者のトレードオフから妥協した大きさになる.そして1メスについて2匹しか潜り込めない場合には矮雄はサイズが大きな方が有利になるが,多数潜り込める場合には精子競争になるので体サイズにはあまり依存しない.これでレセプタクルを持つ種の方が矮雄が大きいことが説明できる.
ではそもそもどちらの性決定システムが進化するのだろうか.著者によるESSモデルによるとこのオスメス間の幼生最適サイズの差があまりない場合には環境依存的性決定が,差が大きくなると遺伝的性決定がESS になるということになる.
この章もモデルが詳細されていて数式を書きながら読んでいて楽しいところだ*2.(なお最後のモデルは提示されていない,これは紙数の関係ということだろうが,ちょっと残念なところだ)
第6章は矮雄の進化について
第5章の分析ではオスは矮雄になることが前提の上での分析だった.ではそもそも矮雄はどういうときに進化するのだろうか.著者これはまだ完全に解決していない問題だと断っている.ここはややわかりにくい.生活史から見て大型個体になるよりも矮雄になる方が有利であれば,それは条件付き戦略として容易に進化するように思われるところだ.あるいは頻度依存の場合も含めてその進化条件が明確に解析されていないという趣旨かもしれない.
ともあれ著者は順番に議論している.まず矮雄と大型個体の数(個体数比)が所与である場合の大型個体の性配分戦略を示す.次に頻度依存的に矮雄が生じる条件と生じない条件を示し,さらに矮雄が生じる条件下での大型個体の性配分戦略を吟味する.すると大型個体はメス機能にのみ投資する解しか出てこない*3.
これではフィールドで観察されている矮雄と雌雄同体個体の共存が説明できない.著者は自らのモデルの前提を再検討し,出生の際のみ矮雄になるか大型個体になるか選択するとしている条件をゆるめ,時間依存的に選択できるようにする.これは動的最適問題を解く形になり,解いてみると一時的に雌雄同時個体の存在を許すようになるがなお条件が狭い.著者はさらに再検討を重ね,矮雄になる方がかなり有利ではあるが,一部個体が矮雄になれないことがあるという条件をモデルに組み込む.すると矮雄と雌雄同体個体の共存という解がかなり広い条件下で出現するようになる.
私の印象では,矮雄と雌雄同体という状況は頻度依存のみでは出現できず,条件付き戦略(近くに大型個体がある幼生のみ矮雄になれる)として矮雄戦略が生じる場合にのみ可能であると解釈できるように思うが,著者はそこはあまり解説してくれていない.
本章のモデルの数理的解説は(かなり複雑になるということからだろう)やや控えめでむしろ自然の謎解きにフォーカスされている.著者自身の探求物語として臨場感もあって読んでいて大変面白い.そして読者にいろいろ考えさせてくれる.これもこのような本を読むときの醍醐味の一つだ.
第7章は性の可塑性と題されている.
冒頭では恩師の遊佐陽一がこれまで雌雄同体のみと考えられていたオノガタウスエボシというガザミに付く有柄フジツボで,肩乗り個体が矮雄になっていることを発見する.そしてソラエラエボシに操作実験を行い,大型個体に乗せてやるとよりオス機能を増やすことを見いだす.つまり彼らは条件依存的に性配分を調整するのだ.著者はそういう解説をしていないが,これは一種の条件付き性比戦略ということになるだろう.
著者は同様の発見を求めて苦労してハコエビに付くヒメエボシを調査するが,そこでは肩乗り個体も矮雄的にはなっていなかった.残念ということだが,著者はここから条件依存的な性の可塑性から矮雄が進化したのではないかという仮説を提唱する.そして今後詰めていきたいと語って本書を終えている.
著者は第6章と第7章を結びつけてはいないが,私には矮雄の進化についてはさまざまな条件付き戦略が重要なのだろうという深い印象を与えてくれた.いずれにせよ第7章はフィールドの探求が楽しい.
章立てはここまでだが,著者はなおも語り足りないようで,後書きにまでカイロウドウケツの性システムの謎について熱く語っている*4.そして最後に数理生物学の大御所,巌佐庸が小文を寄せてぴりっと締めている.
本書は若手数理生物学者の性比と性システムの進化に絡む小粋な一冊だ.矮雄となると決まった個体の生活史戦略から始まり,雌雄同体のLMC基本モデルとその拡張,サイズ有利性性転換モデルの拡張,性決定システムの進化,矮雄の進化とそれぞれ興味深いテーマが並んでいる.また数理生物学の本だと結構最初から最後まで数式が展開されて堅めの記述が連なることも多いが,本書は章により扱うテーマを変えるだけでなく,数理モデルに重点をおいたり,謎解きに焦点を絞ったり,フィールドの苦労話があったりで読んで楽しい工夫もされている.私も数式を展開してついて行ったり,一緒に謎解きを考えたりして大変楽しいひとときを過ごすことができた.数理生物学に興味のある人には宝石箱のような本だと思えるだろう.
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*1:これまでEric Charnovについては読み方がよくわからずにシャノフと表記してきたが,共同研究者がチャーノフと呼んでいるのを知り今後表記を改めることとしたい.なおなぜか本書ではウエストの総説本の紹介はなくちょっと残念な気もするところだ
*2:なお途中で偏微分方程式の解方についてはしょっているところがあってかゆいところに手が届かない感じがするのはちょっと残念だ.特に偏微分方程式の解がその中の二つの関数の相乗平均の最小問題を満たすという形で得られるという部分は解説がほしい
*3:なおこの部分の説明はわかりにくい.頻度依存的になった場合に個体数比所与の場合可能とされている雌雄同体戦略が生じない理由を明示した方が良かっただろう.
*4:カイロウドウケツは閉鎖空間で2個体が生涯をともにする.この場合には性配分をLMC的にメス機能に傾けた方がより多くの子孫を作れるので,雌雄同体が進化しやすいし,雌雄異体でも矮雄が進化しやすい(小さい方の個体はオスになって資源をメスに譲る方が有利になる)と考えられる.しかしこの種は実際にはほぼ同じ大きさの雌雄異体であり,なぜそうなのかという問題.著者はゲーム的に解析し,性決定に可塑性があるかどうかで結果が異なることを見つける.これは前回の日本進化学会で発表していた内容だ.(もっともではなぜ性の可塑性が進化していないのかという問題になるわけだがそこまでの解説はない)