「人はなぜ格闘に魅せられるのか」

人はなぜ格闘に魅せられるのか――大学教師がリングに上がって考える

人はなぜ格闘に魅せられるのか――大学教師がリングに上がって考える


本書は英文学博士で米国の大学の非常勤講師である著者が,総合格闘技MMA:Mixed Martial Arts)のリングに上がることになるというはちゃめちゃでキレッキレの体験談とともに,男性心理における格闘技の位置付けを論じている本だ.本書にはスティーヴン・ピンカーがカバージャケットに推薦文を寄せていて,私はそれにつられて読むことにしたものだ.原題は「The Professor in the Cage: Why Men Fight and Why We Like to Watch


著者ジョナサン・ゴットシャルは2008年に「The Rape of Troy」というホメロスの世界を題材に文化人類学と進化生物学の観点も交えて暴力の意味を描き出した本の著者としても知られる(このほか進化的視点から文学を論じた本も何冊か書いている).彼はこの本で「15分間の栄光」を得たが,しかし40歳間近で,ピッツバーグにあるワシントンアンドジェファーソンカレッジで新入生に作文を教える年収1万6千ドルの非常勤講師でしかなく,学者としてのキャリアは行き詰まっていた.そして彼はオフィスから道を1本隔てたところにあるMMAのジムを窓から眺めながら,あそこに入ってトレーニングを積み実際にケージファイトをすれば,それを材料に本を一本書けるし,あるいは平和を愛する大学側が自分を首にしてくれるかもしれないと夢想し始め,そしてそれはどんどん具体性を増し,ついに入門するために道を渡る.


著者は格闘技(そしてスポーツ全般)は一種の儀礼的闘争だと指摘する.そしてまず男性は名誉のために決闘してきたことを見る.西洋においてそれはつい200年前まで日常だった*1.名誉の文化を刑務所の現実を記述しながら解説し,そして今でも殺人の大きな割合はごくつまらない原因から名誉(あるいはリスペクト)をかけて殺し合った結果であることを述べる.また男性同士の闘争は動物界のオスオス闘争に見られる力学(まず相手との力量差を互いに推定する.差がはっきりしないときには闘争が始まるが,闘争は一定の枠組みの中で少しずつエスカレートする.そして力量差が明らかになった時点で弱い方は降参する)と基本的に同じであり,儀式的闘争が基本*2であること,男性がよりリスクを取り,格闘や筋肉量に魅せられ,文化的に通過儀礼を強いられるのが,通文化的であることなどを解説している.このあたりは進化心理学的な殺人研究,名誉の文化,性淘汰とオスオス闘争の進化生物学的理解*3についての解説になっているが,分野外の著者による新鮮な見方がところどころにあって面白い.また男女の違いについてのジェンダー論の建前がいかに破綻しているかについても,それにどっぷり浸かっている文学科に属してきた学者の視点からのレポートになっていて面白い.
また進化生物学的な視点からの解説としては,このほかに,「左利き喧嘩上等説」の顛末(当初の提唱,検証を経て,それは実際の部族間戦争というより,儀式的な闘争において有利だったのではないかという解釈が有力になっている),兄弟や友人間のとっくみあい(あるいはバトル・ラッパーでも酒量の競い合いでも)とその後の男性同士の絆の形成,スポーツへの関心に関する性差,スポーツ観戦への熱狂と部族間戦争との関連*4 *5,何故人々は暴力的な見世物を愛するのか*6なども扱われている.最後のところでは,チームスポーツは結局戦争の準備なのか,その暴力の発散として機能しているのかという話題*7もあって面白い.


そしてそれと並行してMMAのジムで体験する格闘技の世界の現実が語られる.打撃技の衝撃,相手と対面するときの恐怖*8,どのようにしてそれを克服していくのか,ジムにいる人達の素顔*9,アイコンタクトの儀式的重要性,格闘を行ったあとの高揚感などが扱われている.ここは直接体験が多く迫力がある.


また総合格闘技についての蘊蓄もいろいろ書かれていて楽しい.著者の見解によると,かつてどの格闘技が本当に強いのかという論争があり,それはある意味ルール次第なのだが,ルールを緩めていったときにどうなるかを真に科学的に探求したのがMMAであるという.そしてその科学的な探求は以下のような結論に結びついた.

  • ウエイトは圧倒的な重要性を持つ,(神話のように飛び道具を使わない場合には)ダヴィデがゴリアテを倒すのは極めて困難だ.
  • 打撃系の技だけでは勝てない.一度でもかいくぐられてタックルされると関節技や絞め技という寝技の技術がないと簡単に無力化される.そして空手,功夫太極拳のような打撃系の東洋武術は倒されたときにどうするかの対処がない.これらは一種の宗教になっている*10
  • MMAの歴史においては,当初はブラジリアン柔術が天下を握ったが,寝技の重要性が理解されるようになってからは体格のよいレスラー優位の時代が続いている.

本書では,大学の同僚科学者で友人であり,かつ空手の信奉者であるノブとの実験を兼ねた対戦の経緯が描かれている.ここも読んでいて面白いところだ.


そして最後のクライマックスとして著者の実際のケージファイトとその後の対戦相手に感じた絆が描かれている.実際の格闘の描写,戦士として戦ったときの感情の動きなどリアルな迫力に満ちている.


本書はほかに類例を見ない面白い本だ.分野外出身の書き手としては驚くほど適切な進化的な理解,学者で格闘家という異色の背景,リアルに格闘技を体験した迫力,格闘技に関する技術的蘊蓄,そして著者の中年の危機的な人生模様*11がほどよくシャッフルされて独特の世界を作っている.私は迫真の筆致に引き込まれて一気に読んでしまった.真に興味深い一冊というべき本だ.


関連書籍


原書

The Professor in the Cage: Why Men Fight and Why We Like to Watch

The Professor in the Cage: Why Men Fight and Why We Like to Watch


本書を読む上ではピンカーのこの本は外せないだろう.

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

暴力の人類史 下

暴力の人類史 下


同原書.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130109 読書ノートはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20111220から連載している.

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined



ゴットシャルの本.こうしてみるとなかなか面白いラインナップだ.進化生物学に興味と学識があることがよくわかる.

The Rape of Troy: Evolution, Violence, and the World of Homer

The Rape of Troy: Evolution, Violence, and the World of Homer

The Storytelling Animal: How Stories Make Us Human

The Storytelling Animal: How Stories Make Us Human

Literature, Science, and a New Humanities (Cognitive Studies in Literature and Performance)

Literature, Science, and a New Humanities (Cognitive Studies in Literature and Performance)

これは編集者として参加した本

Evolution, Literature, and Film

Evolution, Literature, and Film

The Literary Animal: Evolution And The Nature Of Narrative (Rethinking Theory)

The Literary Animal: Evolution And The Nature Of Narrative (Rethinking Theory)

  • 作者: Jonathan Gottschall,David Sloan Wilson,Edward O. Wilson
  • 出版社/メーカー: Northwestern Univ Pr
  • 発売日: 2005/12/26
  • メディア: ペーパーバック
  • 購入: 1人 クリック: 4回
  • この商品を含むブログ (2件) を見る

Graphing Jane Austen: The Evolutionary Basis of Literary Meaning (Cognitive Studies in Literature and Performance)

Graphing Jane Austen: The Evolutionary Basis of Literary Meaning (Cognitive Studies in Literature and Performance)

  • 作者: J. Carroll,J. Gottschall,John A. Johnson,Daniel J. Kruger
  • 出版社/メーカー: Palgrave Macmillan
  • 発売日: 2012/04/24
  • メディア: ハードカバー
  • この商品を含むブログを見る

*1:ここでアメリカ建国の父祖の一人アレクサンダー・ハミルトンの逸話が紹介されている.ハミルトン家は父子二代にわたって決闘で命を落とした.彼は決闘のリスクを良く理解していて何とか回避しようと画策していたが,最終的に名誉を守るには決闘をやる以外にないところに追い詰められるのだ

*2:近代西洋の決闘方式の最大の儀式性はその遅延時間にあるのだそうだ.冷静になった双方が回避努力を行うことができるようになる.

*3:残念ながらメイナード=スミスのゲーム理論については触れられていない.想定読者に対してテクニカルすぎると考えたのだろうか

*4:観客の熱狂はチームスポーツの特徴だ.MMAなどの個人対戦スポーツの観客は比較的におとなしい場合が多い.なお古代ローマにおいても剣闘士の試合よりも戦車競争の方が熱狂的な観客を擁していたことが知られている.

*5:またここではフットボールの歴史についても蘊蓄が語られている.初期のアメリカンフットボールのめちゃくちゃ振りは面白い.

*6:ここではローマの剣闘士から始まり,動物いじめのショー,犯罪者の処刑見物,ホラー映画などの歴史が振り返られている.著者によると暴力見物的エンターテインメントが暴力を誘発する証拠も,逆に(カタルシス解放により)暴力を抑制する証拠もなく,進化的には条件依存的に暴力が有利な局面に遭遇することもあったことから説明できるのだろうと示唆している

*7:著者は両面があるとしている

*8:倒される恐怖より,逃げ出してしまう(そして面目を失ってしまう)ことへの恐怖の方が大きいのだそうだ.

*9:粗暴なマッチョは少なく,見るからに善人でいじめられた過去を持つような若者が多い

*10:極真空手大山倍達についてもコメントし,その逸話は「創始者の奇跡的な偉業」神話として理解されるべきだとほのめかしている

*11:著者は格闘技を始めたことを理由に大学を首になることは(もちろん)なかった.しかし結局非常勤講師をやめてライターとして執筆に専念するようになったそうだ.