Language, Cognition, and Human Nature 第1論文 「言語獲得の形式モデル」 その19

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VIII 変形文法学習の理論 その2


ハンバーガーたちの変形文法を用いたモデルは,不変条件に加えてさらに別の条件(二項原則と凍結原則)を持つ.ピンカーはその詳細を説明する.


<学習過程>

  • 学習者は,次に変形のセットあるいは変形コンポーネントの仮定を立てなければならない.基礎規則とこの変形コンポーネントで目標言語が形作られるようにするのだ.
  • やり方は簡単だ.学習者は意味と文のペアについて無限の試行を行い,文法を推測することを要求される.それぞれのペアについて学習者は現在持つ変形規則を(意味から計算された)深層構造に当てはめ,結果をインプットと比較する.マッチすれば規則を変えずに次の試行に移る.マッチしなければ次の2つのどちらかをランダムに選ぶ.1つはこれまで推測してきた規則を1つ捨てること.もう1つは現在のサンプルを可能にする変形規則を並びあげ,そのうち1つ付け加えることだ.
  • ハンバーガーは目標言語の変形に適切な制限を加えることで学習者は正しい文法に収束する(時間とともに正しい文法に到達できる確率が1に近づく)ことを証明した.証明は長く複雑だ.ここではどのようにこの制限が学習保証として機能するかを要約しよう.
  • これは「学習可能性を考察することは言語獲得についての強い生得的な理論につながる」というチョムスキーの議論の核心になる.


<学習可能性の証明>

  • これまで述べたように,学習者の仮説空間を制限することにより言語が学習可能になるのは,仮説文法空間とサンプルと整合的な文法空間の交わりがサンプル数とともに減少するときだけだ.
  • ハンバーガーたちは,学習者が不正確な変形構成要素を推測したときにその誤りに気づくまでの時間が任意に長くなったりしないことを示さねばならない.誤りに気づくというのはつまり構成要素が適切に対応する文に変形できないような意味論的構造に出会うということだ.
  • これは「誤りに気づくために必要なペアは任意に複雑になり得る」ということはないことを示す必要があるということだ.言い方と変えると,もし学習者が不正確な変形構成要素を持っているなら,その構成要素はある一定の複雑さ限界より単純なペアで誤りを引き起こすことを示す必要があるということだ.(この複雑さはSノードの数やレベルの深さで示される)
  • この条件は制限のない変形文法では満たせない.変形文法ではそれぞれの変形は深層構造の特定のシンボルの状況(構造的記述:structural description)によって引き起こされる.もしこの構造的記述が任意に複雑になれるなら,学習者は任意に長い時間待たなければならなくなる.すると学習者の持つ文法の正しい確率が,サンプルの増加とともに1に向かって収束することが不可能になる.
  • これによりハンバーガーたちは変形について次の制限を提唱した.「深層構造において2つ以上の深さのレベルのシンボルを参照する構造的記述を持つ変形は許されない.」
  • 次の深層構造文のペアを考えてみよう.

"What does Sam want Bill to suggest Irving cook?"

  • 学習者は単純にWhatを右端から左端に動かす変形ルールを推測するかもしれない.しかしこれは上記制限に反してしまう.だからまず一番下のレベルで変形させるような推測(Irving cook what → What Irving cook)から始めることになる.そしてレベルを1つずつ上げていくことになる.
  • ハンバーガーたちは英語だけでなくすべての言語の変形はこれに従うと主張した.そしてこれを二項原則(Binary Principle)と呼んだ.
  • ハンバーガーたちはこの制限をそれがないと学習可能条件を証明できないので導入したわけだが,彼等はチョムスキーも記述的な見地から独立にこの制限(下接条件:the subjacency condition)を主張していると指摘している.つまり2つの視点から見て同じ制限が自然言語にあることが示唆されると言うことだ.


<凍結原則>

  • しかしながらこの二項条件だけでは,誤った文法推測の下で一定の複雑さ制限内でペアが誤りを示すのを保証するには十分ではない.
  • 文法の基礎ルールは単一レベルでは有限の数の構造しか生みださない.二項原則とあわせるとこれは上記の保証をするようにも思われる.
  • しかし,残念なことに,変形がある単一レベルに適用されるときには,常にそれは別のレベルのシンボルの状況を変えてしまい,新しい変形についての構造的記述を生みだしてしまう可能性を持つ.この新しいレベルにおいてのみ変形構成要素が誤りである学習者はこの新しい任意に複雑なレベルに達するまでそれを発見できない.
  • カリカバーはこの問題の解決のため,新しい制限「凍結原則」を提唱した.これはある変形が,直前の別の変形にのみにより創り出されたシンボルの状況に適用することを禁止するものだ.




  • この図によりこの制限の意味がわかる.学習者が図Aから図Cへの変形をしなければならないとしよう.そして既に要素Bと要素Cの位置を変更した図Bを得ているとしよう.すると彼は最後に要素Aと要素Bの位置を入れ替える変形をする必要がある.それは例えば次の変形になる(ABDC→BADC).
  • しかし凍結原則はこの仮説を禁止する.何故ならこの仮説はDCというシンボル状況を参照していて,これは基礎ルールではなく別の変形から生みだされたものだからだ.その代わり学習者には(AB→BA)という変形が許される.
  • この二項原則と凍結原則によりハンバーガーたちは学習者が正しい文法に収束できることだけではなく,それを2つのレベル以上に埋め込まれた構造を考えることなくできることを示したことになる.
  • もちろんハンバーガーたちは,これらの原則が自然言語を学習することを阻害しないことを示さねばならない.
  • 彼等は自然言語が凍結原則に従っていることを示すために,多くの英語の構造例を提示している.さらに彼等は何故あるタイプの文は非文となるのかについて,凍結原則がそれ以前に提示された説明より説得的であることも示している.


<評価>

  • ハンバーガーたちのモデルを評価する前に,ここでは彼等のプレゼンテーションから少し強調点を変えていることをはっきりさせておこう.彼等は「とりあえず説明できるモデルの開発」に力点を置いている.それは言語学習のすべての側面を説明しようというものではなく,何故別の方法ではなく,この方法でなければならないかを説明しようとしているのだ.だから彼等は「もし不変性原則,二項原則,凍結原則を使わないなら言語は学習可能にはならない」ことのみを示そうとしている.
  • また彼等はこのモデルを適切な言語学習理論へ向けた第1段階として示している.だから彼等のモデルは「最小限もっともらしい」以上のことを主張していない.モデルは非文についての情報を要求しないし,すべてのサンプルを記憶しないし,2レベル以上の複雑な文もサンプルとして要求しない.またサンプル文は一度に1つしか扱わないし,推測文法の変更はルールの取り替えという形のみをとる.つまりヒトの自然な言語学習とは明らかに異なる部分を持つのだ.つまりモデルは学習理論の境界条件を明確にしようとのみしているので単純化されている.
  • しかしながら「最小限もっともらしい」以上のことを示すなら多くの特徴を詳細に示していかなければならない.
  1. まず学習がヒトの子供期の時間スパン内で収束するかどうか示されていない.
  2. 子供が変形ルールについて数え上げてランダムにルール交替させているというのはありそうもない.子供が実際にどう意味と文のペアから仮説を導き,さらに文を分析して仮説をどう取り扱うかについて直接説明する理論が必要だろう.
  3. 整列されていない深層構造(unordered deep structures)というのは子供の表現理論としては疑問だ.(これは第IX節で扱う)
  4. 一旦獲得された変形要素がどのように文の生成や解釈に使われるのかについて説明がない.
  • いずれにせよハンバーガーたちのモデルはユニークで印象的な達成物だ.彼等のモデルは自然言語が獲得できることを示し,かつ子供の言語獲得について知られていることと矛盾しない唯一の説明なのだ.
  • さらに彼等は変形文法言語について2つの中心的なテーマを明確にし,かつ正当化した.1つは言語学習可能性を考えることはある理論と別の理論のどちらを選ぶかにおいて重要であること,そしてもう1つは学習可能性を考慮することは強い生得的な制限を意味するということだ.彼等自身こう言っている.「チョムスキーが心理学と言語学の間に築いた架け橋は双方向に通じている」


要するに,チョムスキー生成文法理論はもともと言語がどういうものであるかを記述的に分析して生まれたものだが,それは言語学習を考察する際に「生得的な制限」がどのようなものか(あるいはどのようなものでなければならないか)を明確にすることに大きく役立ったということなのだろう.ハンバーガーたちの試みの第一歩に過ぎないが,既にその方向の正しさは疑い得ないものだというのがこの論文を書いたときのピンカーの考えということになる.
ここまではこれまでの言語学習理論の流れだった.ここからこれを受けてのピンカーの考察が収められている.