「プロ野球「熱狂」の経営科学」

プロ野球「熱狂」の経営科学: ファン心理とスポーツビジネス

プロ野球「熱狂」の経営科学: ファン心理とスポーツビジネス


本書は成り立ちがちょっと面白い.神宮で年に数回広島を応援する仲間であったマーケティングとマネジメントの専門家たちがゲーム後の居酒屋で語り合ううちに,各人の専門を活かしてプロ野球に関する研究をしようということで盛り上がり,さらにいくつかの縁で阪神ファンである社会心理学者(三浦)と広島在住で本人は広島ファンではないものの広島ファンに関するリサーチを行っていた社会心理学者(中西)が加わってできあがったアンソロジーだ(私的にはこの社会心理学の部分が面白そうで手に取った本ということになる).というわけで本書のかなりの部分が広島カープに焦点が当たった寄稿になっている.企画時にはまさか今年広島が25年振りにリーグ優勝するとは思っていなかったのではと思われるが,素晴らしいタイミングで本になったということだろう.


序章では本書全体のねらいが説明されている.ビジネスマネジメントの一方式として顧客に「熱狂」を産み,それをマネタイズするというやり方がありうるだろう.ここでプロスポーツ分野は,データが集積しており分析対象としてふさわしいだろう.そして熱狂の事例として「カープ女子」現象があるということになる.ファンが集まって作ったのだから後付けの理屈ということだが,なかなか美しい.なおこの序章では,マーケティングやマネジメントを真剣に考えるなら,最も観客動員数の多い巨人も扱う必要があることを素直に認めたうえで,しかしそんなものには食指は動かないのだというコメントがあり,本書の性格を際立たせている(なお私はここを読んで思わず吹き出してしまった).

第1部 マーケティング

第1章 プロ野球ファンとはどのような人々か

巨人ファンと阪神ファン広島ファンが様々な視点でデータ比較される.面白いところをいくつか紹介しよう.

  • 巨人ファンは比較的若く(小学校高学年から中学)からファンになる割合が多く,その後一部は阪神ファン広島ファンに移行するが,逆はほとんどない.
  • 感情温度を測定すると巨人ファンはひいきチームに対して山形の分布をし,阪神や広島には中立(つまり好悪ともマイルド)だが,阪神ファン広島ファンはひいきチームには右肩上がりの極端な好意を,そして巨人に対して左肩上がりの極端な嫌悪を見せる.
  • 巨人ファンと広島ファンは応援選手の勤勉性を評価し,阪神ファンは応援選手について心配性でうろたえやすいと感じている.また巨人ファンと広島ファンは球団イメージと応援選手のイメージが相関しているが,阪神ファンにその相関は見られない.

ここではこれらの結果に対する解釈は示されていない.私の想像では,第1点はこれは10年ぐらい前までのテレビ放映状況が大きく影響しており,ごく素直に野球に興味を持った少年は,放映の最も多い巨人のファンに自然になり,長じてほかのチームの魅力に惹かれて転向することがあるということだろう.だとするとここ10年で野球ファンになった人々ではこれらの傾向は大きく変わっているかもしれないと予想される(本アンケート調査対象者の平均年齢は44歳).また第2点については,長期低迷期を持つ阪神や広島を(あえて)応援するファンの方がより過激なファンの比率が高いということを反映しているのだろう.第3点については関西人気質以外に説明は思いつかない.大変興味深いところだろう.

第2章 人はなぜその球団を応援するのか

プロ野球観戦の動機をフランスの社会学ロジェ・カイヨワの理論に当てはめて分析するという趣向.カイヨワは遊びを意志と脱意志,計算と混沌の2軸4象限で解説した.
ここでプロ野球観戦を行う動機についてアンケート調査し,それを主成分分析にかけ,さらにその主成分をカイヨワの軸に当てはめてフィットするかどうかを見る.主な結果は以下の通り

  • 巨人ファンは大差で勝つことを期待する.阪神ファン広島ファンはより強い相手に勝つことを期待する.これらはカイヨワの競争象限の動機になる.
  • 巨人ファンと阪神ファンは競り合った後に勝つというカタルシスに価値を見いだす.これもカイヨワにおける競争象限と見なせる.広島ファンはむしろ応援による一体感を評価する,これはカイヨワでいうと模擬,眩暈の象限になる.
  • その他のデモグラフィック分析においては,当然予想される出身地の影響のほかに,教育水準が高いほど広島ファンになりやすいという傾向が検出されている.

私がカイヨワ理論に不案内ということもあるのだろうが,主成分分析をしているのだからそれだけで分析すれば十分ではないか(カイヨワを持ち出して話がわかりにくくなっているだけではないか)という印象をぬぐえなかった.
なおここでは特定の価値観や動機を持つからある球団のファンになるという前提で分析されているが,著者は最後に特定球団のファンになったから特定の価値観を持つようになる可能性についても触れている.著者はそうかもしれないがマーケティングを考える上ではどちらでもいいとお茶を濁しているが,私の個人的な印象では後者の影響の方が強いのではないだろうか.これは今年の広島のように弱かったチームがいきなり強くなったときにファンが変容するかどうかという問題にも絡むところでマーケティング的にも重要な気もするがいかがだろうか.
最後の教育水準の影響について,著者は高学歴者ほど,敗戦後の広島球団設立の歴史知識に影響されやすいか,反主流的な思考を持ちやすいのではないかと仮説を提示している.かなりこじつけ気味の眉唾な説明であるような気がするが,今後の検証が待たれるということだろうか.

第3章 ブランドロイヤリティ

応援選手,応援チームへのそれぞれの現実自己への適合性(自分に近いかどうか),理想自己との適合性(自分の理想に近いかどうか)から選手,チームへのブランド・ラブが形成され,両ブランド・ラブが相互に影響を与えるという因果モデルをアンケート調査により検証した.結果は以下の通り.

  • ほぼすべての因果パスが有意にあるとされたが.広島ファンについては現実自己との適合性はブランド・ラブに結びついていなかった.

著者はこのことからブランドイメージの確立とその一貫性の維持,そして選手移籍の差異のブランドイメージへの影響の検討の受容性をインプリケーションとしてあげている.なお広島ファンアノマリーについては球団が厳しい状況にあるという認識が影響を与えている可能性を示唆しているが,これもやや怪しい(もしそうなら,なぜ理想自己との適合性には影響を与えないのだろうか)という気がするところだ.

第2部 心理学

第4章 弱小チームファン心理の分析

章題は「阪神ファン広島ファン」ということで両チームのファンの特徴について掘り下げている.


前半は三浦麻子による阪神ファンの分析.
ここは冒頭のリサーチのきっかけのコメントが面白い.阪神ファンである三浦は2014年シーズンにおいて,阪神がリーグ優勝を逃した後クライマックスシリーズで巨人を4タテにして日本シリーズに進出した際に,全然祝う気分にも熱狂する気分にもなれず「なんなんだこれは」と感じたことに自分自身で驚き,この現象に「阪神ファンはどのようにチームを愛するのか」が表象されているのではないかと思って調査を開始したそうだ.

  • 最初に阪神ファンのみについてこのシーズンの阪神日本シリーズ進出決定時の気持ちを調査:結果,阪神依存度が強いほど「幸せ」な気分を感じているが,同時に「不安」「悲しみ」「怒り」の感情も強く,アンビバレントな傾向が認められた.
  • 次に人気上位7チームのファン気質を比較調査:阪神ファンはチームや選手への畏敬の念という項目について一番低い.ポピュラー思考の低さ,弱くても好きかという項目については広島ファンが最も突出している.

三浦はこれらの結果について「阪神ファンは屈折していると感じざるを得ない」とまとめている.何となくわかる気がするところだが,冒頭のエピソードは本当に阪神ファンだけが抱くものだろうかという疑問は残る.リーグ優勝を逃した後クライマックスで勝っても素直には喜べないというのは,リーグ優勝に長年大きな価値をおいてきた日本プロ野球のファンなら皆大なり小なり持つ感覚なのではないだろうか.どちらかというとファン気質の表れというより,クライマックスシリーズの設計の失敗というマネジメントの問題ではないかという気がする*1.この現象が阪神ファン特有なものかどうか,他チームファンとの比較リサーチが待たれるところだろう*2


後半は草川舞子による広島ファンの分析.
最初に広島東洋カープの特徴として,唯一の市民球団であり,原爆被災地の戦後復興のシンボルであったというという点が強調され,樽募金を含めその苦難の歴史が語られている.また本章の最後には黒田の男気のエピソードも語られていて,著者のファン気分が吹き出していて楽しいところだ.
リサーチとしてはそのような苦難の歴史から広島ファンには拝金主義を否定する人が多いのではないかを調べている.A「お金より大切なものがある」,B「成功者が富を得るのは当然」,C「お金があれば大抵のことができる」という質問項目について調べたところ,著者の予想に反して,ABCすべてについても広島ファンであることと正の相関が観測されてしまった.著者は「広島が資金の乏しい中で戦ってきた夢や希望の価値からAの結果は当然予想される,BCはその中でFA市場の現実を受け止めている結果ではないか」と解釈しているが,いかにも苦しい.世の中の価値観を「拝金主義かそうでないか」に二分しようとしたこと自体がナイーブではなかったか*3という感想だ.

第5章 ファンの集団力学

中西大輔による同じチームのファン同士(ここでは広島ファン同士)は助け合うのか,そうだとするとそれはなぜかという寄稿

  • 自分も相手も広島ファンであることを前提として,相手が広島ファンだとわかっているかどうか,自分が広島ファンだと知られているかどうかの条件をコントロールしながら,困っている相手を助けるかどうかを場面想定法によりアンケート調査した*4
  • 結論としては,単に同じチームのファンであるので助けたいと感じるという「社会的アイデンティティ仮説」とカープファン同士では後に自分も助けてもらえると感じるからという「互酬期待仮説」がそれぞれ支持されるという結果が得られた.

社会的アイデンティティ理論は進化心理学者から見ると結構うさんくさいところがある*5ので,中西としてはちょっと残念な結論かもしれないが,まあ現象的にはこういうことなのだろう.なお野球関連では「広島ファンではないが広島在住」という著者の冷めた目から見たシニカルな表現が随所にあって読んでいて大変楽しい章だ.

第3部 球団の経営

第6章 プロ野球選手のたどる道

プロ野球選手を,アマチュア最終球歴,ドラフト順,ポジションなどでカテゴリー化し,年齢(あるいはプロ野球歴)に応じてどのように球歴を重ね,解雇(あるいは引退)となり,年棒がどう推移するかを示したもの.
データ満載で様々にグラフ化され,選手の人生模様が浮かんできて眺めていて飽きない.球団側の選別としては,入団2年でプロとしてやっていけるかどうかを見て,28歳時に1軍選手として残れるかどうかを見る.そして一部のスーパースターのみ35歳以降も現役を続けることができるという構造が見えてくる.

第7章 選手の年齢別構成について

2つのパラメータ(管理野球か放任か,採用年齢は若手中心かそうでないか)を設定して,選手の能力は年齢に対して山形カーブを描き,時間とともにチームとしてのケミストリーが上がる(ただし管理方式のパラメータが絡む)とし,さらに単純なルールで解雇採用を行うとした場合にチームがどのような年齢構成になり,戦力が年とともにどのように動くかをシミュレーションしたもの.
これだけの単純な設定でもパラメータによって年齢構成が団子状になったり平たくなったりし,団子状になった場合には戦績が大きく上下するという結果が得られる.あまり現実味はないが,頭の体操としてはちょっと面白い.

第8章 日本プロ野球経営の現状

ごくわずかに公開されている情報からわかることをまとめている.いろいろ整理しているが,球団ごとの違いが大きすぎるし,親会社からの実質的支援がどのように決算書に反映しているか不明なので,ほとんど意味はなさそうというという感想を抱かざるを得なかった.無理矢理平均などをとってまとめるよりも,個別の公開情報を並べた方が面白かったのではないかと思われる.ステークホルダーであるファンのためにも一層の情報公開が望ましいという主張には賛成だ.

本書はいろんな視点からのプロ野球についての小論をまとめたもので,あまり類書のない不思議な本だ.ファン気質丸出しの記述,強引な解釈,突っ込みどころ満載で,学術書というよりは同人誌に近い本かもしれない.とはいえ広島ファンの「熱狂」という点での突出性はデータにはっきり出ていて面白いし,阪神ファンの特殊性も浮かび上がっている.広島ファンの皆様にとっては,リーグ優勝記念の大変楽しい読書になるのではないだろうか.なにはともあれ優勝おめでとうございます.

*1:メジャーリーグでは,リーグ内のプレーオフの長年の伝統があり,地区優勝を逃してもリーグ内で高位の勝率を確保してワイルドカードプレーオフを勝ち抜くことがワールドチャンピオンになる一つの手段としてしっかり認められている.NFLでは,究極の目標はスーパーボウルでの勝利であり,地区の優勝はプレーオフに出るための一つの手段に過ぎないという割り切り感がさらに強い.

*2:広島ファンの皆様には申し訳ないが,もしクライマックスシリーズで巨人(DeNAでもいいが)が(第1ステージに勝ち,さらに)広島を4タテして日本シリーズに進出するなどということが起これば,興味深い比較リサーチが可能になるだろう.巨人ファンもやはりあまり素直に熱狂はできないのではないかと思うがどうだろうか.ただ阪神ファンとの間で濃淡は観測されるかもしれない

*3:「お金は大切で多くのことができるし,成功者に適切な範囲のインセンティブを与えることは経済全体に好影響を与えるので望ましいが,お金で買えない大切なものもある」と考えるのはどこにも矛盾はなく,特にビジネスをしている人々にとってはごく普通の感覚ではないだろうか.

*4:本当は独裁者ゲームなどを行いたいところだが予算の制約があるというぼやきがある

*5:この理論のキーは自尊心の向上が重要というところにあるが,進化心理学的に考えると,自尊心の向上が適応度上有利なら,単に向上させればいいのであって,何らかの経験を必要にするはずがないことになる.もちろん適応度の上昇と本人の幸福は別だし,進化環境とのミスマッチにあるかもしれないから一概に否定はできないところだが