- 作者: 日本生態学会
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 2016/03/09
- メディア: 単行本
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本書は共立出版による「現代の生態学」シリーズの一冊.(本書にて全11巻が完結したようだ)テーマは題名の通り感染症にかかる生態学を扱う.基礎知識,生態学的総説,個別感染症,対策と管理の4部構成をとっている.
第1部 基礎知識
第1章に感染症病原体の総説がおかれている.ウィルス,細菌,真菌,原虫,その系統的な関係,感染成立の3要素(病原体,ホスト,感染経路),病原体の検出などが概説されている.O157と赤痢菌の関係,ビルレンス(高病原性,毒性)の概念*1説明,非結核性抗酸菌*2,宇宙居住空間での感染についての解説などが面白い.
第2〜3章で病原体の生活史の解説.コウモリやカモをホストとするウィルスのヒトへの感染,常在菌と感染の関係,リザーバーの概念,芽胞の重要性などが説明されている.原虫,蠕虫,線虫については様々な複雑な生活史についてイラスト入りで詳しく説明されている.
第4章は発症メカニズム.様々な発症メカニズムを総覧した後,代表例として,インフルエンザ,AIDS,結核,コレラ,マラリア,住血吸虫症を解説し,人獣共通感染症が根絶困難な理由も説明している.
第1部の最後,第5章は感染のダイナミクス.まず第1章で解説された感染の3要素モデルをより生態学的な視点から改変した生態学的モデル,さらに生活習慣病まで考慮した車輪モデルの概念を提示して解説している.ここは著者(梯正之)独自の主張ということだろう.
続いて感染のダイナミクスの数理モデルとして,有名なSIRモデルを基礎モデルとして簡単に解説し,基本再生産数R0や閾値密度の重要性を強調する.さらにこの基礎モデルを現実に当てはめるための拡張として個人ベースモデル,ホスト個体内での病原体のダイナミクスを解析する数理モデルを解説している.また実データに即してモデルを当てはめる例としてインフルエンザの流行のシミュレーション事例も具体的に取り上げている.
最後に生態学的な視点として常在菌の役割を考えることが今後重要になるだろうとプロバイオティクス*3を紹介している.
第2部 感染症の生態学的機能と進化
第2部は応用編ということになる.私のように進化的な視点から感染症に興味を持つ読者にとっては本書の最大の読みどころだ.
第6章はホスト・病原体の種間相互作用.まずホストと病原体が3種になった場合の相互作用のあり方を概観する.ホスト2種の病原体を介した見かけの競争関係とか,病原体が捕食者と餌動物の双方に感染する場合とかはなかなか興味深い.そして当然ながら病原体によるホストの操作(中間ホストの捕食されやすさへの操作,ホストの去勢が例として取り上げられている)も解説されている.最後に病原生物の多様性,ホスト生物相の多様性の関係が取り上げられている.いろいろ複雑でなかなか興味深いところだ.
第7章は感染症と物質循環.近年病原生物の生物量が生体ピラミッド的に想定されていたより遙かに多いケースあることが知られるようになっていて,まずそのあたりが解説されている.そのほか生態系全体への影響,寄生生物の多様性が生態系の健全性の指標になるかという議論も取り上げられている.
第8章は病原遺伝子の水平伝播.バクテリア間の遺伝子の水平伝播の様々な態様が解説されている.
第9章は新興感染症.生態学的にいうと侵入生物としての病原体ということになる.様々な例や対策が概説され,最後にカエルツボカビ症が総説されている.現在の結論はこのツボカビ菌はアジア起源であり,戦後の日本からのウシガエル輸出が感染源として可能性が高いということのようだ.
第10章は本書の白眉ともいうべき病原体とホストの進化を数理モデルにより解説する章になる.最初に基本モデルとしてSIRモデルが解説されているが,残念ながら第5章のモデル紹介と微妙に異なっている(パラメータの記号が異なっており,さらに集団の個体数減少をどう埋め合わせるかのモデルの前提が異なっている).ここは読者としては是非統一しておいてほしかったところだろう.
ここから病原体がどのような方向に進化するのかをパラメータの進化方向として解説する*4.そこからイーワルドの本*5を紹介しながら毒性の進化(水媒介,病原体が野外で長期間生存できる場合,2種以上で感染して競争が生じる場合には強毒化する可能性があることなど)を解説している.なお感染率と毒性にトレードオフがある場合についてはモデル化して解説している(侵入開始条件によって進化的な帰結が異なる).
続いて病原体とホストの共進化が取り上げられる.マッチングアレルモデル(MAM)と遺伝子対遺伝子モデル(GFGM)に分けて解説される.
- MAMは,ホストの抵抗性対立遺伝子,および病原体の免疫無効化対立遺伝子ともに複数あり,ホスト遺伝子型が病原体遺伝子型とマッチしたときに感染への抵抗を示すモデル.負の頻度依存的な動態になる.ここではこれを元に熱帯雨林の多様性を説明しようとする仮説が紹介されている.
- GFGMは,特に植物での知見を元に作られたモデルで,ホストの抵抗性遺伝子も病原体の免疫無効化遺伝子も1遺伝子のみで,それぞれコストがかかり,その組み合わせで有利不利が決まるモデルとなる.これも負の頻度依存的な動態を示す.
- GFGMは,多遺伝子座モデルにし,病原体が1個でも多く遺伝子をもては相手の抵抗を打ち破れるという形で拡張できる.この場合には互いに遺伝子数を増やす方向にアームレースが生じ,コストに耐え切れくなった方が崩壊し,振り出しに戻るという形になる.
次に空間構造を入れ込んだSIR系モデルの拡張が解説される.
- 格子モデルなどで感染できる方向が限られると,病原菌の感染率向上のメリットが小さくなり,空間構造がないときに比べて感染率が低く抑えられる.
- 逆に免疫個体がその場所を占めていつまでも感染が起こせないという構造があると,ホストを死亡させて未感染個体の流入を図った方が有利になるため,高病原性が進化しやすくなる場合もある.
- ネットワークモデルにして結次数をばらけさせると,基本再生産数R0が1を下回っても流行が可能になる.(数理的にも詳しく解説されている)
ここは感染と進化にかかる数理モデルがいろいろ紹介されており,大変充実した章になっている.
第3部 感染症事例
第3部では個別の感染症の事例が,基本的にホストや病原体のカテゴリーでまとめて,また重要な感染症については個別に説明されている.章立ては,藻類,野生植物,マツ材線虫病,ナラ枯れ病,栽培植物,動物寄生虫,貝類,魚介類,コイヘルペス,鳥インフルエンザ,ヒトの真菌感染症,ヒトインフルエンザ,AIDS,マラリアとなっている.様々な分野の研究者が分担執筆しており,それぞれの関心領域や視点がいろいろで面白い.ここでは面白かったところを紹介しよう.
- 大型珪藻はその大きさのために動物プランクトンから捕食されにくく,生食連鎖を通した物質循環から外れやすい.しかしツボカビに感染すると,大量の遊走子が放出されて,捕食者に消費されやすくなる.これをマイコループと呼ぶ.ウィルスによる粒状物質を溶存性の物質に変える同じような過程はヴァイラルシャントと呼ばれる.
- 植物病原菌には種を越えて日和見感染させる多犯性のものがある.(例として担子菌による絹皮病,南根腐病が詳しく説明されている)
- マツの菌根共生菌が多いとマツノザイセンチュウに対してより抵抗性を示す.山の尾根でかろうじてマツが残っているような現象はこれによる.
- アカマツ,クロマツについてマツノザイセンチュウへの抵抗系統の育種努力が続けられていたがあまり進展がなかった.しかし最近ようやく抵抗性について遺伝子レベルで解明され始めている.
- ナラ枯れ病は1980年代以降日本海地域を中心に急速に広まったが,なぜそうなったのかの説明はまだ完全にはできていない.
- 多くのヒトの真菌感染症は,元々土壌好性菌だった真菌がヒトの皮膚角層と特異的な関係を持ち,侵襲性を獲得したことから生じたと考えられる.
- ヒトの深在性真菌症であるアスペルギルス症の原因真菌には,全世界に5系統が認められているが,地理的な相関が認められない.生態学的ニッチ選択によって遺伝的分化が生じたと考えられている.
- インフルエンザは10〜50年間隔で亜型が交替している.これはヒト集団への免疫の蓄積によって,あるときに一気に交替が生じる内部タイマー的なメカニズムで生じていると考えられる.(このメカニズムが詳しく解説されている)
- インフルエンザの亜型内の系統樹を書くと,広がった枝分かれせずに1本の主枝に沿って超高速進化していることがわかる.これはエイズやデング熱などと大きく異なる特徴で,シミュレーションで得にくい.毎年の流行内でたまたま早めに現れた変異体の流行が異なる変異体の流行を抑える「先住者効果」が重要であるようだ.
第4部 対策と管理
短く実務的な問題点がまとめられている.まず防除対策として隔離・ワクチン・環境管理の考え方,現行の法令上の枠組みとその限界が解説されている.最後のところではリスク評価と社会的合意が重要だと強調されている.関連して,もしウエストナイルウィルスが北海道に侵入したらタンチョウヅル個体群が絶滅するリスクが高いという報告も紹介されている.防ぐにはリスクを評価して対策を前もって打っておくことが重要になる.ちょっと気になるところだ.
最後に院内感染について特別に1章設けられている.手洗いと清掃の励行,そして抗菌剤の適正使用が強調されている.やはり実施の徹底は難しいのだろう.
感染症についての分野をまたがった解説書はあまりなく,本書はそういう意味で貴重な本だと言えるだろう.身の回りのリスクについてもいろいろ考えさせられるところがある.私的には数理モデルの概説と個別感染症の自然史的な記載が楽しい本だった.
関連書籍
イーワルドが怒りにまかせて書いた本はおそらくこれだと思われる.「感染症がいずれ弱毒化する」という議論にいかに根拠がないかをかなりねちっこく解説している.非常に面白い本だ.
Plague Time: The New Germ Theory of Disease
- 作者: Paul Ewald
- 出版社/メーカー: Anchor
- 発売日: 2002/01/08
- メディア: ペーパーバック
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邦訳されているイーワルドの本としてはこちら,こちらは教科書風の本.
- 作者: ポール・W.イーワルド,池本孝哉,高井憲治
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 2002/11/20
- メディア: 単行本
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その原書
Evolution of Infectious Disease
- 作者: Paul W. Ewald
- 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr on Demand
- 発売日: 1994/01/06
- メディア: ハードカバー
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現代の生態学シリーズで私の書評のあるもの
生態学の理論を社会ジレンマやリスク管理などの問題に応用しようという意欲的なテーマの本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20140409
- 作者: 日本生態学会,佐竹暁子,巌佐庸
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 2014/03/07
- メディア: 単行本
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共同執筆による行動生態学の教科書.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20121014
- 作者: 沓掛展之,古賀庸憲,日本生態学会,沓掛展之担当編集,古賀庸憲担当編集
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 2012/06/22
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ゲノム解析技術が生態学に与えるインパクトが描かれている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150808
エコゲノミクス ―遺伝子からみた適応― (シリーズ 現代の生態学 7)
- 作者: 森長真一,工藤洋,日本生態学会
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 2012/12/11
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淡水生態系の最新のリサーチの紹介集.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120512
- 作者: 吉田丈人,鏡味麻衣子,加藤元海,日本生態学会
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*1:ビルレンスもホストによって異なる.ここでは血液型がO型であるとノロウィルスの感染率があがることが紹介されている.
*2:原因細菌の環境内動態や感染源が知られておらず,診断予防ともに困難になっているそうだ.
*3:ポイントは常在菌のバランスをうまくとることによって悪玉菌の感染を防ごうとする考え方
*4:ここではホスト操作によりパラメータが変わるという解説になる.実例としてはホストのアリの腹部を真っ赤にして果実の擬態にし,鳥に捕食されやすくする吸虫があげられている.これにより感染率βが上がるということになる.
*5:「ホスト殺しは病原体のためにならないので,いずれ弱毒化する」という俗説がいつまでたっても流布し続けることに怒り心頭で一冊書いたということになっている