「オンラインデートで学ぶ経済学」

オンラインデートで学ぶ経済学

オンラインデートで学ぶ経済学


本書は経済学者であるポール・オイヤーが「自らのオンラインデートサイトの利用経験を題材に経済学の初歩を解説する」という趣向で書いた経済学の初学者向け副読本向けの本だ.オイヤーは配偶者と別居中の経済学者でオンラインデートサイトで新しいパートナーを見つけようと考え,その経験をもとに本を書くことにしたのだ.アメリカでは日本よりかなり本格的にオンラインデートサイトが利用されていて,著者のような利用はごく普通の出来事のようだ.厚みのあるオンラインデートサイト市場で得られる知見は進化心理学的にも面白いかと思って手に取った一冊だが,オンラインデートにフォーカスを当てているというよりも,題材としての利用という側面が強い.原題は「Everything I Ever Needed to Know about Economics, I Learned from Online Dating」 


そういうわけで本書は扱う経済学理論ごとに章立てされている.個人的に面白かった部分を中心に紹介しよう

<サーチ理論>

まずオンラインデートサイトで相手を探し続けるか,どこかで手を打つかが問題になる.行動生態学的には最適採餌戦略ということになるが,本書ではその最適戦略ではなく,そこで問題になるパラメータに焦点が当てられている.

  • サーチコストが低いと延々と探し続けることになる.相手を探すこと自体が好きな人はこうなる.ほかにすることがない人もこうなりやすい.デート市場ではこのようなサーチコストが低いこと自体が当人の魅力を下げることにつながる(これを著者は逆淘汰と呼ぶ.*1)という問題が生じる.
  • 選り好みすることのメリットが高い人(要するに好みのうるさい人)も延々と探し続ける.忍耐強い人(長期的視点で物事を考える人)もこうなりやすい.
  • この問題は持ち家をいつどこで買うかという問題に似ているが,決定的に異なるのは相手にも自分を選んでもらわなければならないというところだ.

<チープトーク

  • ほとんどの人がオンラインデートサイトのプロフィール欄の記述について「盛る」.しかし会えばすぐわかるウソは意味がないので,ほとんどの場合にはやや微妙な盛り方になる.そしてほとんどの人がそうしているので読む方は割り引いて読むことになる.ゲーム理論的には,会えばすぐわかるウソについては双方の利害が一致しているので信号は正直になると解釈できる.
  • アメリカのオンラインサイトでは,ウソの抑制のための制度的枠組みはない.韓国のあるサイトでは公的な証明書の提出を義務づけ,サイトで確認作業をしている.また中国のサイトでは義務づけはしないが任意の提出を受け付けるところがある.中には探偵チームでその真正性を保証しているところもある.(フィードバックの仕組みの実装は難しいようだ)
  • イギリスのゲーム番組「ゴールデンボーイズ」では,最終局面で対戦者に2〜15万ドル相当の賞金をかけて囚人ジレンマゲーム(双方協力なら半々,片方裏切りなら総取り,双方裏切りなら賞金は没収)をやらせ,かつ実際の選択前に双方に自分がどうするつもりかの1分間のチープトークをさせる.参加者の選択は協力と裏切りがほぼ半分になる*2.互いに言葉を尽くして「自分は絶対に協力するから協力して欲しい」とチープトークを繰り広げ,結果双方裏切りに終わると,たいてい両対戦者は大笑いして「まあいいさ,お互い頑張ったな」とでも言いたげに視線を交わす.

ネットワーク外部性

  • フェイスブックのようなSNSには強いネットワーク外部性があり,誰もが使うサイトに利用がますます集中する.しかしデートサイトは,知り合いと共通である必要はなく複数のサイトを使って相手を探すコストは小さい,さらに(自分が男性の場合)女性参加者は多い方がいいが,男性参加者は少ない方がいいという点で違いがある.後者の点は同性愛マッチングサイトでどうなっているのか興味が持たれる.

シグナリング

経済学でもコストがシグナルの正直性の担保になると認められている.ザハヴィの議論とどちらが先なのかちょっと興味が持たれるところだ.

  • 韓国のオンラインデートサイトで,期間限定のデート申し込み企画があり,通常より格安料金で10人まで申請できるがうち2人のみにはバラのマーク付きで申し込めるという仕組みにした.このバラの効果は明瞭に現れた,希少性がコストとなってシグナルの信頼性を上げたと考えられる.
  • サイト側でこのような信頼性のあるシグナルを可能にする設定はいろいろ考えられる.例えば,申込時に10ドルをどこかに寄付したことを知らせる,さらに進んで,その10ドルをどこに寄付するかを申し込まれた人に選択可能にするなど.
  • 通常のデート市場でもこのようなコストによって自分の価値をシグナリングすることが可能だが,方法が極端(例えば高収入であるシグナルとしてデートのときに高額紙幣を燃やす)だとエキセントリックな人間だと思われて引かれるという問題があって直裁的な解決は難しい.
  • 大学が入学希望者に独自のことさらややこしい願書の提出を求めるのは一つのコストシグナリングの要求だとも解釈できる.だから共通願書は最終的に出願プロセスの非効率化につながるだろう.よく似た例がフェイスブックにおける「お誕生日おめでとう」メッセージの自動化だ.
  • IPOで売り出し価格を抑えるのは市場に対してコストをかけて自社の将来性についてのシグナルを送っていると解釈できる.

<能力と報酬>

  • オンラインデートサイトでデート申請が受け入れられるかどうかを最もよく予測する要因はルックスの良さだ.上位10%の人は平均的な人より2倍のメールを受け取るし,平均的な人は下位10%の人より2倍のメールを受け取る.
  • 男性の場合には財力の要素も大きい.年収25万ドルの男性は5万ドル以下の男性より2.5倍連絡を受ける.
  • それ以外の影響は小さい.教育水準は男性に少し影響するが女性にはほとんど影響を与えない.女性は,法律家,医者,軍人,消防士の男性により魅力を感じるが,男性は女性の職業には一切こだわらない.
  • 見た目の良い人の方が収入は高い.証拠は「これは単なる好悪感情による差別だ」とする考え方よりも「実際に見た目の良さに価値がある」という考え方を支持している.なお美しさを調整すると,体重の多寡は収入やデート相手としての魅力に影響を与えないようだ.(後者はやや意外)
  • ソーシャルスキル(社交性)はデート市場でも労働市場でもビジネス界全般でも価値がある.ただし,デート市場ではテクノロジーソーシャルスキルのない人の弱点を補うのに対し,労働市場やビジネス界ではソーシャルスキルの差異を拡大するように作用している.

<家庭内の経済学>

ここでは家庭内コンフリクトの様々な様相が経済学的に解説されている.

  • 夫婦の家事分担は家族全体の効用を最大化させるように決まっているのではなく,双方がそれぞれその家事をどれだけ嫌っているかによって大きく決まっていることが実証分析で明らかになっている.
  • 離婚が容易になると妻の交渉力が上がる.ただし長期的な投資を抑制してしまうというデメリットもある.
  • 親が子供のバレエやサッカーに多くの時間と金を投資するようになったのは,周りもそうしているので愛情を疑われかねないという要素が大きいのではないか(これは実証分析の結果ではなく著者の推測),だとするとこれも一種の囚人ジレンマ状況と言える.

このほか統計的差別,市場の厚み,同類交配,逆淘汰などの問題も扱われている.いずれも身近で楽しい話題が満載で,肩の凝らない副読本としてはよくできていると思う.
なお日本でもアメリカほどではないがオンラインデートサイト*3がだんだん広がっているようだ.今後どのように発展していくのかについても興味深いところだ.


関連書籍


原書

Everything I Ever Needed to Know about Economics I Learned from Online Dating

Everything I Ever Needed to Know about Economics I Learned from Online Dating


恋愛全般に関しての経済学的分析についてはこの本が面白かった.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150317

*1:これについてはアカロフの中古車市場のレモン問題のリサーチの紹介とともに別途詳しく解説されている

*2:さすが英国という番組だが,これはテレビ放映されて,自分の名声評判に効いてくることを考えるとかなり実際の裏切り率が大きくて驚きだ.数百万のためなら評判の悪化も受け入れるということだろうか.文化差があるのかも興味深い.

*3:婚活サイトなどという呼ばれ方が一般的,Yahoo!お見合い,youbride(ライブドア系),twinCue(リクルート系)などがあるようだ.