Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Oxford University Press
- 発売日: 2013/09/27
- メディア: Kindle版
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ピンカーによるピアテリ=パルマリーニに対する3番目の批判は,言語獲得と言語進化は同じ過程ではないにもかかわらずそれを混同した議論をしているという点だ.ここでも進化についてのナイーブな主張についてのピンカーの舌鋒は鋭い.
3.4.3 恣意性と,言語進化と言語獲得の関係
- 恣意性の必要性は,言語獲得と言語進化のコミュニケーション機能の役割の理解に深い影響をもたらす.これまで多くの心理学者とAI研究者は,文法構造は単に「子供がどのように他者とコミュニケーションするか」という問題を解決するためにあると示唆してきた.スキナーの強化理論はそのもっとも強いバージョンだ.そして彼の行動主義を避けて一般認知的な問題解決能力に頼るというのが心理学では最もポピュラーな考え方だった.スキナーも,ベイツのような認知理論家も,明示的に学習と進化においての機能をパラレルに捉えていた.
- チョムスキーと多くのほかの言語学者,そして心理言語学者は,文法の多くの様相はコミュニケーション最適化には縮減できないこと,さらにヒトの言語はユニバーサルでかつそれ自身の特異的な論理を持つことを示し,個体発生における機能主義を否定してきた.チョムスキーは,さらにこの議論を一般化し,人々の言語使用はコミュニケーションの有用性には結びつかず,それはむしろ思考の表現へのコンピテンスにかかるのだと強調している.もし言語のコミュニケーション機能が個人にとっての言語を形作っていないのだとすれば,(つまりチョムスキーのこの主張が正しいなら)言語のコミュニケーション機能は種にとっての言語も形作っていないだろう(つまり言語はコミュニケーションを淘汰圧とした適応産物ではない)と結論してしまう人も出てくるだろう.
- 私たちは論争におけるこのアナロジーは間違っていると主張する.それは「学習と進化が同じ法則に従わなければならないわけではない」というだけにとどまらない.このアナロジーは(進化について)淘汰主義をとらなくても間違っているのだ.(例えばチョムスキー自身が強調するように,問題は視覚のように明晰に示されていない.視覚については誰も幼児の視覚発達は彼等の見たいという欲求に関連しているとか,子供の目的にかなう能力によってランダムな視覚能力が淘汰されて発達するなどとは主張しない)言語について言えば,この節の議論は,言語進化と言語獲得は異なりうるのではなく,間違いなく異なっていることを示している.
- 進化は幅広く多様なコミュニケーション機能標準から一つを選ぶように働く,何か特定の言語(アパッチ語,イデッシュ語,高地火星語,初期バルカン語*1)が必ず選ばれなければならないということはない.しかしこの柔軟性は子供が学習する際には既に消滅している.ヒトという種もコミュニティも既に収束した結果を受け入れているのだ.子供はどんな有益なコミュニケーションシステムもすべて学習できるわけではないし,自然言語ならどれでも学習できるわけでもない.そこで話されている特定の言語を学習できるだけだ.そのような収束にかかる理由は歴史の中に埋もれていて発達において再獲得されるわけではないのだ.
- 文法のように複雑で精緻なコードは,簡単に明らかにできるわけではない.どんなコンピュータも通信例だけからコミュニケーションプロトコル全体を推測できないし,個別のプログラム例からプログラム言語全体を再構成できたりはしない.だからマニュアルがあるのだ.それは,個別の例には莫大な特異的な状況が随伴しているからだ.それらのうち一部はプロトコルコードに関連し,一部は関連しない.そしてどちらかを決める方法はない.子供にとってみれば,ある文は膨大な文法において適正だが(つまり文として成り立つが),その膨大な文法のうち一つだけが正しいということになる.事前の制約がなければ,推測は誤りに満ちる(事前制約なしだとWho did you see her with? から *Who did you see her and?”を推測してしまうがそれは誤りになるなどの例が紹介されている)子供は言語のマニュアルを持っていない.そしてこれが子供が生得的な制約を持つ理由なのだ.
- というわけで,私たちは「なぜ言語進化の機能主義理論は正しくて,言語獲得の機能主義理論が誤っているか」の理由にたどりついた.言語獲得のごく初期から子供はそれ自体にコミュニケーション上の利点は全くない文法的制約に従っているのだ.1つだけ例をあげよう.英語を学習中の1歳〜2歳児は語彙カテゴリーと句カテゴリーの区別に関連した句構造の相対的配置制約に従う.その結果代名詞や固有名詞の前に限定詞や形容詞を置くことを避ける.彼等にとって表現の幅が狭くなるにもかかわらず,big dogとは言ってもbig Fred,big heとは言わないのだ.
- さらに,多くの発達言語学者の示唆とは逆に,多くの言語発達は幼児のコミュニケーション能力の向上には無縁だ.子供はある時期breakedとかcomedのような過去形を用いる.これは完璧に合理的で単純だ.hittedやcuttedはhitやcutに比べて曖昧性も減る.そして両親は通常これを矯正しようとはしない.なぜ子供たちはこの便利で単純なシステムをいずれ捨て去ってしまうのだろう.彼等は,どんなに微妙で恣意的であっても大人のコードへの順応の要求にプログラムされているのだろう.
- そしてこのような「コミュニケーションコードが生得的で恣意的な基礎(ヒトの場合はユニバーサル言語)を持つ」ことは生物学の至るところにアナロジーがある.エルンスト・マイヤは「The Growth of Biological Thought」という本の中でこう書いている.
コミュニケーションとなる行動(例えば求愛など)は誤解されないように型どおりになっていなければならない.このような行動をコントロールする遺伝プログラムは「閉じて」いなければならない.つまりそれは個体の生活史の間の変化に耐性を持っていなければならない.それ以外の行動(例えば摂食や生息地決定)は新しい経験を組み入れられるように柔軟でなければならない.それらは「開いた」プログラムにコントロールされていなければならないのだ.
- 結論:コミュニケーションプロトコル標準化の要求は,子供の言語獲得デバイスが「そこに既にあるコードを身につけるようなもの」である方が,「子供の視点から有用なコードを再発明するようなもの」より優れていることを説明する.用例からそのようなコードを獲得するのは至難の業であり,多くの文法原則や制約がデバイスにハードワイヤードされているはずだ.要するに,文法デバイスの機能が進化において重要な機能を果たしたのだとしても,獲得においては何の役割も果たしていないのかもしれないのだ.
いかにもピンカーらしい流れるような論考だ.
関連書籍
引用されているエルンスト・マイアの本
The Growth of Biological Thought: Diversity, Evolution, and Inheritance
- 作者: Ernst Mayr
- 出版社/メーカー: Belknap Press: An Imprint of Harvard University Press
- 発売日: 1985/01/22
- メディア: ペーパーバック
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