本書は進化生物学にも明るい経済学者ロバート・フランクによる(もはやライフワークとなった感もある)累進的直接消費税導入を主張に関する本だ.フランクは「オデュッセウスの鎖」でヒトにある感情をコミットメント問題の解決のための適応であるという議論を行って進化心理学にも多大な影響を与えたことで知られる.
近年には一連の著作で,顕示的消費に関する進化心理的な説明(それは自分の地位や力の周りのヒトに対するディスプレイであり,相対的な量が重要になるものである)とその経済学的な帰結(効用が相対的に与えられると,それは通常のミクロ経済学のフレームでは扱えなくなり,各経済主体は囚人のジレンマ的状況に陥りパレート最適が得られなくなる可能性がある),そしてその経済学的なスマートな解決法としての累進的直接消費税の導入を主張している.
しかしこの主張は(私が知る限り)異端にとどまっており,なかなか受け入れられていない.本書では,人々の累進的直接消費税受け入れに対する心理的な抵抗の基礎を打ち破るべき議論としての「成功は偶然によるという事実とその認識」そしていくつかの実務的な問題を扱うことにより,より多くの人々を説得しようという意図で書かれている.
導入
まず序言で(著名なノンフィクションライターである)マイケル・ルイスの成功がいかにちょっとした偶然*1によっているかを逸話的に紹介する.
しかし人々は成功を運から説明するのを聞くのを好まない.フランクは,これは成功できなかった人への共感への阻害要因となるし,自分の成功が運によっていることを認める人は他者へのサポートをいとわない傾向が強く,概してそうでない人より幸福だと主張している.
自分の成功は努力によるものだと信じたいというのは特にアメリカでは強い傾向なのかもしれない.実際に最後の主張のエビデンスがあるのかどうかにはふれられていないが,さもありなんということだろうか.
成功における運の要素と累進的直接消費税
続いて第1章でフランクは自分自身のキャリアを振り返っている.ここまで致命的な事故に遭わず,心臓発作を乗り越えられたことには多くの運の要素があるのだ.そして成功が運によるものだとコメントしされたときの多くの人の否定的な反応も紹介している*2.
もちろん市場における成功者はみな才能をもち,多大な努力をしている.それでも同じような多数の人の中から彼らが成功したのは運によるところが大きい.そして才能(努力できるという部分も含めて)を持って生まれつくこと自体運によるといえる.そして経済学者としてのフランクのフォーカスはさらにそれを超えた部分だ.現代のウィナーテイクオール市場では外部環境や偶然の出来事が成功に与える影響が非常に大きくなっていることを力説している.
- まず最初に市場を取ったこと自体が大きな成功要因になる.
- さらに一部の有望なマーケットに多数の競争者が現れやすく,同じような優秀な人々の間での競争が激しく繰り広げられる.そこでの勝者は最も運が良かった人になりがちだ.
ではなぜ人々は運の要素を認めるのに消極的なのか.フランクはこう分析する.
- 自分が稼いだ金を正当化するためには才能と努力を強調した方が有利になる.
- そして実際にそう信じ込んだ方がより努力が可能になり成功しやすくなる.逆に運次第だと考えると,見込みのない競争にも打って出やすくなるし,逆に有望な市場への投資抑制の効果もある.これらは運次第という考えのコストになる.そう考えると成功は才能と努力によると信じやすい傾向は一種の適応的な資質ともいえる.
しかしこの幻想を打ち払って成功における運の要素の大きさを認めれば,人々はより公共的な投資に好意的になるだろうというのが本書の大きな主張になる.
ここからフランクはこれまでの著作にある一連の累進的直接消費税のメリットについての議論を,よりわかりやすく繰り返している.要するに顕示的消費の効用は相対的だから,もし課税により全員が課税に見合った形で顕示的消費を抑えられれば,人々の効用は課税後も変わらないことになる.これはつまり公共的投資の原資が実質上ただで手にはいるということだ*3.そして(不要なベッドルームの数を誇る大邸宅や子供の誕生パーティにピエロを雇うことを競っているような)アメリカの現状はまさにこのただで公共投資原資が手に入る黄金の機会を与えていると強調している.
詳細な議論
第2章から第6章までかけてこの「成功の多くは運による」ことと「人々はそれを認めるについての消極的である」ことについて,より詳しく議論されている.基本的な議論は第1章の通りだ.面白かった部分を紹介しておこう.
- 心理学によると人々は「後付けバイアス」を持つ.世界は予測可能で因果的につながっていると信じやすいのだ.例をあげると人々は「モナリザは名画だから有名なのだ」いう単純な説明を好むし,実際に信じている.しかしモナリザがあれほど有名なのは,20世紀初頭にそれを盗み出した盗賊がそれをフィレンツェのウフィッツイ美術館に売り渡そうとしたことがフランス人の愛国心に火を付けたことがきっかけだった.
- 偶然の効果を増幅するフィードバックプロセスは至る所にある.学者の学問業績におけるマシュー効果もその一つだ*4.(ポジティブフィードバックに関してはこのほか音楽の流行,生まれ順の影響,生まれ月とスポーツ*5にもふれている)
- 収入格差はなぜ生じるのか.伝統的な経済理論はそれは人的リソースの差だという.しかし実証分析はそれを支持しないし,格差の増大傾向も説明できない.それは環境に大きく依存するのであり,現在のテクノロジーの進展は,至る所にネットワーク効果を生みだし,ごくわずかな差であっても勝者が総取りするような経済市場構造を作り出しているのだ.そしてそのような世界では偶然の些細な出来事,つまり運が大きく結果を左右する.
- 勝者総取市場では報酬は相対パフォーマンスにより決まり,ごくわずかのトップ層に収入が集中する.オープンなマーケットはそれを助長する(例としてCEOレヴァレッジ,スポーツ界でのFA市場があげられている)
- テクノロジーは片方でロングテール市場を生み出し,収入の平均化にも資するはずだとも主張される.しかし実証分析によると,その効果は勝者総取効果に比べるときわめて小さい.
- 自分の成功は才能と努力の賜物だと信じるだけでなく,失敗は運のせいだと思う傾向が人にはある.これもそのほうがハードな努力を行うことがより容易になるという意味で適応的な形質だろう.(向かい風のイメージは想起しやすいしネットにもあふれているが,追い風のイメージはそうでないことが引かれている)またおそらく自由意思があると信じる傾向も同じだろう.
- 周りの環境が成功に大きな影響を与えるのは自明だが,近時アメリカでは,税は収奪であるというレトリックから減税を進め,公共投資を抑える方向への政治的な動きが力を持つようになっている.成功が運に大きく影響を受けることを認めるなら,人々はより分け与えるようになることが明らかになっている(様々な社会心理学的なリサーチが引かれている).だとすると税収を環境整備に使うことへの抵抗も減るだろう.そして累進消費税と公共投資の組み合わせは,現状のアメリカのような公共投資が不十分な状況では,最も富裕な人々にとってもより高い効用を実現できる.(整備された高速道路でポルシェに乗る方がでこぼこ道でフェラーリに乗るよりいいはずだと説明される)
- 顕示的消費の効用は周りとの相対的な状況で決まる.これはヒトの本性に基づくもので,一種のフレーミング効果であり,アームレース的な状況を作り出す.そして所得の格差の増大は(自分より少し上の層の人々を気にするために)この効果を強化する.実際アメリカでは,中流層の住居は収入の伸びより速いペースで大きくなっている.
実務的な問題
ここからフランクは累進的直接消費税の実務的な問題について議論している.「よくある反対論→フランクの反論」という形でまとめると以下のようになる.
- 累進消費税は人々の労働意欲を失わせる.→人々の動機が周りよりよい地位を求めるものである以上,(税は周りの全員にかかるので)課税が生じても労働意欲が失われるはずがない.
- 特に物質的な贅沢を好む人にとって不利になる.→この税によって物質的な贅沢品がなくなるわけではない.それに対するビッドプライスが下がるだけだ.
- この税はマクロ的にみて消費を減らし投資を増やす方向に働く(消費による国民の効用が抑えられる).→その通り.そして投資こそ将来の経済成長の源泉であり,長期的にはより望ましい.
- これは嫉妬や妬みという感情を正当化させるものだ(だから倫理的に受け入れられない).→地位への関心は妬みがあるから生じるのではなく,多くの報酬が相対的な地位に基づいて決まるという冷厳な事実から生じるもので,この税が嫉妬や妬みを増幅させる効果を持つわけではない.この税は全く実務的な事実から擁護可能だ.
- どのみち政治的には保守派を納得させることは不可能だ(だから考えるだけ無駄だ).→保守派の守護聖人たるミルトン・フリードマンは1943年に累進消費課税についての論文を書いている.そこでは彼はこのアイデアに積極的だった.現在のアメリカの派手な消費ぶりをみれば彼はこの課税を支持するはずだ.
さらにフランクはこの税の導入にかかる実務的な課題にもふれている.
- この税の導入はリーマンショック後のような経済状況にはよくない経済的影響を与える可能性がある.総需要が不足している状況ではばかげた派手な消費でもそれがないよりは経済全体にとって望ましい影響を与えるだろう.そういう意味ではこの税は完全雇用状況になってからの導入が望ましい.
運を認めることのメリット
最終章でフランクは信頼を取り上げる.
- よいチームを作るには才能だけでは足りない,メンバー間の信頼が重要だ.合理的な経済人モデルは,その人が誰にもみられていないときにどうするかを教えてくれない.
- 片方で多くの人は友人を信頼できると感じている.そしてリサーチによると人々は初対面でも30分ほど話すとその後のゲームで裏切るかどうかを60%以上予測することができる.
- 人生の成功における運の要素を認めることは,周りからの信頼につながると考えられる.自分の手柄を誇りがちな人は懐疑的に見られるし,運を認めずにすべてが実力だと主張する人はなおさらそうだ.つまり運を認めることは周りから信頼されるという利益をもたらす可能性が高いのだ.(これについてはフランク自身によるリサーチも添えられている)
通常謙虚な人は好印象を持たれるからこれはある意味で当たり前だという気もするし,前述の成功は才能と努力の賜物と考える傾向が適応的だという議論との関係も示されていない*6が,まあ運を認めようという本の最後に持ってくるには適当な話題だということだろう.
本書は過去のフランクの主張を補完するような内容であり,とりわけ革新的なアイデアが盛り込まれているわけではない.「世界の現実をよく見て成功には運の要素が多いことを認めよう.そうすれば累進的直接消費税がいかに合理的なものかもっと得心できるだろう」ということで人々を説得しようとしているものだ.アメリカの政治の現状を考えると,この程度の説得が効果を上げるとはとても思えないが,それでもフランクとしては書かざるを得なかったのだろう.
個人的には実務的な議論がいくつかなされているのが面白かった.総需要が不足しているときには導入すべきではないというのは,先ほどの消費税増税でアベノミクスを契機として始まりかけた脱デフレ傾向が失速してしまった経験を持つ日本人読者にはよくわかるところだ.
なお個人的には,所得税との切り替え時に,過去所得税を払って貯金した金を本税導入後に消費することによって二重課税になり,これまでせっせと働いて税金を納めて貯金してきた自制心の強い人々への懲罰的な効果が生じることが重要な問題になるように思う.十分前に予告し,段階的に導入しても,この本質的に「反倫理的」な部分は反感を呼ぶだろう.ここにはフランクは触れてくれていない.また実務的な問題として,過去収入をごまかし預金を隠して所得税を脱税してきた人が,それを表に出すことによってさらに消費額をごまかして二重の脱税が容易になるという問題もあるように思う.
いずれにしても累進的直接消費課税というのは完全雇用化の経済ではなかなか合理的でエレガントなアイデアであるように思う.本書はフランクのそういうアイデアが実現できないもどかしさと嘆きが行間から感じられる本だ.
関連書籍
フランクの累進的直接消費税関連書
本書の主張にかかる最初の本.
2冊目.進化的な適応的心理を経済モデルの中に取り込むべきだという主張が展開されている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060325
前著.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20121111
その他フランクの著書
まず感情の適応的機能についてのこの本が有名だ.
同原書
一般人向け経済学の紹介書.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080310
同原書
その続編
このほかに邦訳されている本としては,次の本があるようだ.未読
原書
その他.いずれも未読.
専門的な本,教科書など多彩だ.
*1:学生だったときにあるディナーでたまたまソロモンブラザーズの首脳の奥様の隣に座ったことがきっかけで,ソロモンに潜り込み,そこでの経験を書いたLiar’s Pokerがベストセラーになったことでノンフィクションライターとしてのキャリアが開けた.
*2:フランクがフォックスニュースに出演した際の「あなたの成功もそして私の成功も多くは運によっていると言える」という発言へコメンテイターが感情的に反応したことについての辛辣なコメントは面白い.彼は「私の成功が運によっているというのは私に対する侮辱だ.私が英国から裸一貫でアメリカに渡ってきて,どんなにリスクを取ったか,あなたにはわかっていない」と抗議するが,フランクは「英国で高等教育を受けられる立場に生まれついたのだし,そもそもリスクを取ってそれがうまく行ったことこそそれが運がよかったということになることにすら気づかないのだ」と突き放している
*3:経済学ではフリーランチは滅多にないが,これは効用が相対的に決まるために生じる稀な状況だとあとで解説がある.
*4:フランクは自分自身の学問的成功とその際の偶然の要素を詳しく語っている
*5:早生まれは損ということ,ホッケーで実証リサーチがあるそうだ.
*6:そういう傾向が有利であることをある程度緩和するということだろう