Language, Cognition, and Human Nature 第5論文 「自然言語と自然淘汰」 その15

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

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言語が進化適応であるためには進化プロセスによって形成可能でなければならない,遺伝的変異の存在に続く次のポイントは進化が漸進的に進むものであることによる条件,つまり一連の中間ステップが想定でき,それぞれのステップが前の段階より有利であることだ.

5.2 中間ステップ

  • 一部の人々は,複雑で特殊化したユニバーサル文法が,進化過程で産まれることについて懐疑的だ.彼等は,中間段階はコミュニケーションシステムにおいて機能できないのではないかと考えている.これらの議論は3つのクラスに分けることができる.
5.2.1 共有されないイノベーション
  • ゲシュウィンド(1980)は,仮説的な有用な文法突然変異者は,まだ変異を持たない周囲が誰もその文法を理解できない以上,有利にはならないのではないかと考えた.
  • 一つの可能性は,血縁者にはその変異が共有されていて理解可能だという部分から来るものだ.多くのコミュニケーションは血縁間だっただろうから,互いに理解できて,双方とも有利になっただろう.
  • しかし私たちはもっと一般的な答えがあると考えている.理解能力が生成能力と完全にシンクロしている必要はない.文法知識がなくとも語順からデコードする認知的ヒューリスティックスがあれは理解は可能だ.「skid crash hospital」のような非文法的語句も意味は理解可能だし,(イタリア語を知らない英語話者にとって)イタリアの新聞記事を,いくつかの同祖的な単語と文脈的な期待から読解することがそれほど困難なわけではない.
  • 同時に,(生成能力がなくとも)それらの中の文法的洗練を評価することができないわけでもない.私たちはシェイクスピアの用いた複雑な初期近代英語で作文ができなくても,彼の文章の繊細さを鑑賞することができる.話者の中に,認知的努力で区別可能な概念の違いを文法的に表現できるものがいれば,その認知努力を自動的,無意識的に処理するような方向の淘汰圧がかかるだろう.これらは生得的な「モジュール」となるだろう.このような「環境から誘導された反応が,そのような反応を自動化するような淘汰圧を生み,自然淘汰に至る」過程はボールドウィン効果と呼ばれる.
  • またすべての言語的革新が,話者の言語能力にかかる遺伝的な変異から始まる必要もない.前国務長官アレクサンダー・ヘイグは「Let me caveat that.*1」や「That statement has to be properly nuanced.*2」などの表現で有名になった.最初私たちはその非文法性に悩まされたが,しかし意味するところは明白で,そのうちにこのような簡潔な文法代替表現を受け入れるように強いられることとなった.
  • このヘイグ話法のような二重基準話し言葉においてはかなりよく見られる.そしてアナロジーやメタファーやアイコン性や語源についての民間伝承などに基づく(伝統的には非文法的である革新的な)表現が十分有用であれば,それは話者にとっても聴取者にとってもそれを文法化する淘汰圧となるだろう.
  • そしてもし単一の心的データベースが生成と理解の両方に用いられるなら,ある表現について片方の文法化の淘汰圧への進化的な反応は,もう片方に自動的に及ぶだろう.


「skid crash hospital」の意味が私には理解できないのが残念だが,ここでピンカーが言わんとするところはわかる*3.文法による文生成能力と理解能力が完全に離散的で,話者と聞き手でシンクロしていなければ意味をなさないわけではないという議論は説得的だ.

*1:caveatは目的語に警告する相手をとらなければならないということか,あるいは当時は動詞用法自体が非文法的だったということだろうか.私にはよくわからない.

*2:この文の非文法性も私にはよくわからない.当時nuanceにはこのような他動詞としての用法がなかったということなのだろうか

*3:ちなみに最近洗練度が高まったと噂のGoogle翻訳では「スキッドクラッシュ病院」と訳されるが,おそらくこれはネイティブが感じる意味とは違うのだろう